Anhalter bahnhofにて(2006年8月25日)
これがみんなが話してた駅だな
変な名前の駅
列車が止まるのでなく
駅が止まってる駅
2週間ほど前、新聞の文芸欄で見かけた小さな訃報記事は私を驚かせた。「ベルリン・天使の詩」で空中ブランコ乗りのマリオン役を演じた、女優のソルヴェイグ・ドマルタン(Solveig Dommartin)が今月1月11日に心筋梗塞で亡くなったのだそうだ。まだ48歳の若さだったという。「ベルリン・天使の詩」以外、際立った映画に出演することがほとんどなかったドマルタンは、近年は話題に出ることも少かったらしい。かつてヴェンダースの恋人だった彼女は、どんな「晩年」を送っていたのだろうか。あのマリオン役で必死に空中ブランコに取り組み、時折浮かべる寂しげな彼女の微笑を思い出すと、少し寂しくなった。
時は確実に移ろっているということを実感したニュースだった。このシリーズも残り少なくなったので、この辺で一気に書き上げたいと思う。
今回ご紹介するのは、ピーター・フォークが冒頭のセリフをつぶやきながらやって来る、かつてのターミナルの跡だ。
アンハルト駅はもともと、19世紀半ばにベルリンとアンハルト地方(現在のザクセン・アンハルト州)を結ぶ駅として建てられた(ちなみにドイツ語の”anhalten”は「止まる」の意)。
1880年に完成したこの堂々たる威容の新駅舎の落成式には、時のヴィルヘルム1世とビスマルクも同席した。アンハルター駅はベルリンを代表する長距離列車の駅となり、ドレスデン、フランクフルト、ミュンヘン、ウィーン、ローマ、アテネ方面へ向かう列車が続々とここを発着したという。ドイツへの要人や国賓を乗せた列車もこの駅に到着したため、「カイザー・バーンホフ(皇帝駅)」の異名を取るほどだった。
戦前ベルリンに留学していた日本人留学生の手記などにも、この駅のことがよく出てくる。例えば1909年5月6日、ベルリンに到着した寺田寅彦の日記にはこうある。
七時三十五分Anhalter Bahnhof着 本多氏迎に見へ、DroschkeにてGeisberg39の宿に入る
– 「言語都市・ベルリン」より –
Droschkeとは辻馬車のことだ。日本からシベリア鉄道で、あるいは船で、現在とは比較にならない長い道のりを経てベルリンにたどり着いた彼らを最初に迎え入れるのが、このアンハルト駅なのだった(全ての場合ではないだろうが)。その時の感慨はいかばかりのものだったのかと思うと、少しばかり胸が熱くなる。かつて、この場所と日本とは陸航路で直接つながっていたのだ。
1941年3月26日、大日本帝国の外相、松岡洋右がシベリア鉄道を経由してベルリンを訪問した際もこの駅が舞台になった。「アンハルト駅は両国の国旗で飾られ、構内は照明でまぶしく照らし出され、ナチス親衛隊は整然と隊列を組んで、外相リッペントロープが他の高官と松岡を出迎えた」(谷克二著 「図説ベルリン」より) 彼らがその後、大勢の兵隊と群集に囲まれて駅に面したシュトレーゼマン通りを歩く様は写真で見ることができるが、現在のこの周辺の風景からは全く想像もつかない異様な光景だ。
戦前のベルリンの最大の繁華街だったポツダム広場から目と鼻の距離にあるアンハルト駅は、当然の帰結ながら戦争で壊滅的な被害を受けた。戦後の混乱期、応急処置をしてそれでも何とか使われ続けたが、1952年には完全に営業停止。1959年に正面のファサードの一部を残して爆破された。
「ベルリン・天使の詩」が撮影された当時、この駅の敷地はまださら地の状態だったが、現在は「リリー・ヘーノッホ スポーツ競技場」として生まれ変わった。リリー・ヘーノッホ(Lilli Henoch)は、砲丸投げやリレー競技などで数々の世界記録を打ち立てた1920年代のベルリンのスーパーウーマンだ。しかし30年代に入ると、ユダヤ人だった彼女は所属するベルリンのスポーツ団体から追い出され、最終的には強制収容所に送られる運命をたどる。1942年秋、ヘーノッホはリガのゲットーで亡くなったと言われている。
