先週の月曜日、ブランデンブルク門の真横Haus der Commerzbankにて行われる「4つのベルリン」展のオープニングに足を運んで来た。今月はEuropäischer Monat der Fotografieという大規模な写真展が街の多くのギャラリーや美術館で開催中だが、これもその一つ。昨年紹介したGalerie Degenharttの主催で、ベルリン50年の変遷を4人の写真家の作品で振り返るという興味深い試みだった。
Theodor Karl Löber, Trümmerfrauen, 1958
1人目はTheodor Karl Löberという人が、1950年代から60年代初頭にかけて東で撮ったもの。戦争の瓦礫の除去作業がいかにものすごかったかがわかる。この写真は、大改造が始まる前のスターリン・アレー(現在のカール・マルクス・アレー)の様子。1962年のアレクサンダー広場のパノラマ写真も面白かった。
Udo Hesse, Schwedter Straße, 1982
2人目は昨年ご紹介したウド・ヘッセ。80年代初頭の東の日常風景がつづられる。この壁の写真が一体どういう運命を辿ったのかについては、以下の記事をご覧ください。
参照:
壁とタイムカプセル (2007.10.04)
ヘッセの作品では、この写真なども好きだ。KastanienalleeとSchwedter Strの交差点。クリスマス直前の様子だろうか。建物自体は今とほとんど変わっていないが、当時のプレンツラウアーベルクはこんなにひっそりしていたのだ。
Ulrich Wuest: Oranienburger Straße, 1995
3人目は壁崩壊後の1994年から96年にかけてUlrich Wuestが撮った、人の気配が皆無の写真群。その多くが壁沿いの無人地帯で撮影されたもので、もはやほとんどが失われた風景となった。なかなかシュール。
最後は、Nicola Meitznerが2001年に撮ったスナップ写真。この時はすでに自分もこの街にいたし、そんな昔でもないような気がするのだが、いつの間にか歴史的な写真となりつつあるのを感じる。この街の行く末は一体どうなるのだろう。
写真展は来年1月18日まで。入場無料です(開館は毎週土曜と日曜の11時~20時)。ブランデンブルク門のすぐ横なので、よかったらお立ち寄りを。特にこの街に住んでいる人にはぜひ観ていただきたいです。
Ausstellung im Haus der Commerzbank am Brandenburger Tor, Pariser Platz 1
12. November 2008 bis 18. Januar 2009, Sa / So, 11 – 20 Uhr
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こんにちは。
ベルリンの東西を分断した壁は、今はどのくらい残っているんですか。
当時東ドイツで警備をしていた警備隊員で、東から西ベルリンへ逃れよ
うとした市民を撃ち殺した隊員は、どんな思いで居られるのでしょうかね。
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分断時代、やっぱり写真を撮るのでしたら東側でしたね。もちろん西側にも被写体としてのすばらしい光景はいくらもありましたが、東側のほうには被写体を通して過去の時代の堆積を感じさせる光景がふんだんにあったように思います。人間の肌のぬくもりを拒否したような社会主義国独特の首都の風景はdepressiveではあったものの、そうした「衣」の下に時としてしぶとく透けて見えた、第三帝国時代、ワイマール時代、そしてドイツ帝国時代の「歴史と文化の感触」とでもいいましょうか、そういうものにいったん魅せられてしまいますと検問所を越える東側通いが止められなくなったわけです。もし当時マサトさんがいれば、おそらく私と同じで被写体を求めて東側に入り浸りじゃないでしょうか(笑)。
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わー、ベルリンに行った時に見たかったです。残念. . . 。すごく興味があります。
2番目の写真の「瓦礫夫人」?というのですよね?昔NHKの特集で見たことがあります。本当にすごい瓦礫の量ですね。うる覚えですが、瓦礫を積み上げてできた「瓦礫の山」があったような. . . 。もう今は草も生えてほんとうに山になっていて、上からは子供達がソリで滑っていく映像も流れていたような気がします。
2000年とは本当に変わっていて驚きました。店も夜遅くまで開いているし、サービスも向上していたし(笑)。「外の明かりは外灯だけ」のベルリンが大好きだったので少し寂しいとも思ったり。
ほんとうにこれからどんなふうに変わって行くのでしょうか。
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こんにちは。
ニュースダイジェストの「ベルリン音のある街」を楽しみにしています。
先日、初めてベルリンに行きましたが、
この写真展とは入れ違いになってしまい、ちょっと残念です。
ベルリンはエネルギーに満ちた興味深い街でしたが、
戦争の記憶が肌で感じられる都市でした。
ドイツの街、ではなく「ベルリン」としか表現できない味わいがありますね。
ベルリンの奥深さに魅せられてしまったようです。
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>ジョニィーさん
ベルリンの壁はもう本当にわずかしか残っていません。その中でも一番長い「イーストサイドギャラリー」では、損傷が著しく、最近大規模な修復工事に入りました。来年の壁崩壊20周年に合わせて、新しくお披露目されるようですよ。
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>la_vera_storiaさん
東ベルリン側に入る時というのは、タイムマシンに乗るような気分だったのでしょうか。古いアパートに残る広告の時にもコメントをいただきましたが、お書きになっていることはよくわかります。自分があの時代に いたら、間違いなく東に入り浸っていたでしょうね(笑)。リンクを貼ってくださった写真、面白かったです。近々あの駅の歴史をたどりたいと思っています。
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>noriko-happylogさん
そうそう、瓦礫の除去作業にあたる女性をそのように呼んでいました。「瓦礫の山」はベルリンにいくつかあり、このブログでも紹介したことがあります。
http://berlinhbf.exblog.jp/3379356/
残念ながらまだここに上ったことはないのですが。
私は2000年からこの街に生息しているので、その間の変化についてはよくわかります。土曜日にスーパーが22時まで営業していることなんて、当時はありえなかったですから。
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>orangepekoeさん
はじめまして、「音のある街」のご愛読ありがとうございます(残念ながら連載はあと少しで終わりなのですが)。
>ドイツの街、ではなく「ベルリン」としか表現できない味わいが
>ありますね。
本当にそうなんですよね。「ドイツの一都市」というよりも、「世界都市」としか形容できない何かがこの街にはあります。ぜひまたいらしてください。
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おはようございます。
ベルリンの壁が崩壊してから20周年ですか。
その崩壊した頃にテレビニュースで映像が報道されていた野を見た記憶が甦ってきます。
戦争は、永遠に無くなることを祈ります。
以前に広島の原爆による悲惨な犠牲者の写真を見ましたが、直視することができませんでした。
当時、ベルリン壁の付近で犠牲になった人達の事をおもいだし、涙を流しながらキイを打ち込んでおります。
ご冥福を祈ります。
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>ジョニィーさん
壁で犠牲になった人の数は、いまだに定まっておらず、私も説明する時に苦労します。いずれにしろ大きな悲劇であることは変わりません。来年はベルリン、及びドイツにとって特別な年になるかもしれません。
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この写真展は見てみたかったです。残念。
KastanienalleeとSchwedter Strの交差点は今回の滞在で何回も通った場所です。
昔はこんなにも寂しい雰囲気だったんですね。。。
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>鮭さん
こういう写真展はベルリンではたまに開かれているので、きっとまたチャンスはあると思います。考えてみたら、僕がこの3年で撮ってきた写真も、街の記録としては結構な量になってきました。