ベルリンの過去をたどっていくとどうしても避けることができないのが、ユダヤ人に関する歴史、特にナチス時代のホロコーストに関わる歴史である。私もこれまで書物を通して、街角を歩いて、あるいは人からの話を通じて、この問題に直面することは決して少なくなかった。最近また思うところがあって、その関連の本を読んだりしている。これから折に触れて、今年になってから訪れたベルリンのユダヤ人関連の場所をいくつかご紹介してみたいと思う。
Sバーンのグルーネヴァルト(Grunewald)駅のホームから少し離れた場所に、「17番線(Gleis 17)」というかつての貨物ホームがある。1941年10月18日に1251人のユダヤ人を乗せた「特別列車」がここを発って以来、終戦間際までの3年半の間に約5万5千人が強制収容所(後に絶滅収容所も)に送られたという重い意味を背負った場所である。この駅を利用したことは何度かあったが、「17番線」のホームに立つのはこの夏が初めてだった。
このホームには有名な警告碑がある。このように鉄板が敷き詰められ、その1枚1枚に「強制収容所行きの列車が出た日付」、「そのとき運ばれたユダヤ人の数」、「目的地」が記されているのだ。移送されたユダヤ人の数はまちまちで、10人単位のときもあれば、1000人以上の日もある。鉄板の数は全部で183枚。ホームの手前から一番向こう側まで行き、反対側に渡ってもう一度手前に戻って来てようやく全部を見通すことができたので、その恐るべき規模をおぼろげながら実感できる。しかしこれだけをもってしても、ナチスの犠牲になったユダヤ人全体の100分の1程度でしかないのだ。
「1941年10月27日 ユダヤ人1034人 ベルリン-ウッジ」
ウッジは現在のポーランドにある、東方からのユダヤ人が多く住んでいた街。私も一度行ったことがあるが、当時はそういう背景のことを知らなかった。
「1943年6月16日 ユダヤ人428人 ベルリン-テレジエンシュタット」
自分の父親が生まれたほぼ同時期と考えると、そんなに大昔の出来事ではない。全体を通じて、一番頻繁に耳にした目的地がこのテレジエンシュタット(現チェコ)だった。1942年末からはアウシュヴィッツの名前も見かけるようになる。
一番最後の鉄板には、「1945年3月27日、ユダヤ人18人 ベルリン-テレジエンシュタット」と記されていた。暗黒の歴史に触れた後では、木々の緑と光が一際目にまぶしかった。
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現代のベルリンの日常のことだけでなく、このような歴史との接点の風景を追い続ける中央駅さんの姿勢に共感します。
絶滅収容所への「移送」列車ですが、ユダヤ人はなんと自分達自身の金で、この列車の切符を買わされたわけで(なんと団体割引!)、随分と人を馬鹿にした話です。この「移送」に関しては第三帝国の政府はReichsbahnに「移送」列車運行のために支払う金を予算としてまとまっては計上しておらず、よってその金は移送されるユダヤ人自身が支払う運賃でまかなわれる...という究極のコスト削減方法であったようです。
「歴史の風景 ― ホロコーストをめぐって」、このテーマで実は御紹介したい素晴らしい本も過去に何冊かありますが、しかし今回は中央駅さん御自身が、その鋭敏な感性と眼でとらえた「ベルリン編」、これからも期待しています。
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恥ずかしながら、こんな所がベルリンにあったなんて知りませんでした。
今、母がちょうど日本から来ています。明日私の体調がよければ行ってみようと思います。
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これは初めて知りました。こういう駅があったのですか。それにしても、赤茶けた鉄板に記す一文字一文字に重みがありますね。こういう一種のモニュメントの作り方、うまいですねー。鉄路と平行してのレイアウトにしても。
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ワールドカップで検索してたどり着いた縁でいつも拝見させていただいております。建築設計をしているので、建築の情報も教えていただき大変感謝しております。
昨年のワールドカップの際にこの17番線は私も訪問しました。
誰も人がおらず時が止まったようで不思議な場所でした。
これからもベルリン情報楽しみにしております。
東ドイツの記事が増えると特に嬉しいです(笑)。
