初代新幹線の0系が11月30日を最後に現役引退というニュースをなかなか感慨深い思いで眺めた。
私が初めて新幹線に乗ったのは、小学校3年の時だった。母親が勤め先の慰安旅行で伊豆の修善寺に行くというので、なぜかそれに乗じて弟と一緒に付いて行ったのである。新横浜から「こだま」に乗って熱海へ。初めて乗る東海道新幹線は、早いとも遅いとも感じなかった。車内はガラガラで3人がけのシートを独占し、「これが世界に名だたる新幹線か」という思いに浸ったことだけは覚えている。
修善寺に着くとバスで近場のどこかに行き、落葉の道を少しだけ歩いて、またすぐに駅に戻って来た。横浜までの「踊り子号」の切符を買ってもらい、母は宿泊先へ、私と弟は電車に乗って帰って来た。修善寺滞在は正味1時間半にも満たなかったのではないだろうか。一体なぜそんなことをしたのか今振り返ると笑ってしまうが、単に電車に乗って遠くへ行きたかったのだと思う。小学3年生にとって、弟と2人だけで伊豆半島から帰ってくるのは大冒険に値した。半日足らずの間でそんなことができたのも、新幹線という魔法の杖があったからこそだと思う。
写真は2003年4月、日本に一時帰国した際、新大阪の駅でたまたま見かけた0系。オリジナルの塗装でないのが、今となっては少々残念。
さよなら夢の超特急、「0系」44年の歴史に幕 (読売新聞)
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初めては1970年広島駅~新大阪まで。
そうです、大阪万博に行くためでした。
その当時は三人掛けの肘掛けが固定式で、子供心に狭くて窮屈な印象でした。
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いつ、初めて乗ったのかは覚えていませんが、両親と新幹線に乗った時に買ってもらった車内販売のアイス!
コレが、あまりにも美味しくって・・・。それからは新幹線に乗る事があれば必ずアイスを買ってもらっていました。
忘れられない味です。
0系、春に帰国した時、わざわざ時刻表で調べてわざわざ時間が掛かるの覚悟で乗ろうと思ったのに、到着したのは違う車両でした。息子が生まれてから、ドクターイエローとか他の新幹線にもはまってしまっているのでした♪
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東京オリンピック1964年の翌年に、大阪の工場に学生実習のために新幹線を初めて利用しました。
たぶんまだその頃は0系しかなかったと思いますから、0系に乗ったのでしょう。
ビュッフェのカウンターで何か食べて、壁に取り付けられた速度計の針がぐんぐん上がって行くのと、窓の外を見比べて初めての速度感を楽しみました。
中でも三島駅の付近で見えた富士山にとても感激しました。
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皆さん、0系新幹線の思い出話をどうもありがとうございます。
ブルーとグレーの3人がけの椅子、車内販売にビュッフェ・・・
今ではあまり見られないものばかりで、何だか懐かしくなりました。スピードアップは結構ですが、車中でのそういう楽しみが失われていくのは寂しいものです。