U6 Stadtmitte駅にて(7月24日)
最近またベルリンに関する本を一冊読んだ。三宅悟さんという方が著した「私のベルリン巡り(中公新書)」という本。前回ご紹介した「舞台・ベルリン」は一人の市民から見た戦後直後のベルリンだったが、この本では権力者の栄枯盛衰という視点からベルリンが描かれている。普通はあまり注目されることがないポツダムやシュパンダウといった周縁の地にもスポットが当てられているのが面白く、また壁崩壊直前の数年間を東ドイツで過ごした筆者ならではのエピソードも随所に織り込まれていて、とても読ませる内容になっている。
さて、この本を読んで私が一番リアルな歴史を感じたのは、私が日常よく利用する地下鉄Stadtmitte駅を巡る話だった。今回はそのStadtmitte駅の、あるトンネルにまつわるお話をしてみたいと思う
(少々長いですが、お読みいただけるとうれしいです)。
私はベルリンを南北に結ぶ地下鉄U6の沿線に住んでいる。そこから例えばポツダム広場に行く場合は、Stadtmitte(市中央駅)で降り、東西線であるU2に乗り換える。どちらも同じ名前の駅なのになぜかお互い離れていて、毎回異様に長い地下の連絡通路(全長160メートルもある)を歩かされることになる。急ぎの用があって、しかも乗り換え時間が数分しかないような時は毎回走らなければならず、何度この通路のことをうらめしく思ったかしれない。ただ、毎回歩かされるのはいいとしても、この駅がどうしてこんな面倒な構造になっているのか私はずっと不思議に思っていた。
写真:こちらはU2のStadtmitte駅。
20世紀の初頭、ベルリンの中央部を東西に結ぶ地下鉄が建設されることになった。設計側としてはこの地図の中央に東西に伸びているライプチヒ通りに沿って地下鉄を通らせたかったらしいが、道路事情から市は反対した。結局、この地図を見てもわかるように、目抜き通りであるライプチヒ通りを迂回する形で現在のU2は建設されることになる。
しばらく経った後、今度はベルリンを南北に結ぶ地下鉄が作られることになった。しかし、この南北線とすでに完成している東西線(U2)は、当時全く別の会社でライバル関係にあった。新しい南北線(U6)は東西線の事情を無視して、東西線の駅から200メートルも離れた場所に「ライプチヒ通り駅(現在のStadtmitte駅)」を建ててしまった。それではあまりだというので、少しでも乗り換えの便宜を図るため、両方の駅を結ぶ全長160メートルもの地下トンネルが作られた。これが現在にまで至る、Stadtmitte駅の不思議の理由である。この長い地下トンネルは、いつしかベルリンっ子たちから「ねずみトンネル(Mäusetunnel)」と呼ばれるようになった。なぜ「ねずみ」なのかは、よくわかっていないらしい。
この「ねずみトンネル」は、その後思わぬところから歴史の舞台になる。
市中央駅の隣のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)周辺は、戦前は官庁街として知られ、ヒトラーの総統官邸もこのすぐ近くにあった。時は第2次世界大戦末期、ヒトラーが自殺した翌日の1945年5月1日の夜のこと。ヒトラーの取り巻きを始めとした総統官邸の人間は、ソ連軍に捕まるのを避けるため、地下鉄のトンネルを通って町の北側に抜けようとしたのだった。
準備に手間取り、11時近くになってやっと最初のグループが出発した。20人ばかりの男女で、そのリーダーはベルリン官庁街防衛司令官として、ベルリン最後の拠点となった総統官邸の防衛を指揮したモーンケ少将であった。官邸から地下鉄2番線のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)の入り口まではわずか200メートルにすぎなかったが、ソ連の狙撃兵に撃たれる危険があった。しかし一行は無事入り口に着いた。階段はこなごなに破壊されていた。一行はすべったり、つまずいたりしながらトンネルに降りた。真暗なトンネルの中は、避難してきた付近の住民や負傷した兵士でごったがえしていた。次の市中央駅までは300メートルの距離であるが、足場の悪い枕木や線路を伝って行くのに1時間近くもかかった。それから右に折れて地下道(これがつまり「ねずみトンネル」)をくぐり、もう一方の市中央駅まで行き、地下鉄6番線の線路に降りた。次のフランス通り駅を通り、ウンター・デン・リンデンの下をくぐり、フリードリヒ通り駅から少し先のシュプレー川の地下まで来た。しかし夜間なので河水流入防止の隔壁が閉まっていた。やむをえず一行は、フリードリヒ通り駅に引き返して地上に上がり、Sバーンの線路沿いにシュプレーを渡った。それから通りを避け、破壊された家の中庭や地下室を通り抜け、ベルリンの北にあるビール工場に着いたところで、全員ソ連軍の捕虜になった。女性はすぐに釈放されたが、将校たちはその後ソ連に送られ、10年以上抑留されることになる。(「私のベルリン巡り」より)
その後第3グループとして逃げた中に、ヒトラーが次期ナチス党首に任命したマルティン・ボルマンがいた。
