このブログを始めた2005年から折に触れて、ベルリンの王宮広場の移り変わりをお伝えしてきましたが、この6月、ついに王宮の再建工事が始まりました。冒頭の写真は昨年4月の様子。この数年間、芝生が敷かれ市民の憩いの場だった旧共和国宮殿の跡地は、いつの間にか様子が大きく変わりました。
6月16日は取材で慌ただしい日だったのですが、夕方に何とか間に合いました。王宮の定礎式が行われた数日後というこの日曜日、Tag der offenen Baustelleとして工事現場が一般に公開されたのです。今後5年以上はかかる国家的な大工事、中を歩ける機会もそうないだろうと思いぜひ見てみたかったのでした。
フンボルト・ボックスの横から敷地内に入ると、仮説の通路に沿って歩けるようになっています。特設ステージで演奏されるビックバンドの音楽が鳴り響く中、先へと行ってみました。
共和国宮殿の時代のものか、鉄骨の残骸が生々しい形で置かれていたりもします。写真を撮っていたら、隣から「何だかアート作品みたいね」という声が聞こえてきました(笑)。
一番奥に人だかりができています。何が置かれているのでしょうか?
これこそが王宮の礎石。重さ2.5トンのこの石は、バンベルクの工房が1950年に破壊された王宮の第4門の破片を組み込んで作ったものだそうです。多くの人がこの前で記念撮影をしていました。
その翌日、別の用事があってフンボルト・ボックスに上ったのですが、昨日歩いた道は消え去り、もう何事もなかったように工事が再開されていました。
奥に見える建物の正面ファサードこそ、旧王宮の第4門です。1950年に東独政府は王宮を爆破したわけですが、この第4門はカール・リープクネヒトがドイツ社会主義共和国の宣言をした場所ということで、国家評議会の建物に組み込んだのです。先ほどの礎石に第4門の破片が混ざっているのも、表面の「1443 – 2013」の文字も、「王宮再建」の象徴的な意味が込められてのことでした。
共和国宮殿の解体と王宮の再建を巡ってはいまも賛否両論分かれているほどですが、ここまで来たらもう引き返すことはできないでしょう。王宮広場がいよいよ本格的に動き出しました。
—————————————–
ベルリン王宮の再建始まる=巨費に批判も-ドイツ
【ベルリン時事】ドイツのベルリン中心部で12日、第2次大戦中に連合軍の空爆を受けて廃虚となり、その後、旧東独政府が破壊したベルリン王宮の再建工事が始まった。2019年完成の予定で、博物館や大学施設として利用する。
旧王宮は15世紀半ばに一部が建立され、18世紀初めにほぼ完成。大戦中の空爆で炎上し、修復は可能だったが、王宮を「軍国主義の象徴」とする旧東独政府が1950年に爆破した。
旧東独は76年、跡地に人民議会の議場のほか、コンサートホールやボウリング場などの娯楽施設を備える「共和国宮殿」を建設した。しかし、90年のドイツ統一直前、大量のアスベスト(石綿)の使用が判明して閉鎖され、2008年に解体した。
横120メートル、縦200メートルの巨大な新王宮の建設費は5億9000万ユーロ(約760億円)。欧州が債務危機に直面する中、巨額な費用に批判の声も上がっており、シュテルン誌の世論調査では、再建に反対との回答は65%で、賛成の30%を大幅に上回った。(2013/06/13-07:38)