先日、NHKドイツ語講座の連載「映画で歩くベルリン」の取材でシェーネベルクを歩いていたら、前々から探していたあるものにようやく出会いました。タイトルにある通り、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886–1954)の生家です。
Uバーンのノレンドルフ広場(Nollendorfplatz)駅の南側にマーセン通り(Maaßenstraße)という賑やかな通りが続いていますが、この一角にあります。写真右手に見えるのが、ノレンドルフ広場の地上駅、左手のビル内には格安の語学学校Hartnackschuleがありますね(私もベルリンに来て間もない頃お世話になっていました。本館はモッツ通りの5番地)。
フルトヴェングラーの生家はマーセン通り1番ということは知っていたのですが、どうしてもこの番地が見つからない。で、歩き回ってわかったのは、現在のNollendorfplatzの8-9番地にかぶさっているようでした。駅前のスーパーKaiser’sが目印のモダンなアパートがそれです。
ドアの上のプレートには、「フルトヴェングラーの生家がここにあった」と確かに書かれていました(生まれたのは1886年1月25日)。「ベルリン・フィルの常任指揮者」の他に、「作曲家」だったとも記載されています。フルトヴェングラーは青春期をミュンヘンで過ごすことになるので、実際ここに住んだのはどのくらいの期間だったのでしょうか。
それにしても、フルトヴェングラーの生家が、こんな身近な場所にあったとは!ちなみに、お墓はハイデルベルクにあるそうなので、いつか訪ねてみたいと思っています。
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こんなに良く通っていたところにあったなんて。またベルリンに戻る楽しみができました。
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すごくいってみたいっす。
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わっ、こういうところにあったのですね。今度行く機会があったら、ぜひ行ってみたいと思います。「作曲家」が先とは、ご本人が泣いて喜びそうですね。
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へえ、そんな町のど真ん中にあったとは知らなかったです!
今度 主人にも話してみます。きっと喜ぶはず。
教えて頂いてありがとう。
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notungさん
ここは人との待ち合わせ場所にもよく使うところだよね。本当に意外でした。再会を楽しみにしています!
tomoさん
今度ご案内します。といっても、ご覧の通りプレートがあるだけなのですが。
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nem_ranさん
このアパートの1室にフルトヴェングラー博物館でも作れば、マニアの聖地になりそうですが、今のところそういう動きはないようです(笑)。
> 「作曲家」が先とは、ご本人が泣いて喜びそうですね。
本当に。作曲家フルトヴェングラーの時代が来る気配も、今のところなさそうですね。
uhlandさん
先日はどうも。ぜひ一度ご主人とお出かけください。マーセン通りは素敵なカフェも多いし、散歩するにもいいところです。
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ご無沙汰しています。古い記事へのコメントでごめんなさい。
でもハートナックシューレ、懐かしくて・・・。
DSH(外国人向け大学入学資格ドイツ語試験)の前にここで
付け焼き刃の講習を受けて見事合格しました。
語学学校としてはすごく厳しいけれど、大学はもっと厳しいので
まっとうにドイツ語をやろうとしたらいいかもしれないと思います。
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akberlinさんも、昔ここでドイツ語を学ばれていましたか!
DSHコースは中国人がやたら多く、予備校のような雰囲気でしたが、学長のLauterbach先生の授業は楽しかったです。今もおられるのかな。
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はじめ住んでいる家の近くにフルトヴェングラーが住んでいたと聞いてびっくりしました。いまはスーパーマーケットが入っているマンションになってしまっていて当時の雰囲気が味わえないのが少し残念ですね。フルトヴェングラーが赤ちゃんの時にこのあたりをいろいろと散歩(?)したのでしょうか。1886年というと地下鉄が敷かれておらず、いまとは雰囲気が少し違うと思います。当時がどんな雰囲気だったのか面白そうですね。
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はじめまして。ナチスが宣伝用に作ったフルトヴェングラーの映画が撮影された場所を探しています。ご存じありませんでしょうか?分かっているのはAEGの工場であること。有名な建築家が作った大きな建物は2カ所あります。どちらでしょうか?Huttenstraße 12–16にある記念切手にもなっている建物と、Brunnenstraße / Voltastraße / Hussitenstraße / Gustav-Meyer-Alleeにある建物です。
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http://commons.wikimedia.org/wiki/AEG?uselang=de
画像はここにあります。
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西方見聞録さん
はじめまして。興味深いテーマのブログを書かれていますね。後でゆっくり読ませていただきます。
このテーマについては、以前こちらのコメント欄で話題になったでぜひご覧下さい。私もまだ確かな確証が得られていませんが、モアビットのタービン工場ではないようです。
http://berlinHbf.exblog.jp/11590304/
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貴重な情報をありがとうございます。写真で判断すると、Montagehalleだと思います。
年末に行ってみようと思いますが、すぐに発見できるか心配です。
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生家があった場所に行ってきました。ここにフルトヴェングラーが住んだのは、父がミュンヘン大学の教授に栄転した1894年まで、つまりヴィルヘルムが8歳の時までのようです。
Montagehalleの工場にも行ってきました。建物がたくさんあって、中村様が「オーバーシュプレー・ケーブル工場でのコンサート」で紹介されている建物がどれかは分かりませんでしたが、べーレンスによる歴史的な建築物を見ることができて良かったです。「オーバーシュプレー・ケーブル工場でのコンサート」のURLを私のブログに書き込みたいのですが、よろしいでしょうか?
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西方見聞録さん
コメントのお返事が遅くなり失礼しました。最近ベルリンにいらしていたのですね。ブログでの詳細な報告に驚きました。
>父がミュンヘン大学の教授に栄転した1894年まで、
ご指摘ありがとうございます。期せずして、フルトヴェングラーの125歳の誕生日に合わせてコメントをいただきましたね。
>「オーバーシュプレー・ケーブル工場でのコンサート」のURLを
もちろんリンクはご自由にお張りください。
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12月末の大雪の中、Brunnenstraße /Voltastraße /Hussitenstraße / Gustav-Meyer-Alleeを歩きました。つまりAEGの敷地を一周してきました。
URLの件、ありがとうございます。後もう少しでフルトヴェングラーの指揮した場所が分かりそうですが、もうしばらくはベルリンには行けないので、他の方に託すしかありません。Montagehalleの隣の建物である「鉄道部品工場」の中がどんな様子なのか、誰かに見てきていただきたいです。
ヨーロッパに行く前にAEGにフルトヴェングラーが指揮した場所はどこか、Eメールで問い合わせをしたのですが、英語だったためか、返事は来ませんでした。
今後ともよろしくお願いします。