今年1月、音楽家の名前に因んだ通りを巡ったのを覚えていらっしゃるだろうか(詳しくはこちら)。先週末、旧東ベルリンを散策した折に、久々にその第2弾を地味に開催した。今回は比較的ポピュラーな名前が多いので、またお付き合いいただけたら幸いである。
さて、今回の同行者は1月のツアーにも参加してくれた、ベルリンで指揮の勉強をしている若きマエストロのNくん。まず目指したのは作曲家ハンス・アイスラー(1898-1962)に因んだ通りだった。Nくんはベルリンに2つある音楽大学のうちのひとつ、「ハンス・アイスラー音大」に在籍しているので、やはり一度はこの通りを見ておきたかったようだ。
Sバーンのグライフスヴァルダー・シュトラーセ(Greifswalder Straße)の駅で降りて、北に少し歩いた住宅街の中にハンス・アイスラー通りはあった。周りは、広い通りに高層マンションが立ち並ぶ、典型的といってもいい東の風景だ。よって通りのプレートもこんな感じ。
ハンス・アイスラーは日本では一般的にほとんど知られていないと思うが、ベルリン、特に旧東の人にとっては非常に馴染みのある名前であるはずだ。東ドイツ国歌「廃墟からの復活(Auferstanden aus Ruinen)」は、アイスラーの作曲である。もともとはシェーンベルクの弟子のひとりでありながら、師とは決別、ブレヒトと組んで作品を書いたり、アメリカでの亡命中はハリウッドでチャップリンの音楽顧問を引き受けたりと、ユニークな人生をおくった人だ。戦後赤狩りに遭うと、東ドイツに戻り、1962年にベルリンで没するまで作曲活動を続けた。東ドイツ国歌は、例えばこちらで聞けるので、興味のある方はどうぞ。実はなかなかいい曲だったりする。他の作品ももっと聴いてみたいと思った。
背後はこのような高層マンションなので、趣は全くなかったが、Nくんはとりあえずは満足した模様。ちなみにこの隣りは「トーマス・マン通り」だった。
今回は特にオチはないので、先を急ごう。ロシアの作曲家、ボロディン(1833-1887)に、マイアベーア(1791-1864)。マイアベーアはベルリンにゆかりのある作曲家なのだが、今日その作品が上演されることはほとんどない。
マーラー(1860-1911)通り。マーラーだけにもっと寂しげな場所にあるかと思ったら、こちらも普通の住宅街だった。
「わが祖国」のスメタナ(1824-1884)登場。この周辺には他にプッチーニやグノーらがいた。どういう基準で通りの名前が決められているのかは相変わらず不明だが、この辺はロマン派や国民楽派に関係した作曲家が多いということは言えそうだ。
これが名前とは裏腹に(?)、こじんまりとしたかわいらしい広場だった。奥に桜のような木が立っていて、満開だったのも◎
帰りはメトロ・トラムのM4に乗って、一気に町の中心まで戻る。トラムに乗るのは楽しい。旧東ベルリンは路面電車網が非常に充実しているので、トラムに乗って未知のベルリンをもっとたくさん見て回りたいと思った。
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トラムのベルリン探索も面白そうですね。
トラムやバスを使いこなせるようになると観光名所には無いベルリンが体験できそうですね。
もう少しドイツ語の勉強もガンバリマス!!
