毎年8月、ベルリンのコンツェルトハウスでは世界のユースオーケストラの祭典「ヤング・ユーロ・クラシック」が行われます。今年は、グスタフ・マーラー・ユーゲント管など名だたる団体に混じって、広島のエリザベト音楽大学のオーケストラと合唱団が初めて招かれました。
エリザベト音大は、第2次大戦後間もない1948年に設立されたカトリック系の私立大学です。今回のドイツ公演には学生のみならず、卒業生や教職員も加えた約130名が参加。ジョナサン・ストックハンマー指揮のもと、8月25日に広島市の姉妹都市であるハノーファーの教会で演奏した翌日、ベルリンでの大舞台に臨みました。
プログラムはベートーヴェンのカンタータ《静かな海と楽しい航海》、シューベルトの交響曲第7番《未完成》、そして広島出身の作曲家細川俊夫の《星のない夜—四季へのレクイエム》という意欲的なもの。特に注目を集めたのが、ベルリン初演となった細川氏の作品でした。もともとドレスデン大空襲で破壊された聖母教会の再建に際して構想されたという《星のない夜》は、合唱と2人の女声ソリスト、2人のナレーターを含む大規模な編成の作品です(2010年世界初演)。
細川氏は、オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルが四季に寄せた詩に音楽を付け、さらにその流れを断ち切るかのように、自然に反する人間の最たる野蛮行為である世界戦争の2つの悲劇を挟み込ませます。冒頭の「冬に」で合唱が作り出す風の音や吐息、さらに風鈴の音なども交えながら、寒々とした生と死の気配が描かれると、尺八を思わせるようなアルト・フルートの表現的なソロがホールを揺さぶります。そして、1945年2月13日のドレスデン空襲の記憶が、当時9歳と8歳だった子供の克明な回顧録を通じて語られます。ドイツ人ナレーターによる2人の声はやがて重なり合い、逃げ場を失った人々の恐怖が聴く者の肌にまで伝わってくるかのようでした。
トラークルの「夏」の後にやってくる「広島の墓標」では、ドレスデン空襲とは対照的に、被爆を経験した少年の言葉がオリジナルの日本語で簡素に読み上げられます。最後の「みんななにもいいませんでした」という一節の中に、起きてしまった事実の途方もなさが凝縮されているように感じました。
《星のない夜》の独創性は、とりわけその後の「天使の歌」に現われているといえるかもしれません。ここではパウル・クレーの水彩画「新しい天使」にユダヤ神秘主義のゲルショム・ショーレムが寄せた詩を音化し、人間の破壊行為に対して怒る天使の声を2人の女声ソリストに託しているのです。
細川氏は開演前のプレトークに登壇し、「今日演奏する130人の広島の音楽家たちは、被爆者の第3世代に当たります。この作品と向き合うことを通して、われわれの過去について熟考する。私はここにいくばくかの未来があると思います」と語りました。
戦争の記憶が今も色濃いベルリンでこの大作を初演し、日独の歴史をめぐる内面の交流へと導いてくれた出演者の皆さんに、心からの拍手を送りたいと思います。
(ドイツニュースダイジェスト 9月15日)
こんにちは。今年の 3月ガイドをして頂いた親子です。(2000年生まれの息子→17歳です。ベルリンで暮らし始めた年で感慨深いと言ってましたね) あの時は風邪を引いてらして体調が優れない中で丁寧に観光案内をしていただきました。教会を始め一緒に回った観光の場所を再度、復習しました。中村さんのブログでも書かれてるように私も今では、ドイツの歴史にとても興味があります。またガイドをご依頼する際には宜しくお願いします。最後にご報告ですが、6月からベルリンに住み始めまして、3ヶ月間の観光ビザが切れる9月から服飾デザイナーとしてフリーランスビザを手に入れました。これから同じベルリンの居住者として宜しくお願いします。
森さま
先日はご丁寧なコメントをいただき、ありがとうございました。
お返事がすっかり遅くなり、申し訳ありません!
10月は一時帰国しており、少し前にベルリンに戻りました。
3月にご案内させていただいた時のことはよく覚えています。
最近、フリーランスビザを取得されたとのこと。よかったですね。
息子さん共々、良いベルリン生活のスタートが切れることを願っています。
ガイドのご依頼はもちろん喜んで。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。