ミッテ地区のルイーゼン通りにあるベルリン森鴎外記念館(Mori-Ôgai-Gedenkstätte)が、約半年の準備期間を経て、この3月末にリニューアル・オープンしました。現在フンボルト大学(旧ベルリン大学)の付属施設であるこの記念館は、今からちょうど130年前の1887年4月、ドイツ留学中の森鴎外がベルリンで最初に下宿したアパートの建物内にあります。
新設展『森鴎外—異文化との出会い』の大きな特徴は、世界的にも珍しくドイツ語・日本語の2カ国語で表記されていること。ベアーテ・ヴォンデ副館長は、「一般的にドイツ人の訪問者は鴎外のことをほとんど知らないのに対し、日本からの訪問者はすでに学校で『舞姫』を学び、とても具体的な質問をする。双方にとって有益な展示内容を考えるのは大変だったが、何より鴎外の文学と彼の多面性を紹介したかった」と語ります。
展示の最初に、1870年から1914年にかけてベルリン大学で学んだ747人の日本人留学生の名前がリストアップされているのが壮観です。鴎外と北里柴三郎は恩師のロベルト・コッホのもとで個人的な指導を仰いだためにこの正規留学生のリストの中には入っていませんが、ベルリン大がまさしく「日本の近代化の母校」(ヴォンデ副館長)だったことがうかがえます。
その隣の『鴎外のベルリン』では、鴎外とその文学にゆかりのあるベルリンの地を、大きな地図や写真、作品からの引用を通して紹介。新しい常設展のパネルには白木や和紙が使われており、100年以上前に建てられた古い住居と美しい調和を形作っています。奥にある記念室は鴎外が滞在した時代の調度品で満たされ、当時の生活に想いを巡らすことができるでしょう。
実は今年は、ベルリン大の創設者、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの生誕250周年。「鴎外はフンボルト兄弟の本をたくさん読んでいて、『(自国や外国で)学んだことは全世界に還元すべきだ』という彼らの教育理念に共鳴していました。近年、日本から海外に留学する人が減っていると聞きます。鴎外という先駆者を通じて、異国で自らの地平を開拓することの意義を、少しでも伝えられたら嬉しい」と自身フンボルト大で学び、早稲田大に留学経験があるヴォンデさんは力を込めて語りました。
文学者、翻訳者、軍医、衛生学者として、さらに現在の「ブログ」の先駆けのような「椋鳥(むくどり)通信」の執筆者等々、学ぶことが無上の喜びだった鴎外は、一体どれだけの顔を持っていたのでしょう。知的好奇心が刺激される多彩な展示内容。日本ではなく、鴎外がかつて身を置いたベルリンでそれらと出会うことにより、より強い印象が喚起されます。ヴォンデさんによれば、リニューアル・オープン以来、訪問者の滞在時間は大幅に増えたそうです。
www.iaaw.hu-berlin.de/de/region/ostasien/seminar/mori
(ドイツニュースダイジェスト 4月21日)
中村様
オラニエンブルク強制収容所の記事を読みました。
中村様の正確な記述に、以前訪問した思い出が鮮明に蘇りました。
駅から収容所まで歩いたのですが、入口の場所が分からず右往左往してようやく入ることができました。
広い所内、見学の人も少なく、じっくり落ち着いて見学したことを覚えています。
とても満足したので、寄付を奮発しました。
yanosonoさま
コメントをいただき、どうもありがとうございました。
ザクセンハウゼン強制収容所の記事をお読みいただき、嬉しく思っています。
yanosonoさんが訪問されたのはいつ頃のことでしょう。
近年内装がきれいになり、展示内容もさらに充実した感があります。
ゆっくり見学されたのはよかったですね。