2月末のある土曜日の午後、私はUバーンのコトブサー・トアー(Kottbusser Tor)の駅前広場でメヒティルトさんと待ち合わせた。マーケットなどが立ち並ぶこの雑然とした広場に、「コッティ」という愛称があることを私が知ったのは比較的最近のことである。80年代半ばに書かれた橋口譲二さんの「ベルリン物語」を読むと、当時のパンク青年がたむろする場所としてこのコッティがよく出てくる。
約束の時間より少し遅れてメヒティルトさんが現れ、私たちはアーダルベルト通りを北に歩き始めた。メヒティルトさんとクロイツベルクの中でも外国人率が高い、ディープなこの界隈を歩くのは不思議な気分だった。大体いつもお会いするのは閑静なシャルロッテンブルクのご自宅で、他にコンサートやオペラにご一緒したこともあるが、それらはまあ言ってみれば「上品な」場所。「(シャルロッテンブルクに比べると)別世界でしょ」と言ってメヒティルトさんは笑う。彼女が1949年にこの近くで生まれてから過ごしたのは、わずか1年半に過ぎない。だが、両親や祖父母の代もずっとここで暮らしており、メヒティルトさんにとっては自分のルーツの一つともいえる場所のようだった。
アーダルベルト通りとオラーニエン広場の交差点にて。4つの角、建物が全て同じ形状をしているのが特徴的だ。オラーニエン通りにはトルコ系の食料品やレストラン、インビスなどがぎっしり立ち並び、ベルリンの中でもエキゾチックな雰囲気の通りとしてよく知られている。
だがそれは壁ができて以降の話。メヒティルトさんの父親がこの通りにオフィスを持っていた時代は、当然トルコ人はまだ住みついていなかった。もしオラーニエン通りを歩く機会があったら、こんなものに注目してみると面白いかもしれない。
それは戦前の古い建物に共通して見られる、独特の装飾が施された古代風の柱だ。メヒティルトさんによると、この通りはおそらく同一の建築家によって設計されたのではないかということだ。
路上から見えてくるもの
オラーニエン通りを西に歩き、ルッカウアー通りを曲がってしばらくしたところで、メヒティルトさんは路上を指差して言った。「この路上の敷石、100年ぐらい前のものね」
先日のインタビューで、「ベルリンに対して郷愁を抱くものとは?」という私の最後の質問に対して、メヒティルトさんは「路上の敷石」を一つに挙げた。私は何のことだかどうもピンとこなかったのだが、彼女によるとベルリンの敷石は他の街のものと違っていて、路上が街の歴史を語りかけてくることがあるのだという。これはベルリンの古い時代に典型的な敷石の形状。中央に並ぶ大きな石は、シュレジア産の花崗岩。両サイドに敷き詰められている細かな石は「ベルンブルガー敷石」ということまで教えてもらったが、まず役に立たない知識だろうな^^;)
それはともかく、こんなことにも注意を払っていると街を見る目も少し変わってくる(かもしれない)。アパートの入り口付近はドアに向かってこんな風に敷石が敷かれている。これは次回の話と少し関連があるので、できたら覚えておいていただきたい。
路上に注意して歩いていると(犬のフンにはくれぐれもご注意を!)、文字が記された小さな石を見かけることがある。これは有名なのでご存知の方も少なくないことだろう。「つまずきの石」といって、かつてその場所に住み、後に強制収容所に送られる運命をたどったユダヤ人の名前と死亡年などが記されたものだ(この石に興味のある方は例えばこのページをどうぞ)。
メヒティルトさんから聞いた話をここで全てご紹介することはできないが、私が日頃イメージするクロイツベルクとは違う何かが少しづつ見えてくるのを感じた。
そうこうするうちに、アルフレード・デープリン広場に着いた。ここからはかつての壁に沿って歩くことになる。
(つづく)
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マサトさん、こんにちは!
(先日は本当にどうもありがとうございました!)
