ポツダム広場のソニーセンターにて(2006年10月27日)
「ベルリン・天使の降りた場所」の最終回は、ダミアンとマリオンが出会い、2人の恋が成就する場所である。
このダンスホールでのコンサートシーンは映画の中ほどと最後の2回出てくるが、内部の様子がわかるのは何といってもカラーに切り替わる最後の場面だ。80年代のベルリンで人気が高かったニック・ケイブ率いるバンドが虚無的ともいえるサウンドを奏でる最中、マリオンはふと思い立ったようにホールを出て、隣のバーに向かう。そこで人間になったダミアンと出会い長いモノローグが始まるというシーンだが、それにしても何と雰囲気の豊かな美しい空間だろうか。壁にはアールヌーヴォー調の装飾が凝らされており、20世紀後半に生まれた大音響のロックのサウンドにこの甘美な場所は、およそ似つかわしくないようにさえ思われる。
このシーンが撮影されたのは、かつての「ホテル・エスプラナーデ」のダンスホールである。残念ながら今はもうない。この建物はポツダム広場からほど近い場所にあったが、昨年秋にポツダム広場をこのブログで取り上げた時、私はあえてこのホテルについては触れなかった。なぜなら、ここもまたベルリンの人々にとって「比類なき記憶」の眠る特別な場所ゆえ、このシリーズの最後を飾るにふさわしいと思っていたからだ。
ヴィム・ヴェンダースはこのように語っている。
かつてのホテル・エスプラナーデのダンスホールは、私が大好きなベルリンの場所の一つだった。この映画の撮影の10年後に取り壊されることになった時、私はただ泣くしかなかった。カイザー・ザールのようにこのホールも保存されていたらよかったのに、と思う。
ホテル・エスプラナーデ(Hotel Esplanade)が建てられたのは、今からまさにちょうど100年前の1907年から1908年にかけてである。外観はベル・エポック調、内装はネオ・バロックとネオ・ロココが交じり合うという壮麗な建築だった。皇帝ヴィルヘルム2世が晩餐会を催したカイザー・ザールを始め、大広間をいくつも持ち、1600平方メートルの広大な中庭も名物だった。
1920年代のベルリンの黄金時代は、このホテルを抜きにして語ることはできないかもしれない。グレタ・ガルボ、チャーリー・チャップリン、マリーネ・ディートリヒなどがこのホテルを利用し、若きビリー・ワイルダーはここの専属ダンサーとして働いていた。このブログにたまに書き込んでくださるある方の話によると、40年代前半はあのカラヤンもこのホテルに宿泊していたそうだ。戦前のホテル・エスプラナーデを巡る逸話や伝説は、それこそ無数にあるに違いない。ベルリンの輝かしい時代を振り返る時、決まって話題になるのがこの場所なのである。
終戦末期の空爆でポツダム広場が廃墟に化すと、ホテル・エスプラナーデの栄光の時代も幕を閉じた。しかし、カイザー・ザールや「朝食の間」など、ごくわずかながら生き延びた部分も存在した。やがて、すぐ近くに壁がそびえポツダム広場が無人地帯となる時代がやって来るが、この遺構を壊すのはさすがに忍びなかったのだろうか。以後何十年にも渡って、このホテルは廃墟のような姿でこの場所に立ち続けた。「ベルリン・天使の詩」が撮影されたのもこういう時代の中だった。
90年のドイツ再統一後、この敷地にソニーセンターが建てられることが決まると、ホテル・エスプラナーデの取り壊しが話題に上るようになった。しかし、それに反対するベルリン市民が多い中、ソニーはカイザーザールを特殊な吊り上げ作業によって75メートル移動させた後、ソニーセンターの一部に組み込むという信じられないような離れ業によってこの問題を解決させたのだった。1996年3月のことである。これは有名な話なのでご存知の方も多いことだろう。また「朝食の間」(下の写真)は、500体もに分解され、新しい場所に移して再び組み立てられた。これとは対照的に、映画が撮影されたダンスホールは取り壊されてしまった。この映画を観ていると「あの中に入ってみたかった」と私はつくづく思うが、とにかくベルリンの「比類なき記憶」が宿る場所はこうしてかろうじて残されることになったわけだ。
ダミアンとマリオンの恋が成就したところで、ベルリン中を駆け巡ったこの長い旅も終わりとなる。
余談になるが、このホテル・エスプラナーデから50メートルも離れていないKino Arsenalという映画館で、私は一度ヴェンダースさんを見かけたことがある。2003年の3月のことだった。この年は小津安二郎の生誕100年で、この映画館で小津の全作品が上映されたのである。ヴェンダースは小津映画の熱烈なファンで知られており、「東京画」というオマージュ作品も撮っているほどだ(私もこの時観た)。
その日上映されたのは「東京物語」でも「晩春」でもなく、「東京暮色」という比較的地味な作品だった。そうそう上映される映画ではないから、いい機会だと思ってヴェンダースは観に来ていたのかもしれない。「ベルリン・天使の詩」は最後、「すべてのかつての天使 とくに(小津)安二郎、フランソワ(トリュフォー)、アンドレイ(タルコフスキー)にささぐ」という字幕で終わる。
私はその時ヴェンダースに話しかけようなどとは思いもしなかったが、今思うと、ポツダム広場-ホテル・エスプラナーデ-「ベルリン・天使の詩」のヴェンダース-小津安二郎-「東京暮色」-この2人の映画が好きな「私」とつながり、勝手ながらあの場所でヴェンダースを見かけたことに不思議な縁を感じている。またいつかベルリンでヴェンダースさんを見かけることがあったら、思い切って話しかけてみることにしよう。
(最後までお付き合いいただきありがとうございました。よかったらワンクリックをお願いします)
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ベルリンで、ソニーセンターに立ち寄ったとき、
確かにこの「部屋」をみた記憶はあるのですが、
背景を知らなかったた自分が残念です。
次の訪独の際の予習になってます、このブログ!
