「ベルリンの壁」崩壊の記念日というと、昨年の壁崩壊20周年のドミノ倒しの記憶が強い方は多いかもしれません。今年の11月9日は、大規模な催しこそ行われなかったものの、数あるベルリンの壁の追悼施設に新たな場所が加わりました。プレンツラウアー・ベルク地区のボルンホルマー通り検問所跡です。
1989年11月9日の21時20分頃、押し寄せた東独市民の波に抗えずに同検問所が開放され、彼らが西側になだれ込んだことが、この夜の壁崩壊の端緒となりました。約半世紀に及ぶ東西冷戦の終結をも告げた歴史的な場所が、あれから21年経ち、「1989年11月9日広場」という名前で記念碑と共に人々の記憶に留められることになったのです。
Sバーンのボルンホルマー通り駅の階段を上がり、ベーゼブリュッケと呼ばれる橋を渡ると、大通りの歩道スペースに大勢の人が集まっていました。北側一面には、かつて検問所で実際に使われていた壁の一部が並び、壁崩壊の日の熱気を生々しく伝える写真や資料が、大きなパネルで展示されています。また地面に目をやると、あの日に起きた出来事を表示するプレートが、時系列順にいくつも埋め込まれていることに気付くでしょう。
右からヴォーヴェライトベルリン市長、神余駐ドイツ大使、旧東独の人権活動家エッペルマン氏
ベルリンのクラウス・ヴォーヴェライト市長はお昼の落成式で、「ドイツの分断の歴史はここでハッピーエンドを迎えた。あの夜、世界史を書き換えたのは、権力者ではなく東ドイツのごく普通の市民であり、心の中で制服を脱ぎ捨て、人間的に行動した人たちだった」とあいさつしました。同時に、ユダヤ人の商店やシナゴーグなどが破壊され、ホロコーストへの転換点となった事件、1938年11月9日の「水晶の夜」も、「われわれの記憶に留めなければならない」と語りました。
「11月9日広場」に贈られた桜の木。壁沿いの桜は、毎年春になると花を咲かせ、ベルリンの人々の間にもすっかり定着した
「おや」と思ったのは、この式典に神余隆博駐ドイツ大使が招かれていたことです。テレビ朝日系列の「桜キャンペーン」をご存知でしょうか? 壁崩壊直後の1990年、テレビを通して視聴者から寄付金を募り、ベルリンの壁跡に沿って桜の苗木を植えるというキャンペーンが行われました。これまでに、すでに9000本以上もの桜の木が植えられたそうですが、今回「11月9日広場」に贈呈された23本の桜をもって、このキャンペーンも幕を閉じるそうです。ヴォーヴェライト市長は、「日本が長年に渡って贈ってくれた桜は、日本とベルリンの連帯を示すものだった」と大使に謝意を伝えていました。
(ドイツニュースダイジェスト 12月3日)