早いもので今日からついに12月。寒さが身に沁みる季節にたまにふと感じるのは、部屋の中を常温に保ってくれるセントラルヒーティングのありがたさです。しかし、そんなに遠い昔ではない時代、暖房といえば石炭が主流でした。今でも旧東ベルリンには石炭暖房のアパートがまだそれなりに残っていると聞きます。
先日、ミッテのLinienstraßeを歩いていたら、たまたまこんなものを見つけました。きれいに改装されたアパートの入り口付近の一箇所だけが塗り直されずに残され、そこに「薪・石炭」と書かれています。以前、「地下のベルリン」(河合純枝著)という本を紹介したときにも触れましたが、かつて石炭屋さんはその多くが建物の地下部分にあって、じゃがいもなどと一緒に売られていたのです。
私の想像ですが、東西統一後にアパートを改装する際、石炭屋の印を消すのが忍びなくて、この部分だけ塗り残しておいたのではないでしょうか。ミッテ地区はカフェやギャラリーなどが立ち並び、すっかりおしゃれな界隈に変貌しましたが、こういう過去の名残を見つけるとちょっとばかりうれしくなります。
参照:
「地下のベルリン」(河合純枝著)
SECRET: 0
PASS:
家族呼び寄せの準備のために西ベルリンの住宅地で入居するアパートを探していて、日本なら4階部分の広々とした家族用ユニットがありましたが、暖房は石炭と聞いて地下の石炭置き場から階段を持ち上げる場面を想像して逃げ出しました。
SECRET: 0
PASS:
懐かしいですよ、僕にとっては。実家は良い住宅地とされるSteglitz区ですが、小学生のころは近所に石炭屋さんがありました。場所は空襲で破壊した家の跡地っぽく、秋になると朝早くから配達の準備でトラックがゴンゴンと石炭を積む騒音は懐かしいです(当時はかなりの迷惑でした)。
うちはセントラル・ヒーティングでしたが、もともとあった暖炉も残っていましたのでたまに使っていました。赤外線をたっぷり発生する暖炉の暖かさは、深く身体に染み込むかのように快適でした。中学の頃には屋根裏にもマンションが建て増しされたら、煙突が使えなくなり、暖炉は崩されてしまいました。その頃は近所の石炭屋さんは既につぶれていて、今はそこに普通のマンションの建物ががたっています。
SECRET: 0
PASS:
第三市民さんがベルリンに滞在された頃は、今よりもずっと石炭暖房が多かったのかもしれませんね。
>地下の石炭置き場から階段を持ち上げる場面を想像して
わかります。特に一度セントラルヒーティングの快適さを味わってしまうと、戻るのは難しいでしょうね。
SECRET: 0
PASS:
>キートスさん
とても興味深いお話をありがとうございます。一昔前にタイムスリップしたような気分になりました。キートスさんが子供の頃は、Steglitzにもまだ石炭屋さんがあったんですね。
>トラックがゴンゴンと石炭を積む騒音は懐かしいです
一体どんな音がしたんでしょう?想像力が膨らみます。
>赤外線をたっぷり発生する暖炉の暖かさは、
セントラルヒーティングにはないよさもあるのでしょうね。味わってみたくなりました。
SECRET: 0
PASS:
ごめんなさい、表現力不足で(^ー^;)
シャベルですくわれ、トラックの荷台に投げられた石炭の音です。荷台がまだ空の状態は鉄板が響きました。
SECRET: 0
PASS:
>キートスさん
いえいえ、キートスさんの文章はとてもわかりやすくて、様子がよく伝わってきますよ。「石炭が鉄板に響く音」ですか。ベルリンの「音」に関心がある自分としては、興味を引かれます。これからもベルリーナーならではのお話を聞かせてくださいね!