昨年2月、ブログに「ピアノがやってきた!」という記事を書いたことがある。コロナ禍の最中に、たまたま知人を通じてベルリンのある教会から古いピアノを譲っていただく機会に恵まれ、ゼロからピアノを始めたことを綴った。
あれから1年半以上が経ったが、すっかりその面白さに取り憑かれてしまった。私がピアノを練習するのは大体夕食後。せいぜい30〜40分程度だが、ピアノを弾いている時は目の前の音楽のみに没頭する。多少忙しいときでも毎日弾いていると、できることが少しずつ増えていく。この感覚がとても新鮮なのである。
この歳でゼロからピアノを始めた私だが、かつて一度だけ自分からピアノを学ぼうとしたことがあった。フリードリヒ・グルダやグレン・グールドの録音に感化され、どうしてもピアノを弾いてみたい衝動に駆られ、浪人2年目の春にクラビノーヴァを買った。その頃、愛聴していたCDにダニエル・バレンボイムが弾くモーツァルトのピアノ小品集があった。この録音はなかなかユニークな構成になっていて、前半はモーツァルトの円熟期のソロ曲(アダージョK.540やロンドK.511など、濃密な作品も含む)が、後半は彼の最初期の曲が収録されている。ケッヘル1番から5番は、モーツァルトが6才の頃に書いた可愛らしい曲だ。楽譜にして1ページか半ページの長さ。私はそれらの楽譜まで買ったのだが、まったくの初心者がいきなり弾けるほど甘くはなかった。そのうち受験勉強でそれどころではなくなり、大学ではオケでフルートの練習に明け暮れたので、ピアノへのチャレンジはそこで終わってしまった。
一昨年の暮れにピアノを始めてから2ヶ月ちょっと経った頃だろうか、モーツァルトのあの小品のことが頭によぎった。今こそ再チャレンジできないだろうかと。近所にお住まいのピアニストの友人Mさんにそのことを相談してみたら、ありがたいことに、楽譜にすべての指使いを書いてくださった。そこからの悪戦苦闘については省略するけれど(笑)、K.1メヌエットとトリオの一音一音の鍵盤に手を置いて確かめるところから始めて、数ヶ月かけて徐々に弾けるようになってきた。そして、K.2のメヌエット、K.3のアレグロへ。昨年夏にはMさん宅でのホームコンサートに出演させていただき、K.1からK.3までの3曲をなんとか通して弾くことができた。そして、続きのK.4とK.5のメヌエットも練習し、息子のピアノの先生のレッスンを受け、昨年末にピアノの発表会で出演者のほとんどは子どもという中、これらの曲を弾かせていただいた。去年1年はほとんどこの5曲で終わってしまったが、ピアノは一生聴くだけのものと思っていただけに、私にとってまさかの人生の転換となり、大袈裟でなく新しい視野が開けたような思いだった。
つい最近、バレンボイム弾くモーツァルトのあの小品集が、ピアノソナタ全集と変奏曲集の一環として久々に再発売されたので、早速手にとってみた。このCDを聴くのはかれこれ20年以上ぶりである。あの頃はまさか自分がベルリンに住むなんて思いもしなかったから、こうしてベルリンの自宅で懐かしい録音に耳を傾けるのは特別な感覚があった。1985年収録のバレンボイムの演奏はさすがに立派なもので、モーツァルトの幼少期の無邪気な作品を、後の飛躍を暗示するかのように、持ち前の美音で陰影豊かに響かせている。健康状態が懸念される最近のバレンボイムだが、どうか快復して、彼のあのコロコロと戯れるモーツァルトをまた生で聴けますようにと願わずにはいられない。
ピアノといえば、この8月に広島を再訪し、「明子さんのピアノ」に再会する機会があった。8月6日を広島で過ごすのは私にとって初めてのこと。夕刻、原爆ドームの前で灯籠流しを見た後、元安橋のたもとの被爆建物「レストハウス」で行われたピースボート主催のオンラインイベントに同席することができた。イベントが終わり、スタッフの方々が機材などを片付けている最中に、特別に許可をいただいて明子さんのピアノを少し弾かせてもらった。鎮魂の想いを寄せながら、モーツァルトのK.2とK.3を・・・。2020年2月に広島で取材したときは、どこか遠慮してこのピアノの鍵盤に触れることもなかったのだが、下手な演奏とはいえ、今回は天国の明子さんと少しばかり言葉を交わしたような気持ちになった。
この日の広島では市内のあちこちで音楽が奏でられていた。ウクライナにルーツをもつ音楽家が被爆ヴァイオリンを弾くコンサートも行われたようだ。ベルリンに戻り、こちらでの日常を過ごす中で、朝日新聞の連載小説を終えた作家の多和田葉子さんがこんなことを語っている記事に出会った。「小説の続きを読めること、それが平和」と。いまの私ならば、「夕食の後にピアノが弾けること、それが平和」ということになるだろうか。ウクライナから連日のように届くおそろしいニュースに触れ、やり場のない感情を抱えつつ、今日もモーツァルトやバッハの曲を少しずつ練習している。