Mori-Ôgai-Gedenkstätte(2007年2月)
私が日本に一時帰国していた2006年11月のある日、実家に1枚の絵葉書が届いた。イタリアからのもので、すばらしい達筆で書かれている。手紙の主は、山根寿代さんという88歳の女性からだという。「88歳でイタリア旅行?」
一体どういう人なのかと思ったら母が説明してくれた。
その年の5月、両親が横浜の野口英世ゆかりの細菌検査室の隣にある長浜ホールでのコンサートを聴きに行ったときのこと(生物学者の父は、大分前から趣味で?野口英世の研究をしている)。開演まで時間があるので、検査室を見学していたら、「私の祖父も長崎で検医官をしていました」という女性に会ったという。それが山根寿代さんだった。
山根寿代(ひさよ)さんは1918年2月生まれ、現在90歳。祖父の山根正次(1857:安政4年 ~1925:大正14年)は、萩に生まれ、明治時代に活躍した医政家。日本の医事衛生行政に尽くし、日本医科大学の創立者の一人で、森鴎外と同時期にベルリンに留学していた人物でもある。
母によると、山根さんとは会ってすぐに親しくなったそうで、それからお付き合いが始まった。何かお誘いすると、わくわくすると言ってはいつも出てきてくださるという。その後も、寿代さんの話は折に触れて聞いていたので、機会があれば私もぜひお会いしたいと思っていた。そして日本に一時帰国した今年4月初め、横須賀の実家にお招きし、ご本人から直接話を伺うことができたのである。後でも触れるが、寿代さんは若々しく、頭もクリアでとても90歳の老人とは思えない。この日も、東京狛江の自宅から電車とバスを乗り継いで、お1人で横須賀まで来てくださったのである。
話をどこから進めていいものか迷うのだが、まずこの写真から見ていただこう。
これは、「石黒忠悳を迎えた医学留学生たち」という有名な写真だそうで、明治20年(1887)6月3日、ベルリン・フリードリヒ街の写真館にて撮影されたものである。石黒忠悳(前列右より3人目)とは、当時の陸軍省医務局長(兼内務省衛生局次長)、のちに陸軍軍医総監となる人物で、このときベルリンの留学生を視察に来たらしい。写真には明治の日本を支えた錚々たる面々が並ぶ。有名な人物を何人か挙げるだけでも、山根正次(前列左より2人目)、森林太郎(つまり森鴎外、中列左端。鴎外のサインも下に見える)、中浜東一郎(ジョン万次郎の長男、中列左より3人目)、北里柴三郎(中列右より2人目)、等々。
9年ほど前、寿代さんが団体ツアーでベルリンを旅行し、ルイーゼン通りの森鴎外記念館を訪れたときのことだ。
記念館で手紙や写真を見たりして居りましたら、鴎外と共に留学生たちが写っている一枚の大きい写真が目に入り、その中に祖父がいるのがわかりました。エーッと思いましたが、時間が無く、その儘記念館を後にしました。
前列右が正次。後列左が鴎外
その後、鴎外の特別展が文京区で開かれたので足を運んでみたところ、寿代さんがベルリンで見たのと同じ写真が展示されていた。写真を撮らせてほしいと頼むと断られたが、千駄木の鴎外記念室に行けば複写してくれるとのことだった。それがきっかけで団子坂の記念館に何度か足を運ぶうち、館長の方とも親しくなった。ところがその後、東京の実家の押入れの天袋から、偶然まったく同じ写真が出てきたのだという。写真のクオリティも保存状態もよく、私の父に複写してくださったのがこれである。実家が関東大震災や第2次大戦の被害に遭っていないことから、このような貴重なものが残っていたのだと寿代さんは語る。
では、山根正次とは一体どんな人物だったのだろうか。
(つづく)
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それはまた凄い人と知り合いましたね♪お話が楽しみです。
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>gramophonさん
本当にすごい方です。続きをご期待ください♪またご感想をお寄せいただけるとうれしいです。