Schloss Cecilienhof (2009.4)
仕事柄、ポツダムのツェツィーリエンホーフ宮殿に来ることが多い。去年から急にその頻度が増え、この1年半の間に一体何度ここを訪れただろうかと思う。ポツダム観光のもうひとつのドル箱、サンスーシ宮殿も私は大好きだが、時間が限られた中でどちらか1つとなると、日本人にはやはりツェツィーリエンホーフ宮殿を勧めるだろうか。実際、「ここに来てよかった」と言って帰る方は少なくない。
日本人にとってツェツィーリエンホーフ宮殿で馴染みが深いのは、ここが「ポツダム宣言」の舞台であり、ポツダム会談の会期中にアメリカ大統領のトルーマンが広島への原爆投下を決定したことだろう(実際にその決定がなされたのは、ノイエ・バーベルスベルクの邸宅と言われているが)。
皇帝ヴィルヘルム2世の息子、皇太子ヴィルヘルムとその妃ツェツィーリエのために造られたホーエンツォレルン家最後の居城。イギリスの別荘スタイルの建築様式が特徴的で、屋根の煙突1つを取っても、装飾がとても凝っているのがわかる。観光客の多くは、宮殿を見学したらすぐに帰ってしまうが、私がおすすめしたいのは、宮殿の裏側をぐるりと回ってHöhenstr.のバス停まで歩くことだ。裏手に回るとまず見えて来るのが、ツェツィーリエの書斎に面した小さな庭園。ここは初夏になると庭園の花々が本当に美しい。
小道に出ると、ユングフェルン湖(Jungfernsee)に沿って、しばらく歩くことになる。まさにこの道に沿って、1989年までは「ベルリンの壁」が建っていたというのが、今となっては不思議だ。つまり、当時ツェツィーリエンホーフ宮殿の内部からユングフェルン湖への視界は、壁によって遮られていたことになる。
やがて、ツェツィーリエンホーフ宮殿を裏側から一望できるポイントにやってくる。中央が、ポツダム会談の本会議場として使われた有名なホールだ。
日本に住んでいた頃、(子供の頃に埋め込まれたイメージが強烈だったこともあり)ヒロシマとナガサキの原爆というと、おどろおどろしいイメージしかなかったが、ここに来ると物事がまた違って見えてくる。小鳥のさえずりを聞きながらのどかな道を歩いていると、これら美しい自然と原爆投下直後の地獄絵巻の光景とが、どうしても結び付かないのだ。1945年7月末も、この周辺の樹々は緑を咲かせ、ユングフェルン湖は今と変わらずそこにあったのだろう。この森や湖を背景に、たった1人の権力者の命令によって、人も自然も一瞬にして破壊する原子爆弾のスイッチが押されてしまったこと。そして、世界に核兵器が存在する以上は、今後もその可能性があり得ること。私の友人も言っていたが、これは戦勝国、敗戦国という枠組みでとらえることではない。人類全体の問題として、誰もが認識すべきことだと思う。
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うのっちさん
先日書かれていたSNSでの原爆に関する日記は、とても共感できるものでした。
>戦争にまつわる「両方の現実」を見る学習というのは、
>よいかもしれません。
本当にそう思います。実は、今度広島の被爆者の方に直接お話を聞く機会があるかもしれないので、貴重な学びの場にしたいですね。
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以前「Der Untergang」邦題は「ベルリン陥落1945」という本を読みました。
その中で、ソビエト軍、スターリンとチャーチルの駆け引きや、スターリンに手玉に取られているルーズベルトも描かれていました。ルーズベルトは日本との戦いにソ連の参戦が必要だったので、スターリンの機嫌を取っていたそうです。日本が戦争にからんでいなかったり、ルーズベルトが病気でなくてもっと気力、体力が充実していたら戦後の東ヨーロッパ史は変わっていたんじゃないか、ポーランドは共産圏に入っていなかったかもしれないと思いました。
現代社会は、みなどこかで繋がっているんだなと思ったことと、東欧に対して少し責任も感じました。
ポツダムは入ったことがあるのですが、サンスーシーにしか行ってないのでツェツィーリエンホフにもぜひ行きたいです。
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MAYUさん
コメントありがとうございます。
「ベルリン陥落1945」ですか、気になるテーマの本ですね。ぜひ読んでみたいと思いました。終戦直後のベルリンを描いた本としては、以前ご紹介した「舞台・ベルリン」もおすすめです。
>現代社会は、みなどこかで繋がっているんだなと思ったこと、
本当にそう思いますね。示唆に富んだコメントありがとうございました。