しかし一行は、普段は車ばかりで、地下鉄はろくに乗ったことのない連中だった。市中央駅の乗り換え通路を知らず、次のハウスフォークタイ広場駅まで行って道を間違えたことに気がついた。しかしもはや引き返す余裕はなかった。地上に上がり、歩いてフリードリヒ通り駅の方向に向かった。それから一行にはぐれたボルマンは、ヒトラーの待医と一緒に、Sバーン・フリードリヒ通り駅から次のレーテル駅の近くまで歩いたが、そこでもはやこれまでと観念して、ともに青酸カリのカプセルを飲んだ。
ボルマンの死についてはきちんとした証言がなく、ブラジルに逃亡したのではないかとも噂された。しかし、1972年になってレールテ駅(つまり現在のベルリン中央駅)近くで2つの骸骨が発見される。調査の結果、これがボルマンと待医のものであると確認された。ぞっとする話だが、「ねずみトンネル」が彼らの運命を分けたと言えなくもない。
1961年にベルリンの壁ができると、「ねずみトンネル」もその波に巻き込まれた。南北線は西側、東西線は東側とそれぞれ別の管轄化に入り、2つの路線が交差するStadtmitte駅は無用の長物となった。東ベルリン領内の南北線はフリードリヒ通り駅を除き、全て閉鎖されることとなる。「ねずみトンネル」の入り口はセメントで塞がれ、トンネル内は倉庫として利用されたらしい。トンネル内をつたって西側に逃げる人間を見張るため、列車が止まることがない「幽霊駅」Stadtmitte駅のホームに、四六時中機関銃を持った兵士が立っているという異常な光景が28年に渡って続くことになる。
写真:U2側から見た「ねずみトンネル」の入り口(1985年)。トンネルは塞がれている。http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm より借用。
1990年11月、ドイツ再統一によってついに約30年ぶりに息を吹き返した「ねずみトンネル」は、再びベルリンっ子に利用されるようになった。しかし、トンネル内は暗く危険で、しかもU6側からトンネルを歩くとトンネルの幅が次第に狭くなっていくため、人々からは敬遠されたという。そこで、1998年このトンネルは全面的に改修され、現在の姿になった。トンネル内で“Hilfe!“(助けて!)と叫ぶとセンサーが反応するシステムまで導入され、夜間でも安心して歩けるようになった。
写真:現在の「ねずみトンネル」の入り口付近。上の写真とほぼ同じアングルから筆者撮影。
「ねずみトンネル」を巡る物語も、ひとまずこれで終わりだ。人間の栄枯盛衰を眺め続けてきた「ねずみトンネル」は、おそらく人間の愚かさに呆れているだろうが、運動不足のベルリンっ子にこれからもほどよい運動の場を提供してくれることだろう。
参考:
「私のベルリン巡り 権力者どもの夢の跡」
三宅悟著
中公新書(1993年)
http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm
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東京の地下鉄や地下道についてもその類の本があったような気がします。首都のトンネルや地下道はいろんな歴史があるということでしょうか(お偉方は今も昔も地下鉄に乗らないんですねぇ)
>トンネル内で“Hilfe!“(助けて!)と叫ぶとセンサーが反応するシステ>ムまで導入され、夜間でも安心して歩けるようになった。
日本語の「助けてぇ~」じゃダメだったりして(^^; 冗談です
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三宅さんの本は前に読みましたが,内容はすっかり忘れていました.ネズミトンネルなんか知らないで,地上へ出てエレベーターで往来しました.信用乗車だから何処をとっても良いし,道路からのアクセスが楽なのは東京と違うところです.こちらの今日のニュースでは高速道路の略号は何と言ったか忘れましたが,自動料金通路を突破する人が増えていると言うことです.信用乗車にはほど遠い話です.Hamburgbf.も行って大鉄傘の写真は撮りましたが,内部を見る余裕がありませんでした.
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ベルリンに関する本としては,最近Andrea Steingart: Shauplaetze Berliner Geshihite の訳本が出ています.ベルリン記憶の場所を辿る旅です.Grunewald以外は訪ねることができませんでしたが,興味ある本です.
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ドイツの駅というと、乗り換えが便利だった印象が強いのですが、中には
こんな大手町みたいな例もあるのですね。それにしても、ヒトラー最後の12日間で、地下鉄沿いに脱出する場面を見ましたが、それがこのあたりだったとは・・・ベルリンに行ったときに乗っておくんだったと思います。
そういえば、東西分断時代にもアレクサンダー広場で、東西の地下鉄の線路同士は繋がっていたそうです。
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マサトさん、こんにちは。
このブログを読んでStadtmitte駅の構造を思い出しましたよ!
