現在、シャルロッテンブルク地区のシラー劇場で公演を行うベルリン国立歌劇場では、上演が極めて稀な作品に出会えることがあります。5月末、劇場横のヴェルクシュタットという小規模の会場で行われた「イエスマン」と「ノーマン」も、まさにそんな体験でした。
1930年、劇作家のベルトルト・ブレヒトは作曲家のクルト・ヴァイルと共同で、日本の能「谷行」をもとにした「イエスマン(Der Jasager)」を作ります。「教育オペラ」として構想されたこの作品は同年6月、ベルリン・ノイケルン地区のギムナジウムで上演されました。
ある教師が、生徒たちと共に危険な峰越えの旅をすることになります。生徒の中に母子家庭の少年がいて、母親の病気を治す薬を手に入れるため、同行を志願。しかし、山越えの途中で少年が病気で動けなくなると、教師は少年に「このような旅で病気になった者は、谷に投げ込まれなければならない」という習わしを説き、「イエス」か「ノー」かという究極の選択を迫るのです……。
幕が開くと、全員お面とピンク色の衣装をまとった若い男女が、諧謔味(かいぎゃくみ)のあるヴァイルの音楽に乗って現れ、30分程の短いオペラが始まりました(演奏はベルリン・シュターツカペレのメンバー)。
大人の歌手に混じって少年役を演じたのは、木下魁人(かいと)君(11歳)。国立歌劇場の合唱団に所属する日本人の両親を持つ魁人君は、現在ギムナジウムに通いながら、同歌劇場少年合唱団のメンバーとしても活躍中です。「トスカ」の羊飼いの少年役など、すでにいくつものオペラで舞台経験を重ねているだけに、歌唱ぶりは堂に入ったもの。難易度の高い20世紀のドイツ語オペラを暗譜で歌うだけでも大変なのに、弟子たちの肩の上を歩くアクロバティックなシーンまでこなし、谷に落とされる直前では緊迫した演技を見せました。
残酷な結末であることや、谷に落とされる理由が原作とブレヒト作とでは異なることから、初演を観た生徒たちの間で疑問や討論がわき起こり、ブレヒトはその後、結末を変更した「ノーマン(Der Neinsager)」を新たに作りました。彼は2作続けて上演されることを望んだものの、結局ヴァイルがそれに曲を付けることはありませんでした。
この日の舞台を興味深いものにしたのは、休憩の後、1990年になって東独出身の作曲家ライナー・ブレーデマイヤーがブレヒトの原作に曲を付けた「ノーマン」が上演されたことでした。こちらも魁人君が少年役を務め、話の展開はほぼ同じ。しかし最後、少年は新しい認識を示し、助けられるのです。
喝采に包まれた終演後、魁人君に感想を聞いてみました。「歌詞は自然に覚えられたけれど、最初の作品はボーイソプラノ、次はアルトと声の高さが違うので、続けて歌うのは大変でした。3月からリハーサルが始まり、今日が最後の舞台。終わってしまって寂しいです」。
ちなみに、「イエスマン」は1932年に日本でも初演されていますが、このとき少年役を歌ったのは、後に国民的歌手となる藤山一郎さんでした。
(ドイツニュースダイジェスト 6月21日)