Maybachuferのトルコマーケット(2007年3月)
「ベルリンで一番好きな地域は?」と聞かれたら、今なら私は真っ先に「クロイツベルク!」と答えるかもしれません。正直、ベルリンに来た当初は、クロイツベルクというと「トルコ人などの移民が多く住む雑多な地域」という一般的なイメージしか持っておらず、住んでみたいとも特に思いませんでした。
ところが4年前、たまたまクロイツベルク西側のアパートに住むようになってから、その印象は大きく変わったのです。見えてきたのは、クロイツベルクの驚くべき多様性でした。
シャミッソー広場近くの重厚なアパート群
例えば建物一つを取っても、戦後の集合住宅が建ち並ぶ界隈もあれば、第2次世界大戦の惨禍を免れ、100年前の街並みがそのまま残っている地域もあります。昨夏、私はヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン・天使の詩」のロケ地を探して歩き回ったのですが、多くのシーンが当時壁のすぐ南側に位置したクロイツベルクで撮影されていたことを知りました。
「ベルリン・天使の詩」のサーカスシーンが撮影された公園
戦争と壁―。これが、20世紀後半以降のクロイツベルクを形作ってきた決定的な要因でしょう。しかし戦前のクロイツベルクを知るドイツ人の知人に話を聞くうちに、「トルコ人街」となる前の様子もおぼろげながら私の前に浮かび上がってきました。歴史の重層性とそこに住む人々の多様性。私がクロイツベルクに惹かれるのも、おそらくそこだろうと思います。素敵なカフェも多く、何より散歩するのに楽しい界隈です。
そんなクロイツベルクを30年間撮り続けてきた写真家ヴォルフガング・クローロフの小さな写真展「ベルリン・クロイツベルクから世界へ」が、Galerie argus fotokunstで開催されています(10月6日まで)。1970年代の住宅占拠運動やパンク、壁など、時代を彩ってきたモノと人とが、モノクロのファインダーを通して印象的にとらえられています。踊りのポーズを取っているトルコ人の少女や、用をなさなくなった壁の周りで遊んでいる子どもたちなど、何気ない街角の風景を収めた写真がとりわけ心に残りました。
(ドイツニュースダイジェスト・ウェブ版 9月7日)
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私はクロイツベルクの光景を思い出すとき、どうしてもニューヨークのハーレムでの体験を思い出しますね。この2つの地区はよい意味で非常に似ています。重厚な歴史的建物(19世紀後半~20世紀初頭)が数多く現存し、あとの時代になってその地区の住民構成が劇的に変化し、そして現在では清潔さを取り戻すと同時に、文化の多彩な発信地になっていることなど...。中央駅さんはハーレムを散策されたことがありますか?
http://www.nyc-architecture.com/HAR/HAR.htm
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私がニューヨークのハーレム探訪を始めたのは比較的遅くクロイツベルクを体験した後の70年代の終わりでした。家族がNYCに駐在していましたので、そこを何度か訪ねた時に、こっそりと何度か歩き回りました。マルコムXの暗殺された場所とかも訪ねましたが、しましまずその建物の歴史的な重厚さには驚きました。当時は現在とは異なり治安がよいとは決して言えなかったように思います(幸いなことに危険な体験には遭遇しませんでしたが)。この間の6月にニューヨークで比較的余裕があった時に久しぶりにハーレムに行ってみましたが、ジュリアーニ前市長の功績(?)か、ずいぶんとすっきりした街に生まれ変わったのに驚きました。
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「ハーレムはおもしろくなくなった。」という人がいます。それは、「クロイツベルクはおもしろくなくなった。」という人がいるのと同様のことです。クロイツベルクは分断時代にはなにか澱んだ空気があったようにも思いましたし、ゴミが多く不衛生な場所もいくつもありました。そうした場所の「史跡」を訪ねるのはエキサイティングだったものです。「近代ドイツ産業史」の一断面を見る思いもしました。そして、「新生クロイツベルク」の誕生、これはなかなか見事に行われたようですね。「新生ハーレム」同様、これからは目の離せない場所だと思います。近いうちにクロイツベルクをまた訪ねたく考えています。
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はじめまして。バンクーバー在のTakoraと申します。きっといつか、ウォルフガングの話題も取り上げられるだろうと思っておりました。僕は19年前、クロイツベルグの日常を収めたウォルフガングの『Seiltanze』と云う写真集をベルリンで探していた際、幸運にも氏と巡り合う機会を得、以降ベルリンに足を向けて寝られない程お世話になりました。氏のお陰で滞在中(88年秋と89年夏)、当時のクロイツベルグを象徴する様なアーティストやパンク、カフェやバーの人達と接しリアルなクロイツベルグを体感出来た事は、僕の人生の宝となっています。今でもあの街の混沌の中に潜む魅力は忘れられません。壁崩壊後、街がどう変わりつつあるのか?、マサトさんのブログ、これからも目が離せません。余談ですが、ウォルフガングはマサトさんのすぐご近所に住んでいるはずです!
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>la_vera_storiaさん
興味深い都市比較論をありがとうございます。2つの異質な街の中に共通点を見出すという、こういう話は実は大好きなのです。ハーレムはまだ散策したことはありません。NYC自体も過去に一度3日間ぐらい滞在したことがあるだけで、街をちゃんと見たとはいえないでしょう。ベルリンとニューヨーク、これは大変興味深い比較の対象で、いつか機会があったら!と思います。この秋にはカーネギーでこんな催しもあるようで。
http://www.carnegiehall.org/article/box_office/series/
brochure/art_berlin_in_lights.html
私は昔のクロイツベルクを知らないので、「新生クロイツベルク」にはいまひとつぴんとこない面もあるのですが、確かにここは面白いところです。その面白さを伝えるべくこれからも書いていきたいなと思います。
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>Takoraさん
はじめまして!
これはまたびっくりするようなコメントをいただきました。クローロフさんと直接のお知り合いの方とは。しかも、まさにあの時代のクロイツベルクを歩かれたとは、本当に貴重な体験をされましたね。「人生の宝」ですか・・・
恥ずかしながら、クローロフさんの存在を知ったのは、この写真展を通してでした。氏がシャミッソー広場にお住まいだということは、私も実はネットで知りました。いつかお会いできないかなと思っているところです。
機会があったら、当時のお話でもお聞かせくださいね。よろしかったら一度メールでもいただけるとうれしいです。[email protected]
本当に気が向いたらで結構ですので。これからもよろしくお願いします。
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トルコ人かパンクしか居ないと言われた80年代後半には一度も足を踏み入れませんでしたから、今度ベルリンへ行くことがあったら、ゆっくり散策したいです。
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>gramophonさん
お返事が遅くなりました!
クロイツベルクはある意味、一番ベルリンらしさを体感できる場所だと思います。壁に面していた場所はこれから徐々に再開発が始まると思うので、私もいまのうちにたくさん見ておきたいです。
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写真家の五海ゆうじです。
今写真集にまとめるためですが、クロイツベルクを調べていたら、このブログにいきあたりました。今のクロイツベルクがどうなっているかわかりなんかなつかしく書き込みました。
1975年に撮った写真です。
http://www.ab.auone-net.jp/~itsumi/profile/berulin_big2.html
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五海ゆうじさま
はじめまして。昔の記事にコメントいただき、ありがとうございます。1975年に撮影のためにクロイツベルクを回られたのですね。私の生まれた年でもあるので、不思議なつながりを感じてしまいました。写真集が完成したら、いつかぜひ拝見したいです。楽しみにしております。