日々移り変わるベルリンに15年近く住んでいると、いつの間にか消えてしまったものへのノスタルジーが募るときがある。私の場合、その1つが古いSバーンだ。私がベルリンに来た当初、独特の唸り声を立てて走る旧型のSバーンがまだわずかながら走っていた。開閉するときのドアの取っ手の重かったこと。内装の壁と座席は木製で、車内に入ると木目が醸し出す温かい雰囲気に気持ちがほころんだ。
2003年にこの電車が突如姿を消した後、477型と呼ばれるこの車両が1935年に製造されていたことを知った。ナチスの時代もベルリン・オリンピックも経験した電車が、21世紀になっても現役で走っていたのだ。その意味を思うと、「もっと味わって乗っておくのだった!」と私は後悔したが、時すでに遅し。あの懐かしい電車は、記憶の彼方へと旅立ってしまった。
そんなSバーンの博物館がベルリンの郊外にある。冬期以外の毎月2日間しかオープンしていないため、今回ようやく日程を合わせて訪ねることができた。ベルリン市をわずかに外れたSバーンのグリープニッツゼー駅で降り、表示に従って歩いて行くと、昔の信号扱い所だった建物を利用した博物館が見えてきた。
細い階段を上って行くと、文字通りの「鉄(テツ)」の匂いが立ち込めてくる。以前、本コラム(第973号、2014年3月7日発行)でご紹介したベルリン地下鉄博物館を思い出した。窓口で硬券の入場券を買って中に入ると、壁にはSバーンの緑色の看板や駅名のプレートがぎっしり飾られ、奥にはあの懐かしい電車の姿もあった。
関連記事:
発掘の散歩術(44) -地下鉄博物館で途中下車!- (2014-03-14)
同じベルリンにあっても、Sバーンが地下鉄と異なるのは、その錯綜した歴史背景ゆえだろう。第2次世界大戦後、ドイツ、そして首都ベルリンは連合国の占領下に置かれたが、連合国の命でSバーンは一括して東独の国営鉄道であるライヒスバーンの管轄下に置かれた。東西どちらを走ろうが、である。1961年に壁の建設が始まると、西側のSバーンの利用者は激減した。どれだけ乗っても、収益は東側に流れたからだ。館内には、分断時代のSバーンの映像や写真が多く展示されていた。そこに見られる廃墟のような駅舎や保線状態の悪さが想像できる線路……。Sバーンこそは、西側にある東の世界だった。戦前の電車が世紀をまたいでも走り続けたのは、このような特殊な背景があったからにほかならない。この博物館のすぐ近くにあった壁を越えて、Sバーンがベルリンからポツダムまで再び走るようになったのは、東西統一後の1992年のことだ。
博物館に保存された電車のあの木製の椅子に座り、しばし思い出に浸った後、グリープニッツゼーの駅に戻る。目の前には同名の湖が広がり、高級住宅が立ち並ぶ。1945年7月、トルーマン米大統領がポツダム会談中に滞在し、広島と長崎の原爆投下を決定したと言われる邸宅はこのすぐ近くにある(関連記事はこちらより)。人々を分断し続けた東西ベルリンの壁も、今も人々を苦しめる原爆も、時の権力者が「正しい」と考えた一瞬の判断によって引き起こされた。そんなことを思うと、ノスタルジックな気分が一気に覚醒した。(ドイツニュースダイジェスト 5月1日)
Information
ベルリンSバーン博物館
Berliner S-Bahn-Museum
1996年にオープンした鉄道博物館。Sバーンの同好会により運営されており、様々な時代のSバーンの座席、プレート、切符、刻印機、信号などが展示され、その多くに触ることができる。実物のコントローラーを動かせる運転台も人気。入場料は2ユーロ(16歳以下は1ユーロ)。S7のGriebnitzsee駅より徒歩2分。
開館:4~11月まで毎月第2土曜・日曜(11月のみ第3週)
住所:Rudolf-Breitscheid-Str. 203, 14482 Potsdam
電話番号:030-78705511
URL:www.s-bahn-museum.de
ベルリンのトラム150周年
150 Jahre Straßenbahn in Berlin
乗り物好きにお勧めしたいのが、今年創業150周年を迎えるベルリンのトラム(路面電車)の記念イベント。6月22日にアレクサンダー広場で行われる祝典では、1883年の馬車鉄道から最新型のトラムまでが一堂に会する。6月27日と28日の週末にはリヒテンベルクの車庫が一般公開され、さらに28日には祝賀の花電車が市内を走る予定だ。