橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』


昨年秋、写真家の橋口譲二さんから20年前のプレンツラウアー・ベルクの写真を何枚か渡され、「今度出版する写真集のために、それらの写真に写っているアパートの場所を調べてもらえないだろうか」という依頼を受けた。その時の模様は、「橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク」で2回に渡ってご紹介した。

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橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク(2)

当初の予定からは遅れたものの、橋口さんの写真集は今年初頭に無事刊行された(ありがたいことに協力者として名前も入れていただいた)。私にとっても、思い出深い1冊。ここでご紹介したいと思う。

橋口譲二さんに初めてお会いしたのは、2年前の年末、ベルリン日独センターで行われた講演会の時だった。同センターに勤務されているある方の奥様が、ちょうど刊行されたばかりの拙著『素顔のベルリン』を橋口さんにプレゼントしてくださり、講演会の後にご紹介いただいたのだった。私の母と同い年の橋口さんは、とてもシャイで物腰穏やかな方という印象を受けた。

こういうご縁から、橋口さんがベルリンに来られる際にお会いするようになった。6月に私が一時帰国した際は、橋口さんのお住まいの吉祥寺を少しご案内いただいた後、駅中のカフェでお茶をした。ベルリンでも東京でも、橋口さんとカフェでご一緒する時のゆったりとした時間の流れ方が好きだ。表現者としての大事なアドバイスをくださることもある。口調はいつものように穏やかでも、そんな時には、橋口さんの芯の強さと厳しさを垣間見る。一度、「(あるテーマを)自分の中だけに抱え込むことも大事ですよ」と言われたことがある。ブログやらTwitterやらで、ちょっとしたつぶやきさえも簡単に公にできる時代。目に見えるわかりやすい結果ばかりをどこか求めていた私ははっとした。私も一応Twitterはやっているし、その利点も否定はしないけれど、あれこれつぶやくだけで何となく物事をわかったような気になったり、自分にとって何が大事なのかを見失わないようにしたいと思う。そして、できることなら、橋口さんやその「弟子」の星野博美さんのように、あるテーマを自分の中で抱え込み思考を深めていく延長で、作品を積み重ねていけたらと願う。

話が逸れてしまった。写真集『Hof ベルリンの記憶』は、橋口さんが20年もの間「抱え込んできた」写真が中心になっている。壁崩壊直後、旧東のミッテとプレンツラウアー・ベルクの古いアパートやそのホーフ(中庭)を写したものだ。

人は1人も出てこないのに、また一見廃墟のようにも見えるほど建物は朽ちているのに、不思議なぬくもりの感じられる写真が並んでいる。それは、そこに人がずっと住み続けてきたこと、そしてそれらのアパートが19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられたことも関係していると思う。橋口さんは、この写真集の巻末のエッセイでこう綴っている。

街並と身体と気持ちの相性というと変だが、僕はこの街とこの街で暮らす人々が気に入っていた。程良い道幅、家並と同じように蛇行する道路、停留所から次の停留所が見える路面電車のトラム。トラムの走る速度はちょっと頑張れば自転車でも追い越せてしまう。蛇行する道路もトラムも昔から存在していたことを思うと、世紀末から20世紀初頭にかけて出来あがった街は人間の感覚や生理に寄り添っていた気がする。

11年前、このベルリンに来て、最初にたまたま住んだアパート以来、私はアルトバウのアパートの魅力に取り憑かれた。この街で3回引っ越しているが、住まいは全てアルトバウだった。ゆったりした間取りと、幾世代に渡って人々が住んできた歴史の醸し出す安心感が心地よかったのだと思う。写真集「Hof」には、アパートの内部の階段やいぶし銀のように渋い光沢を放つ階段のてすりの写真なども挿入されていて、私はそれを見ながら最初に住んだティーアガルテンの築100年のアパートでの生活を思い出した。あるいは、夏の暑い日、(6年間住んだ)クロイツベルクのアパートの入り口から中に入った瞬間、ひんやりとした空気に体が包まれたことを。ベルリンが歩んできた歴史と、私個人の歴史が時に重なり合うのを感じた。

この写真集が私のもとに届いたのは、3月初頭だった。
しばらくの間、この本を枕元に置いて、寝る前にぱらぱらめくりながら楽しんでいた。そうこうするうちに、あの大震災が日本を襲った。

毎日深夜までショッキングな津波の映像を見てから、この本を開くと、写真の奥にまた違う光景が見えてきた。3月14日だったか、丘の上から「自分の店が流されたことよりも、(店の)歴史が途切れてしまったことの方がくやしい」と絞り出すように語っていた陸前高田の酒屋のおじさん。倒壊した家の瓦礫をかき分けながら、思い出の写真を必死に探す人々…。

あの光景を思うと、ベルリンのミッテやプレンツラウアー・ベルクの古いアパートが戦災を逃れ、地震などの自然被害にも遭わず、その貴重なアパートが1949年生まれの日本人の写真家によって記録され、20年もの間フィルムが大切に保管され、2011年という年に出版され得たということが、とても幸運でかけがえのないことのように思えるのだ。

今回の地震や津波で家を失った人々が、橋口さんの言う「人間の感覚や生理に寄り添った」住まいに再び戻れることを心から願う。
この橋口さんの『Hof ベルリンの記憶』の写真展が、現在大阪のニコンサロンで開催中です(21日まで)。お近くにお住まいの方は、ぜひ足をお運びいただけたらと思います。



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3 Responses

  1. tsu-bu
    tsu-bu at · Reply

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    橋口譲二さん。以前は時々テレビでお見かけしていました。筑紫哲也さんの番組やNHKなど。こちらの背筋をしゃんとさせる方という印象と、やさしい口調でハッとすることをおっしゃる方だなあと思っていました。
    お写真を拝見しても背筋が伸びます。実際のご本人はどんな方なのでしょう。

  2. きょろ
    きょろ at · Reply

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    ベルリン在住のものとしてはHofは身近でありながら、深いテーマですね。自分自身も今、Hofに面したアパートに住んでいますが、そこに住んできた人たちの背景や歴史を思うとここにいることも少し特別のように感じます。マサトさんの熱い思いが伝わってきて、いろいろと改めて考えさせられました。橋口さんの写真集、きっと素晴らしいのでしょうね。ますます拝見したいと思いました。

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    tsu-buさん
    橋口さんは口調は大体いつも穏やかなのですが、時々はっとなるような「気付き」をいただく方です。吉祥寺の街を一緒に歩いた時も、「中村さんは、歩くのが少し早いようですね。もう少しゆっくり歩いた方が街のいろいろな表情が見えてきますよ」とふと言われて、なるほどと。これは妻にもたまに指摘されることなのですが・・・。

    きょろさん
    コメントありがとうございます。Hofは一言で「中庭」とは言い切れない機能を持っていますし、日本にはないものですから説明が難しいのですが、この写真集はぜひ見ていただきたいですね。巻末の橋口さんのエッセーと写真史家ハウゼルさんの解説が、理解を助けてくれると思います。

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