地下鉄のローゼンターラー広場駅からプレンツラウアー・ベルク地区の方向へ小高い丘を上って行くと、高い尖塔を持つシオン教会が見えてきます。近年家賃の高騰が進み、それに伴い街並みも洗練されていく傾向にあるこの周辺の中で、シオン教会は今も古めかしい趣を残しています。
現在ここで「アナーキーと地下の部屋(夢)Anarchie und Keller(t)räume」という展覧会が行われています。シオン教会は、1989年のベルリンの壁崩壊へと続く「平和革命」の歴史において重要な役割を果たした場所として知られています。ちょうど30年前の1986年9月2日、東ベルリンで「環境図書館Umwelt-Bibliothek」という反体制組織が設立されました。当時の東ドイツでは深刻な環境汚染が進んでいましたが、ドイツ社会主義統一党の当局はこの問題や、その数カ月前に起きたチェルノブイリ原発事故を公の議論に持ち込むことを容認しませんでした。そんな中、シオン教会からほど近い集会所内の地下室にハンス・ジモン牧師の協力のもと、熱意を持った若者たちが集まり、小さな図書館を作りました。彼らは行動を制限される中、環境や人権問題についての情報を集めては簡素な新聞を作り、人びとに問いを投げかけようとしたのです。
さて、教会入り口の右手にある階段を上って行くと、2階の展示会場へとつながります。展示の中心になっているのはディルク・モルトが描いた風刺画。環境図書館のメンバーと親しかったモルトは、主に新聞に添える挿絵を時にユーモアを込めて描き続けました。近くには、新聞を印刷する際に使われた印刷機やインクも展示され、彼らの「熱気」がじかに伝わってくるほどでした。
1987年11月24日から25日にかけての夜、事件が起こります。かねてから環境図書館の活動に目を光らせていたシュタージ(秘密警察)が地下室に突入し、メンバーの7人を逮捕、さらに印刷機などを押収したのです。翌朝、環境図書館や教会の関係者は彼らの釈放を求めて現場に立ち続けました。やがてほかの反体制グループや周辺住民も彼らへの連帯を表明し、大きな抗議行動へとつながります。この模様を西側のメディアが大々的に報じました。結果的に、当局は彼らを釈放。シュタージの意図とは裏腹に、環境図書館の存在はドイツ全土に知られることになったのです。
「この動きが後に、ゲッセマネ教会などベルリンのほかの教会にも波及しました。ベルリンの壁崩壊に至る民衆ののろしはここから上がったのです」とシオン教会に勤めるマリンゴさんが話してくれました。この教会の2階を訪れる機会があれば、うっすらと文字が浮かぶ床の部分にご注目ください。これは、環境図書館のメンバーが逮捕されたとき、抗議の意志を示す横断幕が書かれた文字の跡です。歴史に名を刻んだ言葉は、現在透明のガラスで保護されています。展示は10月2日(日)まで。www.ub30.de
(ドイツニュースダイジェスト 9月16日)
中村様、いつもブログ楽しみに見させていただいております。
私は2012年にシオン教会に行ったことがあります。正確に言うと、道に迷ってたどり着いたというところなのですが。後で調べてみると、いろいろ興味深いできごとがあったようで、詳しく知りたいと思っておりました。
今回のこのブログでシオン教会で何があったのかを知ることが出来ました。ありがとうございます。
今年の12月にまたベルリンへ行こうと思っておりますが、その頃にはこの展示は無いのですね、残念です。展示が終わっても、内部の床の文字の跡などは見ることが出来るのでしょうか。今回、もう一度訪ねてみようと思います。
ペコリーノさん
コメントをいただき、ありがとうございました。
シオン教会、昔から古めかしい佇まいは変わらないのですが、大変意義深い歴史を持つ場所なのです。
この展示はすでに終わっていますが、教会に入ってすぐ右側の階段を上がって行くと、文字の跡は見られると思います。また日曜日は教会の塔も開放していて、上からの眺めはなかなか素晴らしいです。ベルリンに来られたら、ぜひ足を運ばれてみてくださいね。