5月20~29日、クロイツベルク地区にある劇場「ヘッベル・アム・ウーファー」(通称HAU)にて、「Japan Syndrome」と題した大規模な日本フェスティバルが開催されました。東北地方を中心に甚大な被害を及ぼした東日本大震災と福島の原発事故から3年。 日本の社会、そして芸術の文脈がどのようにこの大災害に呼応し、変容してきたのかを問い掛ける試みです。
演劇や音楽、インスタレーションなどの多彩なプログラムが並びましたが、その中から25日に行われた「安全地帯の崩壊? フクシマ以後の芸術と政治」と題するシンポジウムをご紹介したいと思います。
最初にキュレーターの相馬千秋氏が登壇し、「大震災は目に見える形においても、見えない形においても日本に大きな分断をもたらした。この困難な状況の中、私がアートを通して取り組んでいくべきは、単純に国家や原発に反逆することではなく、演劇的な方法で死者を埋葬し、鎮魂すること。そして今、国家によって作り出されようとしている新たな秩序を、ある種宙吊りにしたり、それに対して揺さぶりを掛けることだと思う」とスピーチしました。
シュテファニー・カープ(ドラマトゥルク)の司会の下、相馬、丸岡ひろみ(キュレーター)、高山明(演出家)、シュテフィ・リヒター(ライプツィヒ大学日本学教授)の各氏により行われたその後のトークセッションでは、日本社会を覆っている空気の変容を肌で感じてきた日本人の3氏を中心に、興味深い議論が交わされました。
最後の質疑応答で、あるドイツ人の聴衆が「なぜ日本人はもっと声を上げないのか。このような過酷な状況の中、芸術の側も政治を直接変えるような活動をすべきでは?」という問いを投げ掛けました。東日本大震災以降、ドイツ人と日本人の間に横たわるこのような現状認識の違いに戸惑い、答えに窮した経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
それに対して、高山氏はこう答えます。「過激になっている政治に対して、もっと過激になるべきなのかという問いに対しては、僕は全く逆に行くべきという立場。むしろ過激さから距離を取り、小さなものや弱いものと、または対立している人と、いかに友情を結べるかに賭けた方が良いのではないか。あるいは、熱狂するよりは熱狂する人をどのように自分と切り離して醒めた目で見られるのかという技法をアートや演劇の分野で見付ける方が、ひょっとしたら政治的な意味があるのではないかと思う」。
「時代や場所を超えられるのがアートの持つ力。今ここ、目の前にあるものに対してのみ有効な形ではなく、例えば過去と今とを繋ぐこと、まだ生まれていない未来のものに対して何か作用をもたらすことができないだろうか。そのようなビジョンを持って、津波や原発事故で直接的な被害を受けた東北地方と向き合っていきたい」(相馬氏)。
ドイツに住む私にとっても、今自分はここでどう生きるべきかを考えさせられる機会となりました。(ドイツニュースダイジェスト 6月20日)