もう大分前になりますが、ベルリンの戦前の写真集を眺めていたら、プラーク広場(Prager Platz)という円形が特徴的な広場に出会いました。日本語に訳すと「プラハ広場」。ベルリンが西に拡張する19世紀後半に開発された一帯で、地図で見ると、プラーク広場は大通りのブンデスアレーを挟んだニコルスブルク広場とシンメトリックにデザインされたのがよくわかります。冒頭の写真は1911年の絵はがき。当時のプラーク広場の様子をよく伝えてくれます。
この広場が実は自宅から歩いて行ける距離にあることを知ったのは、ヴィルマースドルフに引っ越して少し経ってからのことでした。
U9のGüntzelstraße駅の北側出口を上がると、目の前に大きなオーガニックスーパーが建っています。後ろを振り返ると、『ベルリン・天使の詩』に登場するインビスが見えるはず(以前こちらでご紹介)。そのまま北側にまっすぐ行くとベルリン在住者ならおなじみ、日本食レストラン「一心」(Ishin)のブンデスアレー店(Bundesallee 203)が右手に見えてきますが、今回はオーガニックスーパーの前で右折し、トラウテナウ通りを歩いて行きましょう。
駅から広場へは歩いて3分もかかりません。冒頭の絵はがきとほぼ同じアングルから撮った写真がこれ。右手はモッツ通り、左手はプラーク通り。この辺りは戦争の被害が著しく、残念ながら戦前の趣はほとんどありません。これらのモダンな建築群は、1987年以降ベルリン国際建築展(IBA)のプロジェクトで造られたものです。この写真の右端に、たまに行くカフェが見えるので、ちょっと行ってみましょう。
Prager Platz 6にあるCafé BagCo。セルフサービスのごく普通のカフェなのですが、ここでくつろぐ時間はなかなかいいものです。
私たちのお気に入りは、大きな窓に面したこのカウンター席。足がつかえやすくて、お世辞にも座りやすい構造ではないのですが^^;)、本や新聞を読みながら広場を行く人々を時折ぼんやり眺めるのが好きなのです。
右手にはプラーク通りが奥へと続きます。昨年『エーミールと探偵たち』の舞台を調べている時に知ったのですが、作者のエーリッヒ・ケストナーは1920年代当時、プラーク通り6番地に住んでいたのですね。原作の序文にある、(自宅の窓からプラーク広場の方を眺めながら)「手ごろなお話が通りかからないかなあと考えていた」(池田香代子訳)という箇所からあれこれ想像したり、映画の中のシーンを思い出したりしていると、カフェでのひと時が一層味わい深くなるのであります。
Café BagCo
Prager Platz 6
10779 Berlin
Tel: (030) 54737954
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凄い懐かしい写真ですね。Trautenaustr.には行きつけのケバブ屋さんがあり、そこで買ったDoener(ニンニクソースでないほうがお勧め)を噴水を眺めながらよく食べていました。
Prager PlatzからBayerischer Platz(バイエルン広場)に掛けてのこの地区(今は周囲の通りの名前からBayerisches Viertel「バイエルン地区」と呼ばれる)ですが、1920年代は「ユダヤ・スイス」として花開き、ユダヤ系の学者、作家などが数多く住んでいたそうです。中で最も有名なのはアルベルト・アインシュタインでしょうかね.
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アインシュタインはご近所さんだったのを知っていましたが、ケストナーもこんな近くに住んでいたんですね!
1年に一回ですがお祭りがあります、確か6月だったかなー。
うちのフィリップはほとんど毎日ここへ買い物に行きますよー(笑)。
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キートスさん
コメントお待ちしていました(笑)!
Trautenaustr.のケバブ屋さんは駅からすぐのところですよね?一昨日それらしき店を見つけたので、今度行ってみようと思います。
>1920年代は「ユダヤ・スイス」として花開き、
重要なご指摘をありがとうございます。アインシュタインが住んでいた家には去年足を運んだので、ケストナーの家と併せて、今度ご紹介したいですね。といっても、現在は普通のアパートにプレートがあるだけですが。
Nemukoさん
これまたご近所さんですね(笑)。「1年に1回のお祭り」って、アインシュタインやケストナーにまつわるものですか?ちょっと気になるので、また今度教えてください。
フィリップにもどうぞよろしく!