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トラムの路線はかなり複雑だし、いわゆる観光名所とも無縁なことも多いのですが、ベルリンの東側では欠かせない生活手段になっています。特に目的を持たず、ぶらりと終点まで乗ってみるのもおもしろそうです。何か発見があったら、またご紹介しますね。
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ハンス・アイスラー通りなんてあるんですねー 住んでる人は特に意識してないんでしょうかね。通りに人の名を冠した名前のあるっていうのが日本から見ると新鮮ですね。
トラムに乗ってあちこち見回るのもおもしろいですね。自分は通行システムの違いなどなどで少し迷子のなってしまいましたが。日本でもベルリンのトラムぐらい効率的だともっと便利なんですがね。
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中央駅さんは、作曲家通りの探索・探訪が、いたくお気に入りの様ですね。前回・前々回の記事も勿論、拝見しております。フンメル氏の薀蓄も、記憶に残っております。
そうした過去記述の蓄積から推察しますに、こう云った、地味で観光客向けではない、地元生活に密着した情報の収集に中央駅氏の性格とBlogの特徴が、とても良く出ている気がします。
しかも文中での引用形式で、旧・ドイツ民主共和国国歌の演奏サイトまで案内されるなど、実に凝った造りとなっており、内容の特異性は勿論のこと、そうしたマニアックな制作態度も愉しませてもらっております。お元気で。Yozakura 敬白
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>ジュリオさん
通りに名前が付いているというのは、とても便利だとも思いますね。日本に行ったことのあるドイツ人の友達が、「日本では人に場所の説明をする時もされる時も、とても難しくて苦労した」と言っていましたが、なるほどと思いました。こっちだと、「何々通りの何番」で簡単に済みますからね。
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>Yozakuraさん
ご感想ありがとうございます。
私の紹介するベルリンは時にマニアック過ぎて、読者の方がどんどん離れていってしまうのではと心配したりもするのですが、こう言っていただけると幸いです。なるべくバランスよく、いろいろなことを書こうと思ってはいるものの、自分が面白いと思うものを追っていくと結局こうなってしまうのか(笑)。ただ、ベルリンの町を歩いていると、時々何気ないものの中にはっとすることがあるので、そういう感覚は大事にしたいと思っています。
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返信、有難う御座います。
文中にとても印象的な記述がありました。
> 何気ないものの中に、はっとすることがあるので、そういう
> 感覚は大事にしたい—-
殆どの人は誰しも生きていく裡に、自身の経験や記憶を蓄積させ、それを集約・分析・帰納・統合させることで、そこから生活の上で欠かせない、その人なりの生活習慣、思考様式、行動原理などを確立・構築していくものでしょう。そして無意識の裡に、それに基づく行動を取ることが多い様です。良く云えば「情緒が安定する」のでしょうし、有体に云えば「固定観念に拘束される」ことでもありましょう。
「はっとする体験」とは、日常生活の中で異物(異文化)に遭遇することで、そうした固定観念に再検討を迫られる瞬間であり、とても貴重な経験だと推測します。
また「異文化との遭遇ルポ」をお願いします。お元気で。
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住宅街の中とは意外でした。東独ではより以上に重視されていたと思うのですが。本人との繋がりでもあるのでしょうかね。帰国後の住まいは、Pfeilstrasse 9 in Niederschoenhausenとなっています。ブレヒトを初めとする芝居の挿入音楽は今でも頻繁に使われているようです。
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>pfaelzerweinさん
>帰国後の住まいは、Pfeilstrasse 9 in Niederschoenhausen
教えてくださりありがとうございます。場所を調べてみたら、Pankowにあるのですね。指揮者のザンデルリンク氏なども、この地区に住んでいるのだとか。アイスラー通りは普通の高層アパートが並んでいるだけだったので、本人との関連性はどうもなさそうな感じです。
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>Yozakuraさん
>固定観念に再検討を迫られる瞬間
異文化との遭遇とはまさにこういうことなのかもしれませんね。これはベルリンにおいてだけでなく、たまに日本に帰った時にも起こりえることですが。その際、視点を柔軟にしておくことが大事なのでしょう。また何か発見があったら、書きたいと思います。
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ハンス・アイスラー好きですよ。ブレヒトのレコードをいろいろ聞きました。ベルリンの通りの名前は「ゾフィー・ショル通り」とか有名人の名前が多くてそれだけでも興味深いです。
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>papagenaさん
私はハンス・アイスラーの音楽はほとんど知らないのですよ。ベルリンといえども、生で聞けるチャンスはあんまりないですからね。
ベルリンの通りの名前は本当におもしろいですよ。でも、「ゾフィー・ショル通り」は見つかりませんでした。「ゾフィー・シャルロッテン通り」ならありますが・・
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Geschwister-Scholl-Straße でした。すみません。
http://www.jena.de/sixcms/detail.php?id=14711&_nav_id1=9902&_nav_id2=11091&_lang=de
この辺です。