作家の村上春樹氏が、ドイツの大手日刊紙ディ・ヴェルトが主催するヴェルト文学賞を授賞し、11月7日、出版社アクセル・シュプリンガーの本社ビルで行われた授賞式に参加しました。
ナチスが台頭する以前の1920年代のベルリンは、文学や映画などの分野で文化が花開き、130以上もの新聞が発行されるメディアの中心地でもありました。この賞は、戦前ベルリンで活躍したジャーナリストのヴィリー・ハース(1891~1973)を記念して作られたもの。1999年以降毎年1人を選出しており、これまでにベルンハルト・シュリンク、ケルテース・イムレ、フィリップ・ロスといった著名作家が受賞しています。
村上氏はドイツでも抜群の人気と知名度を持つだけに、大勢の招待客で埋まった客席は期待感に満ちていました。
小説『1Q84』で、重要なモチーフとして使われるヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のファンファーレが流れる中、開始予定の19:00より少し遅れて授賞式は始まりました。同紙文芸部の編集長リヒャルト・ケメリングス氏が村上氏を歓迎する挨拶を述べた後、女優のフリッツィ・ハーバーラント氏により、村上氏の短編小説『パン屋襲撃』が朗読され、その合間にはやはり作品に登場するワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の音楽が流れました。
村上氏は一貫して音楽を作品のモチーフに取り入れてきたことで知られていますが、その後、米国の著名なロック歌手のパティ・スミス氏がサプライズで登場。村上作品の大ファンを公言している彼女は、ギターの弾き語りで3曲を披露し、67歳とは思えないほど若々しく伸びやかな声に、参加者は皆感嘆していました。
オーストリア人作家クレメンス・ゼッツ氏は、「村上さんの作品がなかったら、世界はより貧しいものになっていただろう。あなたと同時代に生きていることを嬉しく思う」と熱烈な賛辞を寄せ、続いて授賞セレモニーが行われました。特に印象深かったのは、最後の村上氏のスピーチです。1983年に初めて東ベルリンを訪れた際にオペラを観て、帰りにハラハラしながらチェックポイント・チャーリー検問所まで走った体験談に始まり(村上氏は、このときの滞在を基に『三つのドイツ幻想』という短編を書いています)、「人と人、価値と価値を隔てて、一方では自分たちを守ってくれるが、他方では向こう側の人を排除する論理で作られている壁」が、自らの創作活動の重要なモチーフであり続けてきたと語りました。
「壁を抜けて違う世界を見る。それを描くのが作家の日常の仕事。読者もまた、作家とともに壁を抜けることができる。厚い壁を抜けて、再び戻ってきたときに味わう自由。その身体感覚こそが、読書において最も大事なことだと確信している。壁のある現実で、壁のない世界を想像すること。物語はその力を有していると考えたい」。
奇しくもこの日は、ベルリンの壁崩壊25周年の光の風船の点灯が始まった日でした。壁について改めて考える機会を、日本人の作家から与えられたことに感謝したくなりました。(ドイツニュースダイジェスト 12月5日)
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nobunyです。
村上春樹氏のヴェレト文学賞のスピーチ訳文、読みました。
エルサレム賞のも良かったですが、こちらもジーンときました。
今、ベルリンに来ております。
昨日はバウムシューレンヴェクのクレマトリウムに行ってきました。
幸い、使用中ではなかったので、1人でゆっくり見学できました。
しかし、写真撮るのが有料なのはいいのですが、オフィスが見つけにくくて火葬場の周囲まで一周してしまいました。
ホールの中にあんなに目立たないよう造ってあるとは!
そして、あのホールの横のオフィスで大音量のオペラが流れていたのに驚きました(笑)。
ストックホルムの森の墓地を思い出させるような建築ですね。
ドイツ人も亡くなったら森に還って行くのでしょうか?
昼間はウロウロ、夜はステージであっという間に明日は帰国です。
思った以上に寒かったですが、この時期のベルリンはステキでした。
またゆっくり来たいと思います。
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nobunyさん
コメントありがとうございます。
ベルリン滞在はいかがだったでしょうか。
バウムシューレンヴェクのクレマトリウムに行かれたのですね。私が去年行ったときは一般公開の日で撮影もガイドツアーも無料だったのですが、通常は撮影料もかかるのですか。
オフィスがそんなに目立たない場所にあるというのも意外です。オペラが大音量で流れていたというエピソードには思わず笑ってしまいました。
少し前まで寒かったのですが、クリスマスのベルリンは10度近くまで上がり、ちょっと拍子抜けです。
どうぞ良い年末年始をお過ごしください。