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中央駅さん,ご無沙汰しています. 素晴らしい文章に感心しています. この映画ですが,私の経験から言えば,DDR出身の方には今一つ理解しにくい映画のようです. 私と一緒にこれを観た東出身の親しい人は首を傾げていましたし,その人の友人たちも同様でした. 私などは分断時代のポツダム広場付近の様子は,むしろ懐かしく感じて興奮しつ観ていました.
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今は仕事で上海に滞在していますが,ここには多くの西洋建築の古い建物が残っています, 租界地時代の建築物ですが,そういうものはよく保存されているものの,昔ながらの古い家屋は再開発で多くのものが姿を消しています.このホテルエスプラナーデについて,確か吉田秀和さんは54年のベルリン訪問の時に,このホテルで室内樂のコンサートを聴いているはずです, 私は,しばらく超多忙な日々が続きます. 少し時間ができましたら,戦時下のベルリンのことなどを投稿したいと思います. またよろしくお願いします. (携帯電話からの投稿で失礼します.)
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>Kenさん
私がベルリンに来た当初、このカイザーザールの前を通ることは何度もありましたが、それが何なのか全く知りませんでした。後になって、実はこういう意味を持っている建物なのだと知った時はさすがに興奮したものです。
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>la_vera_storiaさん
上海からわざわざコメントをいただき、ありがとうございます。
上海は私にとって全く未知の場所ですが、急激な再開発の渦中にあるという点では、ひょっとしたらベルリンとも何か共通するものがあるのかななどと思ったりもします。一度訪ねたい街のひとつです。
>確か吉田秀和さんは54年のベルリン訪問の時に,このホテルで
>室内樂のコンサートを聴いているはずです
11月に日本に帰った時に、実家にある吉田さんの「音楽紀行」をめくっていたら、その記述がたまたま目に止まりました。1954年のことだったそうですね。
お仕事の方が少し落ち着かれましたら、またいろいろお話を聞かせていただけるとうれしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。
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ホテルのボールルームは、現在は「宴会場」ですよね。かつては多くのホテルにはダンスホールがあって、それは社交場であり、出会いの場にもなっていたんでしょうね。そういう男女の出会い/出会いの場の歴史というのも社会史の面白いテーマになるかな。
そういえば、昔モスクワのホテル(ベルグラード)に泊まったときに、ダンスホールならぬディスコがありました。あれはかつてのダンスホールの系譜をひいていたんでしょうね。
forum bmkサイトでは現在のベルリンのダンスホール(社交ダンス用)を特集することにしました。
マサトさんも踊るんですか。
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>ながしまさん
レスが遅くなってしまいごめんなさい!
ホテルのダンスホールは、「男女の出会い/出会いの場の歴史」として十分面白いテーマになる気がします。エスプラナーデのこのダンスホールは、映像で見るだけでもうっとりしてしまいます。当時はどんなに華やかだったんだろうかと、ノスタルジックな想像力が刺激されますね。
bmkのダンスホール特集、どういう場所と出会えるのか楽しみにしています。
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こんばんわ。
昨日『ベルリン天使の詩』を初めて観ました・
とても興味深い記事でした!
面白かったです。ありがとうございました(^-^)
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yu-さん
この「ベルリン・天使の詩」のシリーズを読んだ方から今でも感想やコメントをいただくことがあり、うれしく思います。いつかぜひ映画の舞台も訪ねてみてくださいね。