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はい、駅のすぐ近くです!ちなみに明日はドイツへ発ちます。月・火はベルリンにも行きますので、ちらっと連絡をするかも。でも一人ではないので忙しい(ベルリンはただの観光ですけどね)。では、また!
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masatoさん はじめまして
とても充実した ベルリン中央駅 いつも楽しみに拝見しています。
ベルリンは何度か訪問したことがあるのですが、masatoさんの街角探検の記事を拝見すると まだまだ知りたいことがいっぱいだ!と感じます。
実はわたしの祖父は(生きていればもう130歳ぐらいでしょうが)戦争よりも前に医学の勉強のためベルリンに留学していて ドイツ語も堪能で戦前の日本へ帰国したあとも葉巻やコーヒーやチーズを楽しんでいたそうです。
masatoさんのブログを読みながら、いつも祖父はどこの通りに住んでいたのだろうかと考えます。
今回は大好きなケストナーも出てきたので、思い切ってコメントをさしあげる次第です。
こんど リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
今後ともどうぞよろしくお願いします。
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キートスさん
先日はどうもありがとうございました。お蔭さまで、翌朝技術屋さんが来てくれて、暖房は元通りになりました。ああ恐かった^^;)。またメールしますね。
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sachanさん
はじめまして、初コメントありがとうございます!
とてもうれしく拝読しました。
>実はわたしの祖父は(生きていればもう130歳ぐらいで
>しょうが)戦争よりも前に医学の勉強のためベルリンに留学
>していて
それは興味深いですね。私の先祖の中にも、戦前ベルリンに留学していた人がいて、その足跡を調べられたらと思っています。このプラーク広場の少し北側には、戦前日本人街があったので、ご先祖がこの辺を歩かれていた可能性は十分にあるでしょうね。
リンクはもちろん歓迎です。ブログは日仏両方で綴っておられるのでしょうか。すごいですね。こちらこそどうぞよろしくお願いします。
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masatoさん リンクご快諾いただき、とてもうれしいです。ありがとうございます☆
わたしの曾祖父(母の母の父)は黒田の殿様といっしょにケンブリッジに留学し、祖父は(母の父)は先日申し上げたようにベルリンへ留学したそうです。ツエッペリンの形の銀製の葉巻入れを大切にしていたそうです。あまりにも繰り返し話を聞かされたので、見た事のあるような気がしてしまいます・・・いつか足跡が辿れたら素晴らしい。夢の計画として大切にしますね。
わたしはずっと日本に住んでいましたがフランス語をやっていてドイツ語圏に引っ越すとは思ってもみなかったのですが・・・運命のいたずらです。ご先祖様が助けてくれるといいけど。
ではまたお邪魔いたしますね。とりいそぎ御礼まで。
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sachanさん
貴重なお話をありがとうございます。こうして読むと、ご先祖様は大変なエリートだったのですね。当時ベルリンは日本人留学生にとって学問の都だったわけで、彼らがどういう気持ちでベルリンに目指したのだろうかと思うと、想像力が膨らみます。「ツエッペリンの形の銀製の葉巻入れ」がいいですね。
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はじめまして。2011年9月にベルリン旅行へ行きます。中村さんの「素顔のベルリン」を読みながら旅のスケジュールを立てています★10年前に初めて訪れたベルリンがどんな風に変わっているのか楽しみです。
私が8歳ぐらいの時によく読んでいた本が「エミールと探偵たち」で、本棚でひっそりと寝ていました。中村さんのblogを訪れて、「エミール〜」の文字を発見して、すぐに本棚に飛んだところ、懐かしい本を目にしてとてもあたたかい気持ちになりました。20数年経っても捨てずにとっておいてあったのは偶然ではないかもしれません。ぜひ、Café BagCoを訪れようと思います。
余談ですが、わたしは中村さんの故郷、横須賀にほど近い横浜に住んでいます!学校の幼なじみが横須賀にたくさん住んでいるので、なんだか親近感を感じてしまいます。
これからもご活躍をお祈りしております
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chiyaさん
コメントありがとうございます。「エミールと探偵たち」との不思議な縁を感じさせるエピソードですね。この作品は戦前に映画化されているので、それをご覧になってから来られると、一層感慨が深まるかもしれません。
http://berlinhbf.exblog.jp/7168569/
私もケストナーの他の作品をもっと読んでみたくなりました。
どうぞよいご旅行を!