5月4日から、ベルリン市営のメルキッシュ博物館で『ベルリン 1937年-明日への影の中で』という展覧会が開催されています。最初にこの展覧会のタイトルを聞いた時、ヒトラーが政権を取った1933年でも第二次世界大戦が始まった1939年でもなく、なぜ1937年という年に焦点を当てたのか興味を抱きました。
ベルリン五輪が華々しく開催された1936年、そしてオーストリア併合や「水晶の夜」事件に刻印される1938年。この大きな年に挟まれた1937という年は、ナチス支配下においてつかの間の幾分落ち着いた時期だったようです。では「明日への影」が忍び寄るこの年、ベルリンの風景や人々の生活はどのようなものだったのでしょう。当展覧会は、その後の世界大戦やホロコーストといった巨大な出来事に着目すると陰に隠れてしまいがちな市民の日常生活を、多数の資料を使って丹念にすくい上げようとした試みといえます。
地下展示室の最初の方に、1930年代のオートバイが展示されていました。その横の画面にはバスの前方から撮影した当時のベルリン市内の様子が映し出され、臨場感ある眺めに思わず見入ってしまいます。ほかの大都市と変わらない、一見ごく普通の風景。しかし、ナチス政権の誕生から4年が経ち、ナチズムの影響は生活の深い部分にまで入り込んでいました。例えば、プレンツラウアー・ベルク地区の公園のベンチの約9割には、「ユダヤ人の使用禁止」と書かれていました。政府に批判的な新聞やポスターは街角から消え、情報統制が一層進んでいたのです。
通りに制服姿のナチス党員が増え、密告の恐怖から、公の場で政治について語ることがタブーになっていたのもこの頃。同年のムッソリーニのベルリン訪問やベルリンの市制700周年の祝賀行事では、通りが鍵十字の旗で埋め尽くされ、「民族共同体」としての一体化が強調されます。「ユダヤ人を始め、そこに属さない人々の危機に、当時の多数派の人はどれだけ想像を巡らせていたか。自分がその時代にいたらどういう生活を送っていたか」という問いに否応なしに直面します。ベルリン郊外にザクセンハウゼン強制収容所の建設が始まり、有事を想定して大規模な防空演習が始まったのもこの時期です。
オープニングに際しての会見で、ディレクターのパウル・シュピース氏は、今の激変の時代を明確に意識してこの展覧会のコンセプトを考えたことを説明し、「1937年はすでに遅かった。でも、まだ『遅過ぎる』ということはなかった」と語りました。2017年という年は、果たして後世にどう写ることになるのでしょう。この一言は胸に突き刺さりました。
Berlin 1937 – im Schatten von morgen
2018年1月14日までの開催。展示は独英表記。
www.stadtmuseum.de
(ドイツニュースダイジェスト 5月19日)