そうでしたね、通路がありました。
ずーっと忘れていましたが、まざまざと蘇り勝手に一人で
興奮しています(笑)。
なんでこんなに歩くのだ?と思ったのと
なんだかキラキラときれいな通路で「へえ~」と思った覚えがあります。
マサトさんのように乗り換えで走っている男性がいたのも
思い出しました(笑)。
しかし、これはネズミトンネルと言われ、こういういきさつがあったのだと
また新たなベルリン史が知れてまたまた「へえ~」と思っています。
上の方も書かれていますが、私も「ヒトラー 最後の12日間」の映画の
場面が三宅さんの本で思い出されました。
ちゃんと史実にそった映画なのですね。
さて、今回の本も読みたいですー。
読みたい本が次々出てくるので困ってしまいます(笑)。
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>nozomuzさん
東京にも地下をめぐる逸話がいろいろありそうですね。余談ですが、地下鉄銀座線の黄色というのは、ベルリンの地下鉄を模範にしたのをご存知ですか?
>日本語の「助けてぇ~」じゃダメだったりして
"Help!"でも「助けてぇ~」でも、大声で叫べばセンサーは反応するような気がしますが^^;)
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>Kamanoさん
>自動料金通路を突破する人が増えていると
それはいけませんね・・ドイツのアウトバーンみたいにタダになれば、こういうことはなくなるのでしょうが。
>Shauplaetze Berliner Geshihite の訳本
ベルリンの歴史の舞台を巡る本のようですね。似たようなことをやっている人間としては、ちょっと気になります。
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>hiro_hrkzさん
>こんな大手町みたいな例もあるのですね
久々にあの駅のことを思い出しました^^;)。東西線のホームからJRのホームまで行くのに、どれだけ歩かされたか知りません。
>ヒトラー最後の12日間で
実はこの映画まだ観ていないのですが、まさにこのシーンが描かれているようですね。映画ではどうなっているのか、とても気になります。
>東西分断時代にもアレクサンダー広場で、東西の地下鉄の線路同士
>は繋がっていたそうです
私もこの話、どこかで聞いたことがあります。ベルリンの地下を巡る話は興味が尽きませんね。
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>しゅりさん
何気なく歩いていた場所に、実は知られざる歴史が隠れていたことを知るとやはり興奮しますよね(笑)。
「私のベルリン巡り」はやはり廃刊中なのですが、中古で簡単に手に入ると思います。この本では「ねずみトンネル」という形で紹介されているわけではありませんが。個人的には、「国境の町ベルリン・シュパンダウ」の項が一番面白かったです。
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>余談ですが、地下鉄銀座線の黄色というのは、ベルリンの地下鉄を模>範にしたのをご存知ですか?
そうなんですか、初めて知りました。
色だけでなくちょっと小さい所も真似ちゃったみたいですね。
今にして思えば、もう少し大きく作っておけばという気もしないでもないですけどね。
国電(って今は言わないんでしたっけ)はSバーンを参考にしたという話は聞いたことがあります。
P.S. 一周年おめでとうございます!
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中央駅さま:1周年、お目出度う御座います
ドイツ現代史が凝縮された様な「ねずみトンネルの逸話」、興味深く拝見。探せば、まだまだ何かありそうですね。
> 東西線大手町駅ホームからJR東京駅のホームまで
> どれだけ歩かされたか—-
歴史的な逸話こそありませんが、JR東京駅には丸の内口から八重洲口まで続く地下トンネル(通行は無料)があります。30年前は、それこそ、コンクリート剥き出し、薄暗くて長いだけの陰惨な通路でしたが、最近は壁面を綺麗に内装し、照明も明るく、ところどころに店舗まで併設され、印象は劇的に変わりました。
「ねずみトンネル」と云った「おどろおどろしい名称」に、ふと30年も昔の、薄暗い地下道の陰々滅滅たる雰囲気を思い出しました。お元気で。Yozakura 敬白
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>nozomuzさん
そういえば銀座線もサイズが小さいのでしたか。浅草駅の天井がやたらと低かったのは覚えていますが。
>国電(って今は言わないんでしたっけ)はSバーンを参考にしたという話
そうなんです。これについてはまた別の機会にお話したいと思います。
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>Yozakuraさん
いつもご覧いただきありがとうございます。
>丸の内口から八重洲口まで続く地下トンネル
30年前はそうだったのですか。おそらく私も何らかの機会でそのトンネルを歩いていることでしょうね。東京駅は八重洲口を中心に再開発が始まるそうで、なんでも巨大なビルができるとか。将来は一体どうなるのでしょうね。