昨年8月のある日、私がアンハルト駅前のグランドを訪れたら、小学生ぐらいの子たちがサッカーの練習をしていた。私はその様子を眺めては写真に収めていたのだが、大半は移民の子供であることに気付いた。アンハルト駅のあるこの場所は、外国人率が高いクロイツベルク地区の西北端にあたる。
「どこから来たの?」
「レバノン!」
インビスの裏手に見えるのは、戦時中に建てられた地上防空壕だ。前回ご紹介したパラスト通りの防空壕とは違って、こちらは現在“Gruselkabinett“として内部を見学できるようになっている。“Wer Bunker baut, wirft Bomben“(防空壕を作る人間こそが爆弾を投げるのだ)という切実な落書き(?)も、まだかろうじて残っていた。
私は、「ベルリン・天使の詩」のこのシーンで、鉛筆を持って線を描いたり、両手をさすって暖めたりしては、「人間になるとこういういいことがあるんだよ」とダミアンに説いて聞かせるピーター・フォークの温もりのある演技が、とても好きだ。
ソルヴェイグ・ドマルタンを偲んで
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マサトさん、こんばんは。
アンハルター駅周辺にこんなスポーツ公園があったなんて。
初めてベルリンに行った時にPotsdmer Pl.から
Stresemann Str.を南に歩いていた時に
右手奥に大きな壁が見え、その時はよくわからなかったのですが
後からアンハルター駅だったのだと思いました。
次にベルリンに行った時は絶対見ようと思ったのに
乗ったU-Bahnが素通りしてしまい断念(汗)。
なんで素通りしたのか不明ですが
アナウンスでアンハルター駅がどーのこーのと言っていたので
なにかあったんだろうと思います。
このStresemann Str.のちょうどアンハルター駅が右手に
見えるあたりの道路の真ん中あたりに
壁(それもアンハルター駅のファサードの色のような)がありませんか?
その壁と向こうに見える大きな壁(アンハルター駅)に
つながりを感じ、ベルリン初心者の私は城壁??と思い込み
なおのことアンハルター駅を見逃したのでありました。
Stresemann Str.の壁みたいなのって何かご存知ですか?
マサトさんのこのブログを読んで数年ぶりに思い出しました。
まさか・・・ベルリンの壁?
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確か、ディートリヒの若い頃の映画の中で、地方からアンハルター・バーンホーフに到着するシーンを見た記憶があります。あの廃墟に列車の出入りがあったのかと強烈な印象を残しましたが、映画の中では冒頭のほんの数秒だった気がします。
80年代後半はただの廃墟で、それはもの悲しい所でした。柵で囲った中はきれいに整地されてたわけではなく、でこぼこしてコンクリの塊とかがあって、唯一残された正面入り口のファザードも煤けて汚かったです。
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Stresemannという単語で、政治家ではなく、
『ミルヒ』や竹中直人を連想する辺り、
『のだめカンタービレ』にハマってしまっているようです(笑)
次回のアニメ版には、ミルヒが登場します。
それはさておき、第三帝国の時代、Stresemann Strは、
Saarland Strと呼ばれていたそうです(1935年春、改称)
駅舎跡周辺にサッカー場があったことは覚えているのですが、競技場名の由来にユダヤ人のスポーツウーマンが絡んでいるとは全く知りませんでした。よいお勉強をさせていただきました。
<m(__)m>
防空壕内部の画像を置いておきます。
興味のある方は、どうぞ(^.^)/~~~
http://www.geocities.jp/dokidokigermanhours/newpage26.html
>“Wer Bunker baut, wirft Bomben“
「防空壕を作るから、爆撃される」
と、ある歴史雑誌に訳文がそえられてましたが、
意味的にはどうなんでしょうか?
