大船渡を旅する(3) 大船渡の運動会

記憶が薄れないうちに、旅のメモをまとめておかなければと思う。
5月19日
この日は土曜日ということで、諏訪君が午前中から車で案内してくれた。抜けるような青空が広がったこの日、大船渡市の各地の小中学校で運動会が行われ、彼が日頃勤務している学校をいくつか巡ることになった。まさか大船渡に来て運動会のハシゴをすることになるとは思わなかった(笑)。
最初に訪れたのは、丘の上にある大船渡小学校。ここは校長先生の迅速な判断と対応により、子どもたち全員を一段高台にある大船渡中学校に避難させることができたのだそうだ。
続いて訪れたのが、赤崎小学校と蛸ノ浦小学校の合同の運動会。
蛸ノ浦小校庭には仮設住宅があり、赤崎小も校舎が津波で全壊してしまったため、綾里地区にある多目的グラウンドで運動会が行われていた。ここでは児童の家族だけでなく、地元のご老人なども見に訪れているようで(仮設住まいの方も多くいるのかもしれない)、なごやかな空気に包まれていた。
吉浜小学校と中学校の合同運動会では、中学生がソーラン節を、小学生は剣舞という東北地方太平洋側に伝わる伝統の舞を披露し、見応えがあった。何より子どもたちの元気な姿を見られたのが何より。
どこの学校でも諏訪君がわざわざ校長先生のところまで連れて行って私のことを紹介してくれた。「へ~わざわざドイツから?遠路はるばるご苦労様です」などと言われると恐縮してしまう。先生方の言葉や、生徒たちと接しているところを見ても、諏訪君が各学校の人々に溶け込んで、信頼されている様子が何となく伝わってきた。
だが、カウンセラーとしての日々の話を聞くと、これは相当に大変な仕事だと思った。生徒だけでなく、先生方からの相談を受けることも多いという。肉親を亡くしたにも関わらず、子どもたちの前では気丈に振る舞おうと努めストレスを抱え込んでいる先生、避難する際に津波で人が流されている様子を見てしまった子どもたち・・・人の喪失、物の喪失、慣れ親しんだ街並みが変わってしまったことの喪失感、それら全てが同時に襲いかかってきた人も少なくないのである。人々の苦しい心のうちを聞くことを仕事とするカウンセラーが、逆に参ってしまうという話も聞いた。諏訪君が言うには、阪神大震災のときは、震災から3~4年経った頃心理カウンセラーへの相談件数がピークを迎えたという。かけがえのないものを失ったことからくる心の喪失は、生活がある程度落ち着いたときに、ふと押し寄せてくるのかもしれない。大変なのは、まだまだこれからなのである。
(つづく)



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