ミッテ地区のフリードリヒ通り駅は、ベルリンで最も賑わいのある駅の1つだ。地上と地下を走るSバーンとUバーンに加え、駅を南北に横切るトラムの往来が、街のリズムにアクセントを与えている。ここ数年、新しい商業施設やホテルがいくつも建ち、黒光りする鉄骨の駅舎の周辺はずいぶん華やかになった。
この駅の北側に構えるガラス張りの青い建物は、まもなく崩壊から25年を迎えるベルリンの壁の歴史において重要な意味を持つ。東西ドイツ分断時代、「国境駅」だったフリードリヒ通り駅において出国検問所の役割を果たしていたのが、「涙の宮殿」の俗称を持つこの建物だった。
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現在、ここは歴史記念館になっている。奥行きのあるホールに入るとまず目に付くのが、長い台の上に置かれた数々のトランクだ。1949年の東西分断後、社会主義統一党の独裁政治に絶望した多くの東独市民は、ベルリンを経由して西側に亡命した。この駅からSバーンや地下鉄に乗れば、比較的簡単に西ベルリンにたどり着くことができたからである。彼らがどのような想いで国を去ろうとしたか、体験者のインタビューと共に思い出の品が紹介されている。家族のアルバム、銀製の食器、エーリッヒ・ケストナーの絵本、等々。
その先の部屋では、1961年の壁建設前後の重要な出来事を報じる東西のニュース映像が上映されている。自由主義の西側と、「対ファシストの防壁」の名目で壁を建設した東側とは、当然ながら報道の仕方や声のトーンが全く違う。この中で特に心打たれるのが、1人のおばあさんが涙を流しながらインタビューに答える1963年の映像だ。この年の終わり、東西ドイツの間で協定が結ばれ、連日多くの西ベルリン市民がこの駅を越えて、東側に住む家族や親戚とようやく束の間の再会を果たすことができたのである。
当時のフリードリヒ通り駅の内部がいかに複雑に入り組んでいたか、87分の1のスケールの模型で見ることができる。西ベルリンや西ドイツ、海外からの旅行者は、地上や地下のホームから迷路のような通路を経ながらも、入国審査をして駅の外に出ることができた。彼らが列車で西側に戻る際、西への旅行の自由のない東側の家族や知人とは、「涙の宮殿」の前で別れなければならなかった。
奥には当時と同じ出国審査カウンターが置かれ、ドアを開けて中に入ることできる。ここで猜疑心に満ちた視線の審査官と向かい合ったわけである。持ち出し禁止物を持っていないかをチェックするための反射鏡が上に設置されている。出国が許可される最後の最後まで何が起こるか分からない。審査官がスタンプを押し、ブザーが鳴ると重い扉の鍵が解除される。扉を押すと、駅へと繋がる連絡口が広がった……。
かつて「涙の宮殿」を覆っていた重苦しい空気を再現することは不可能だろう。ここを通った人にしか分からない感情というものがある。それでも、彼らが味わった悲しみや怒り、やるせなさ、恐怖、安堵といった気持ちをいくらかでも普遍化し、後世に伝えようとする記念館側の強い意思を感じた。
(ドイツニュースダイジェスト 11月7日)
Information
涙の宮殿
Tränenpalast
フリードリヒ通り駅に面したかつての出国検問所。2011年から、「ドイツ連邦共和国歴史の家」財団の運営により、「越境体験。ドイツ分断の日常」をテーマにした常設展が行われている。「涙の宮殿」の出来事を軸にして、東西ドイツの分断から1990年の統一までの歴史を約600点の展示品と共に紹介。説明は独英表記。入場無料。
開館:火~金9:00~19:00、土日祝10:00~18:00
住所:Reichstagufer 17, 10117 Berlin
電話番号:030-46777790
URL:www.hdg.de
ベルリンの壁・記憶の場所
Gedenkstätte Berliner Mauer
1961年の壁建設当時、多くの悲劇が起きたベルナウアー通りにある、ベルリンの壁関連では最大の記念施設。実際の壁の跡や和解の礼拝堂など、見どころは多い。昨年秋から改装中だった壁記録センター(Dokumentationszentrum)では、壁崩壊25周年の11月9日、メルケル首相臨席の下、新たな常設展がオープンする。
開館:火~日9:30~19:00(11~3月は~18:00)
住所:Bernauer Str. 111, 13355 Berlin
電話番号:030-467986666
URL:www.berliner-mauer-gedenkstaette.de