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この日記も、ありがとうございます。僕たちも、同じ今年の夏に行ってきました。あの並木は、命と希望のシンボルとして記念碑の一部だそうです。そして個人的な印象ですが、錆びた鉄の色は、人々が強制収容所へ移送された貨物車両を連想させますね。
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>la_vera_storiaさん
おっしゃる通り、「歴史との接点の風景を追い続ける」というのは私にとって大事な作業だと思っています。ユダヤ人が自分で強制輸送のための切符代を払わされていたというのは、この駅の歴史を調べていて初めて知りましたが、驚きましたね・・・
以前la_vera_storiaさんにご紹介いただいたヴィクトール・クレンペラーの本、買ってみたものの恥ずかしながらまだちゃんと読んでいません。今は「ヴェニスからアウシュヴィッツへ」(徳永恂著)という本を読んでいます(いい本です)。おすすめの本があったら、またご紹介いただけると幸いです。
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>Pukuさん
お久しぶりです!
いまのこの陰鬱な空の下でこの場所を訪れるのは少しエネルギーがいるかもしれませんが、中心部からもあまり遠くないですし、行く価値はあると思いますよ。
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>grappa-teiさん
この警告碑は意外と新しくて、まだ10年ぐらいしか経っていません。昨年12月にはイスラエルの首相もここを訪れたそうです。
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>isamuさん
ありがとうございます。建築に携わっている方にとっては、ベルリンは面白い街でしょうね。また関連の話題もお伝えしたいと思っています。
>東ドイツの記事が増えると特に嬉しいです(笑)。
東独時代の話ということですか?DDR出身の友達のインタビューは、なんとか今年中にアップできたらと思っていますが・・・
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>キートスさん
おかえりなさい!
>あの並木は、命と希望のシンボルとして記念碑の一部
なるほど!そう考えると、並木道の向こうの光が一際印象的に見えてきます。この写真を最後に持ってきてよかった。
>錆びた鉄の色は、人々が強制収容所へ移送された貨物車両を
>連想させますね
これも納得がいきます。最初は貨物用、後には家畜用の車両が使われたそうですね・・・
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マサトさん、こんにちは!
お久しぶりです。
私もこのグリューネヴァルトの駅に行きました。
想像していたよりも小さくて静かな駅でした。
そのせいか重い歴史がグッとのしかかってくるような気がしました。
列車が旅立っていった方向を見ながら
なんとも言えない気持ちになりました。
これからユダヤ関連の場所のご紹介があるとのこと
非常に興味深く楽しみにしています!
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ドイツは過去を否定せず、きちんと次世代に語り継ぐのはつくづく立派だと思います。
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>しゅりさん
お久しぶりです!お元気でしたか?
しゅりさんはユダヤ関連の話には、もともとかなりの興味を持っておられるようですね。
グルーネヴァルト駅周辺はベルリンでも屈指の高級住宅地なので、この場所の歴史とのギャップに戸惑います。実は来月、ユダヤ関連のある重要な場所に行くことになりまして、それまでに少しでもユダヤ史の理解を深めておきたいなと思っています。
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>shioさん
ドイツの過去への取り組みはすごいですよ。本当にびっくりしてしまうくらい徹底しています。なるほど、アメリカも9・11という重いテーマに向き合い始めましたか。
>ベルリンに「抵抗博物館」という施設が
それはおそらくドイツのレジスタンスに関する施設ではないでしょうか。あのシュタウフェンベルクがヒトラー暗殺を試みた場所にあるはずです。
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>gramophonさん
そうですね。そのおかげで、多くの歴史的な場所を豊富な情報をもってたどることができるわけです。