このクロイツベルクの散策シリーズ。
凄く楽しみにしています。
楽しみすぎてちょっとドキドキしています。
敷石に歴史を感じると、今まで見ていた街への視線が
全然違ってきますよね。
100年前の敷石・・・と思っただけでこの地に立ったときにはきっと
ベルリンの歴史の一ページに自分がいるという
感動にむせんでしまうんじゃないかと思ってしまいます。
この「つまずきの石」は是非見てみたいものの一つです。
ドイツ全土にあるらしいですし
ベルリンの中にも結構あるようですけど
足元って結構見落としちゃうんですよねえ・・・。
結構アンテナを張り巡らして見ているつもりだけど
足元は手薄のようです(汗)。
このクロイツベルクの「つまづきの石」は
ルッカウアー通りを曲がってしばらくしたところにあるのですか?
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犬の・・・には気をつけていたのですが「つまづきの石」には未だお目にかかっていません。ベルリンに行く機会があったら気をつけてみてみます。
コッティといえば「ベルリン物語」ですね。
ベルリンから東京への飛行機で橋口さんとご一緒したことがあります。
大雪で出発がいつになるかわからないと聞きアタフタする私と違って
空港のカフェで窓の外をぼんやり見つめて待っている
橋口さんはあの本の中の橋口さんそのまんまでした。
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興味深いお話ありがとうございました。本当にベルリンは不思議な町ですね。
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Masato sanのUp記事を読むたびに、ベルリンに後ろ髪ひかれますー。ベルリンに行くたびに、パンク青年達がまだ健在であることを認識させられます。パリではほとんど見たことがないのに、前回はフランスから飛行機に乗ってきたとおもわれるパンク集団に遭遇して驚いたものです。いったいフランスのどこから来たんだろう???
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>しゅりさん
熱い期待を書いていただき、ありがとうございます!
このつまづきの石はルッカウアー通りのものですが、ちょっと気にして歩いていると割と頻繁に見かけます。有名なところでは、例えばハッケシャーヘーフェの入り口とか。私の家の近所でもいくつか見つけました。
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>MOTZさん
>ベルリンから東京への飛行機で橋口さんとご一緒したことがあります。
へ~、そうなんですか。比較的最近も橋口さんはベルリンに滞在されていたようで、HPの日記をたまに拝見していました。私が「ベルリン物語」を読んだのは実は去年なのですが、あの中で描かれているクロイツベルクは本当に独特の世界ですよね。読んでいてひりひりするものがありました。
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>uffikuhさん
そうですね。私もベルリンは本当に不思議な街だと思います。
歩けば歩くほどその奥深い素顔が見られるような、そんな街かもしれません。
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>Ryokoさん
他の街のことはあまり知らないのですが、ベルリンはやはりパンクの街なんでしょうか。普段街を歩いているときはそんなに見かけないのですが。東のフリードリヒスハイン地区などに行くと多いみたいです。フランスとパンクという組み合わせは、私の中ではどうしてもつながりませんねえ。
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私が知ってるクロイツベルクは橋口さんの『ベルリン物語』と重なる頃なので、トルコ人とパンクの若人ばかりのイメージでした。ですから、全然足を踏み入れたことがありませんが、随分きれいになりましたね。
「つまずきの石」は全く知りませんでした。大きな敷石の下に配管が通っているので、工事の時はここだけ外してた気がします。まわりの小さい石は職人の若い兄ちゃんがひとつひとつ手作業で敷いてたことを思い出しますね。
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>gramophonさん
80年代のクロイツベルク、今よりもずっとヤバい雰囲気だったのかもしれませんね。西ベルリンに住んでいてもなるべく近寄りたくないというような。
>まわりの小さい石は職人の若い兄ちゃんがひとつひとつ手作業で
>敷いてたことを思い出しますね。
私も近所でそういう光景に出会ったことがあります。なんとも根気強いというか、石を積み上げていく文化の本質を見たような気さえしました。