クロイツベルク回想録1988-89(5) – あれから20年 –
映画『クリスチーネ・F』(原題は『われら動物園駅の子どもたち』) 長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の最終回をお送りします。 <クリスチーネ・F> かなり冷え込んでいた秋の夜遅く、公園の脇を通りかか…
クロイツベルク回想録1988-89(4) – パンクたち –
当時ベルリンで盛んに行われていた“空家不法占拠居住運動”のシンボルマーク。落書きの様にしてアパートの壁などにデカデカと描かれているのを所々で見かけた(長野順二さん所蔵の写真より) <パンク> クロイツベルクではパンクの若…
クロイツベルク回想録1988-89(3) -この街に生きる人々-
写真家ヴォルフガング・クローロフ(Foto: Jana Farley) 長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の第3回目は、写真家ヴォルフガング・クローロフを通じて出会ったクロイツベルクの人びとについて…
『素顔のベルリン』出版記念パーティーのお知らせ
今日から冬時間に変わったベルリンより、1つ告知をさせていただきます。 私の著書『素顔のベルリン』の出版に際して、11月1日に出版記念パーティーを開催させていただくことになりました。今回お世話になった「地球の歩き方」プロデ…
クロイツベルク回想録(2) -ウォルフガングとの出逢い-
西側の壁際で無邪気に遊ぶ子供たち(長野順二さん所蔵の写真より) <クロイツベルクの第一印象> 晩秋というよりも冬のような、曇天の多い底冷えするベルリンは、繁華街でもどこか寒々しい白黒写真の様なモノトーンの街、それが第一印…
「クロイツベルク回想録1988-89」を始めるにあたって
壁崩壊からちょうど20年というこの秋、6年半住んだクロイツベルクを離れるにあたって、ぜひともこのブログで紹介したい話がありました。 事の発端は2年前の秋にさかのぼります。クロイツベルクを撮り続けてきたヴォルフガング・クロ…
Coyote No.39 特集:スペイン彷徨
最近発売されたCoyoteという雑誌に、「ひとつの駅のふたつの世界」というタイトルのルポルタージュを書かせていただきました(大分後ろの方のページです)。夏に『コヨーテ』の編集部の方から執筆のご依頼をいただいたとき、恥ずか…
久々の引っ越し
しばらくご無沙汰していました。この10日間は、久々の引っ越しでとても慌ただしく、ネットにもほとんどつなげない日々が続いていました(メールのお返事も滞りがちになってしまい、すみません!) 何しろ6年半ぶりの引っ越しだったの…
転換年カレンダー「1989年10月6日」
1989年10月6日(金) 東ドイツが西ベルリンのラジオを妨害 「サービスの夜」をめぐる論争 Der sowjetische Parteichef Gorbatschow ist in Ost-Berlin einget…
『素顔のベルリン』、発売中!
たびたびこの話題で恐縮ですが、私の初の著作『素顔のベルリン』が今週から日本の書店に並んでいるようです。友達や知人から、「買ったよ!」「読んだよ!」というメールが私のもとに届き始めています。まだすべてにお返事できていないの…
転換年カレンダー「1989年10月4日」
1989年10月4日(水) 西ベルリンでは、東ドイツ亡命者の宿泊施設の確保が困難に Die DDR-Flüchtlinge unterzubringen, wird immer schwieriger. Neben si…
転換年カレンダー「1989年10月1日」
1989年も(少し遅れましたが)今日から10月に入りました。 1989年10月1日(日) 1万6千人がベルリン・マラソンを走る 人民警察は反体制者を阻止 Heute ist Berlin-Marathon. 16 410…
転換年カレンダー「1989年9月30日」
89年の「転換年カレンダー」ですが、毎日続けるのは相当大変ということがわかったので^^;)、歴史的に重要な出来事が起きた日、重要度はそれほど高くないけれども内容的に面白かった日を中心に訳していきたいと思います。 1989…
壁跡に沿って(1) -テルトウ運河からゾンネン・アレーまで-
壁崩壊20年の当ブログオリジナル企画として、こんなことを始めたいと思います。ベルリンの壁跡が全長160キロの「壁の道」(Mauerweg)として整備されていることを以前紹介しましたが、この道を自転車に乗ってたどってみると…
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