土曜日の午前中、アパートのベルが鳴った。
寝ぼけ眼で出てみると、見覚えのある人が青ざめた顔で立っている。
私のちょうど一階下の部屋に住んでいる20代の青年だった。
彼はベルリン訛りのアクセントで、私の前で一気にまくし立てた。
起きたばかりの私はまだ頭がぼーっとしていて一体何のことだかよくわからなかったのだが、どうやらこういうことらしかった。
彼(仮にA君とする)はパーティーからの朝帰り、家に帰って来たのはいいが、鍵を部屋の中に置き忘れたことに気付いた。ドアを力ずくで開けようと友達からドリルを借りて来たのだが、電源が必要なので、私の部屋のコンセントを貸して欲しい。そういうことだった。 「どうせものの数分で終わるからさ」
私はもちろん了解した。
ドイツに限らずおそらくヨーロッパの住居全般に言えることだと思うが、こちらでは外出の際、ドアを閉めるとそのまま鍵がかかってしまう。だから、鍵を持っていることを常に確認して外に出なければならない。たとえパジャマ姿でポストに新聞を取りに行く時でさえ。
同居人がいる場合ならいいが、一人暮らしの場合、鍵を忘れて外に出てしまうと大変なことになる。私も過去に一度やってしまった。その時はNotdienstと呼ばれる、緊急時の鍵屋さんを呼んで事なきことを得たのだが、かなりのお金を取られてしまった(その時、鍵屋さんがものの15秒ぐらいで鍵をこじ開けたのには唖然とした)。それ以来、以前より気を付けるようになったし、財布の中にはスペアキーを常にしのばせておくことにしている。
私はA君にその時の話をした。だがA君は、「Notdienstを呼んだりしたら、100ユーロぐらいはかかるよ」と言って、とんでもないという顔をした。私の記憶では70~80ユーロぐらいだったと思うが、それでも貧乏学生にとって安い額でないのは確か。「でもそれで開けられたとしても、扉が痛んでしまうでしょ」 「そんなのはすぐに直せるよ」と彼は余裕の表情で下りていった。
しばらくすると、けたたましいドリルの爆音がアパートに鳴り響いた。しかし、A君の言っていたこととは裏腹に、20分、30分経っても、鳴り止まない。頑丈な扉を力ずくで開けることは、どうやらそんなに甘いものではなかったようだ。しばらく経って私が外出する際、A君の前を通ったら、彼の表情には明らかに焦りの色が見て取れた。今日はもう諦めて、両親の家に泊まるという。
翌日曜日も、午前中からハンマーの音が響き渡った。A君は父親に援軍を求めたようで、2人であーでもないこーでもないと言いながら、トンカントンカンたたいている。なんだか大変なことになってきたなあと他人事ながら思った。
結局鍵屋さんを呼んだ方が安くつくなんてことになるのでは、という結論にしようかと思ってここまで書いてきたのだが、つい先ほど音がぴたりと止んだ。下に降りて、様子を覗いてみると、ついに扉は無事開いたとのこと。どうやらA君の執念が勝ったようだ。父と息子の晴れやかな表情がすがすがしい(?)。あとは週明けに、ドアの鍵の部分だけを新しく取り替えれば、再び使えるようになるそうだ。
いずれにしろ、言えることはただ一つ。ドイツのアパートで一人暮らしをする際は、鍵の持ち忘れには十分注意しましょう、ということだ。