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部屋に置くスペースがあれば、
置いておきたいのですが・・・
実現は難しいようです(苦笑)
●メルクリンZゲージ用『アンハルター駅舎』組み立てキット
http://www.ajckids.com/trains/detail.asp?Item=89200&Man=Marklin&scale=Z&Group=sce&Era=&Road=&yr=03
乱文にて失礼しました。
<m(__)m>
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>しゅりさん
いつもながらディープな内容のコメントありがとうございます(笑)。
>なんで素通りしたのか不明ですが
2004年か05年に、Sバーンのアンハルター駅で火災事故が発生した後、あの駅は一時期閉鎖されていたので、おそらくしゅりさんはその頃ベルリンにいらっしゃたのではないでしょうか。放火なのか事故なのか、確か原因がまだはっきりしていないはずです。
>ベルリン初心者の私は城壁??と思い込み
よく「あれ」に気付かれましたね!
あの通りはよくバスで通るので、私も何かあるなとは思っていましたが、それが実はかつてのStadtmauer(市壁)の遺構だと知ったのは割と最近のことです。あの壁に説明文が掲げられていたので、今度ちゃんと見に行こうと思っていました。何かわかったらまたお知らせしますね。
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>gramophonさん
アンハルター駅が出てくるというディートリヒの映画、とても興味深いですね。あの駅が華やかかりし頃の映像が他にもあれば、見てみたいなと思います。
>80年代後半はただの廃墟で、それはもの悲しい所でした。
その様子はヴェンダースの映画を通じても伝わってきますが、やはりそうだったんですね。当時の貴重なお話をありがとうございます。
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>ぷりんつ・あるぶれひとさん
ドラマ「のだめ」はとてもよくできていたと思いますが、唯一謎なのがあのシュトレーゼマン氏だったことを思い出します(笑)。
>「防空壕を作るから、爆撃される」
>と、ある歴史雑誌に訳文がそえられてましたが、
私の訳も細かなニュアンスを伝えられたかどうかあまり自信がありませんが、これはどうなんでしょう?
"wirft Bomben"はやはり「爆弾を投げる」ことで、「爆撃される」ことではないと思いますが・・・
>●メルクリンZゲージ用『アンハルター駅舎』組み立てキット
ドイツ技術博物館でもアンハルター駅の模型を見たことがあります。なにせ立派な駅ですから、模型でも絵になりますよね。
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ソルヴェイグ・ドマルタンが亡くなっていたことをこの記事で
初めて知りました。「ベルリン・天使の詩」のサントラにはブルーノ・
ガンツのハントケの詩の朗読とともにマリオンの愛の告白というのが
あって、彼女のハスキーな声がなんともいえない味わいなのですが。
まだまだ若い人なのに・・・。惜しいことです。
映画の中で彼女の独白部分はフランス語だったことを
思い出しました。役柄がそうだったのでしょうか。それとも
本当にフランス語圏の人だったんでしょうか。
私も彼女を偲ぶことにします。
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白黒映画なのは間違いありませんが、細かいこと覚えておらず、もしかするとディートリヒすらも記憶違いかも知れません。田舎娘の上京シーンに出てきてのは確かです。
それと、メルクリンのキットで思い出しました。ベルリンの交通博物館にペーパークラフトが売っていたので、記念に買おうと思ったら余りに巨大で断念したことです。筒に入ってましたが、メルクリンのものと同じくらいでかっかったんですよ。今でも売ってるかも知れません。
『ベルリン天使の詩』は転勤になってベルリンを離れてから見たので、歩いたことのある通りや、知ってる風景を見て、映画館で思わず涙したものです。壁の在る頃の物憂げな雰囲気はよく描けていますね。ソルヴェイグ・ドマルタンに合掌。
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>akberlinさん
残念ながら一般的にはほとんど注目されることがありませんでしたが、ソルヴェイグ・ドマルタンの死は「天使の詩」のファンにとってはショックですよね。
>彼女のハスキーな声がなんともいえない味わい
よくわかります。彼女はパリ生まれのフランス人でしたが、ドイツ語もがんばってしゃべっていましたよね(インビスでのピーター・フォークとのやり取りはもちろん英語でしたし)。空中ブランコのシーンは、確かスタントマンを一切入れていないはずだし、あの映画のために必死に特訓したと聞いています。
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>gramophonさん
コメントありがとうございます。
gramophonさんは、まさにあの映画が撮影された頃にベルリンに住んでいらっしゃったわけですから、私とは感じ方がまた違うのでしょうね。近々、私の知り合いのベルリーナーの方のインタビューをお送りしますので、こちらもどうぞご覧ください。
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マサトさん、こんにちは。
なんと!長年の懸案が一挙氷解(笑)。
あれは市壁だったのですね。
道を歩きながら「なんなのだろう??」と思いました。
なんともまぁ、無造作に残してあるものなのですね(笑)。
ベルリン市内に市壁が残っているところって
まだあるんでしょうか?
また何かわかりましたら教えてくださいね。
それにこれまた、まぁ!なのですが
アンハルター駅が放火で閉鎖していたんですか!
電車の中でのアナウンスの意味は全然わからなかったのですけど
時期もあっていますし、やはり閉鎖の時期だったのだと思います。
なんで通過したのか本当に不思議だったので
これまた一挙氷解でした。
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>しゅりさん
>ベルリン市内に市壁が残っているところって
>まだあるんでしょうか?
割と有名なところだと、ベルリン最古のレストラン"Zur letzten Instanz"のすぐ横に、中世に建てられた市壁が一部残っていますね。機会があったら、一緒に紹介できたらなと思っています。
>アンハルター駅が放火で閉鎖していたんですか!
ちょっと見てみたところ、火災が起こったのは2004年の8月10日だったそうです。北へ行く列車はその年の暮れに再開したんですが、南行きのホームが再開するのは、さらにその1年後だったとか。そんな出来事があったんですよ。
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>Zur letzten Instanz
廃虚の教会なら覚えがあるのですが、壁があったなんて・・・。
どこを見ていたんでしょう、私(汗)。
>南行きのホームが再開するのは、さらにその1年後だったとか。そんな出来事があったんですよ。
私が通ったのは2005年6月で、思いきりアンハルター駅を
通過され、そのままBayerischen Viertelへ行ってしまったのです。
きっとマサトさんにこの話を思いがけず聞かないと
ずーっとなんで通過したのか疑問でした。
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>しゅりさん
中世の壁は、そのレストランと廃墟の教会のほぼ中間、Waisenstr. にありますよ。確か、戦争の後で、この辺りを掘っていたら偶然掘り起こされたのがこの壁ではなかったかと思います。
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のだめカンタービレは、ドラマを観てから原作を読みました。シュトレーゼマンが服装だけは普通だったので、多少驚きを禁じえませんでした(笑)
訳文に関するコメントありがとうございました。単語を辞書でひいていくと、歴史雑誌のほうはなんか違和感を感じざるを得ません。
ドイツ技術博物館は、2度のベルリン訪問で何故かデスティネーションから外れてしまった場所です。ベルリン中央駅とならんで次回(未定!)の最優先訪問予定地でございます。博物館にあるという模型も要チェックですね~♪
>アンハルター駅の火災
2004年11月下旬に真っ暗なアンハルター駅を通過されたことがあります。そういった事情があったのですね・・・ここの掲示板がなければ、一生謎なままでした。
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>ぷりんつ・あるぶれひとさん
アンハルター駅の謎が解けてよかったですね^^)
ドイツ技術博物館は私も実は1回しか行ったことがないのですが、内容は大変充実しています。特に実車がずらりと並ぶ鉄道部門はなかなか圧巻で、最近閉館した東京の交通博物館を彷彿とさせるほどでした。