新潮社の季刊誌「考える人」のウェブで、5月からエル・システマジャパンについての連載記事を書かせていただいています。開始からもう大分経ってしまいましたが、ここでぜひこの連載についてご紹介したいと思います。
ベネズエラで生まれた音楽教育プログラムのエル・システマが、東日本大震災後の福島県相馬市で立ち上がると知ったのは2012年9月のことでした。たまたま知人からコンサートの写真撮影を頼まれて聴きに行ったのが、相馬子どもオーケストラの立ち上げのきっかけとなるIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のチャリティーコンサートだったのです。その2年後、ご縁あって雑誌「考える人」に寄稿する機会に恵まれたのですが、そのときの特集のテーマが「オーケストラをつくろう」。増田ユリヤ氏によるエル・システマジャパンのルポを読んだ私は、あの後相馬に子どもオーケストラが立ち上がり、本格的な活動がスタートしたことを知りました(この号の付録に2012年のベルリンでのチャリティーコンサートのCDが付いていたのも嬉しい符合でした)。
時は流れて昨年の12月、ベルリン日独センターで働く知人に会った際、相馬子どもオーケストラが震災から5年の3月11日に合わせてドイツへ演奏旅行に来ることを聞き、私の中でのこれまでのささやかなつながりが1本の線になったのを感じました。この演奏旅行のことをぜひ記事にしたいと思い、「考える人」の河野通和編集長に相談したところ、幸いすぐに興味を示してくださったのでした。2月の一時帰国の際、エル・システマジャパンの代表を務める菊川穣さんとも知り合うことができ、ちょうどその頃に行われた相馬子ども音楽祭を聴きに相馬まで足を運んだのも貴重な機会でした。
ところでこの春、「考える人」は大規模なリニューアルを迎え、これまでの紙の雑誌に加えて新しいウェブサイトが立ち上がりました。ジャンルを問わず硬派な読み物がぎっしり詰まっているというイメージだった「考える人」が、なぜここにきて大きなリニューアルをすることになったのか。河野編集長と株式会社はてなの近藤淳也会長との対談の中に、その背景が語られています。
河野 先ほど近藤さんのお話にもありましたが、「なんとなく」の時間潰しを含めて、多くの人の目がスマホにすっかり奪われている。可処分時間の大半がスマホに消費されている。
いよいよもって、雑誌や本に接する機会が少なくなっているわけですが、一方で私たちは本や雑誌の持つおもしろさを知っています。それを知らないで通過してしまう人についつい声をかけたくなる。
こんなユニークな考えを持つ人がいて、こんな暮らしぶりをしている。おもしろいと思いませんか、と。
接する機会さえあれば、スマホの画面の向こうには実はおもしろい世界がたくさん待ち受けているのに、なかなかそれを実体験してもらう機会や、そのための回路が整備されていません。そういう思いがあって、「いまさら」かもしれないけれども、僕らはWebで窓を開いて、とにかくわれわれが編集している雑誌――というよりは、ひとつの人格を備えたメディアの世界――に接してもらうチャンネルを作ろうというわけです。でなければ、メディアとしての十分な役割を果たせないのではないか、とも思っているのです。
中央公論時代から雑誌一筋で編集者の道を歩んでこられた河野さんがスマホ全盛の時代に感じている「もどかしさ」が強く伝わってきます。話題はそこから、便利さという観点から見れば効率は悪いかもしれないけれど、決してなくなることのない「人間的な行為」に移ります。音楽をするという行為も、まさにそのひとつではないかと思います。
河野 情報を得るには、スマホって本当に便利だと思います。操作は簡単だし、快適にスピーディーにいろいろな情報を入手できます。生活ツールとして、こんなに強力な味方はありません。
さはさりながら、そういう便利さとはまた別に、多少は不便でも何か心のバランスを取るために、人はあえてめんどくさい所にわざわざ出かけたり、人の気配や存在感を確かめるためにみんなと一緒のライブのイベントに参加したりしますよね。おそらく人とのつながりとか、もう少し深い何かを求めるために「わざわざ時間や労力を使い、めんどくささもいとわない」という部分が、人からそうそう簡単に消えてなくなるとは思えません。
「自分の頭で考える」という行為もまた、まさにそういうカテゴリーに属します。情報を出し入れするのとは別次元の、非常に人間的な行為。最初は不慣れで戸惑うけれど、あっという間にそのおもしろさがわかってくる、というような。その「知の楽しさ」や魅力に気づいてもらうために、僕らは単に雑誌を印刷しているだけではなく、日常的にその世界に接触してもらうための場を設けなければいけないのではないか、ということです。
今回ウェブサイトに連載の機会をいただいたエル・システマジャパンの記事で書いてみたいと思っていたことと、「考える人」のリニューアルの方向性とが重なり合っていると感じられたのは嬉しいことでした。例えば、「人」との出会いにフォーカスするということ。
この時代に「自分の頭で考える」という行為を誰に命じられたわけでもないのに、自覚的に続けている人って、どんな人で、どこにいるんだろう。”考える人”って誰だろう。ウォーリーをさがせ、みたいな疑問が皆さんの頭の中で芽生えるとしたら、「考える人」という雑誌を読めば、こんなところにこういう人がいて、こんなことをこんなふうに考えています、ということがちゃんと誌面化されているというふうにしておきたい。これまでも同じような気持ちで“考える人”たちをわれわれは紹介してきたつもりですが、今後はそれをより意識的に、鮮明にしていきたい。「人」との出会いにフォーカスして誌面を構成していきたいと思っています。したがって、インタビューや対談が重要になってくると思います。
私自身、人に会って話を聞いてまとめるインタビュー記事を書く機会が増えているのですが、以下に書かれている民俗学の宮本常一さんの仕事や河野さんの姿勢には共感を覚えますし、少しでも学びたいと思います。
河野 話が飛躍しますが、たとえば日本の民俗学って、ずっとそういうことをやってきたんだと思います。宮本常一さんが訪ね歩いた人たち。いろいろな地方にいる職人とか漁師とか、それから柳田國男が拾い集めた民話とか。言ってみれば、インターネットも何もない時代に、自分たちの足を使って各地を訪ね歩き、歴史に埋もれた知恵とか言葉を拾い集めながら、これが思考の宝物だよ、ということを示していたのではないか、と思います。私は当時のジャーナリズムだとも思っています。だからいまも必要とされるし、本質的な仕事なのだと思うんです。
河野 テレビのインタビュー番組でもすごく優れたものは、情報量が大変多いし、ぼんやり感じ取っている以上のことが画面には写し取られていますよね。もっとも、私は活字メディアの人間として、それに敗北感を持つかというと、そんなことはありません。文字でそれを上回るものをどうつくるかと考えます。
これまでも、実際にインタビューした内容を2ページないしは4ページくらいにまとめていますが、僕らは絶対に“作品”をつくってやると思って取り組んでいます。
インタビューに答えながら、語り手の内部で「このひとつの言葉が水先案内人になって、考えがこのように流れ、整理されていったのか」という、思考生成のプロセスが感じられるようにまとめられた記事は、ドラマ性があるし、多くの示唆を含んでいます。読者にはそれを体感してもらいたいと思っています。
最後に、特に印象に残った河野さんと近藤さんの以下のやり取りを引用します。
河野 近藤さんが理想とされるメディアサイトのあり方はどんなものでしょうか?
近藤 すごい個人的なことを言わせていただくと、おもしろい記事を読んだなと感ずるのは、だいたい最近、体感を伴うものが多いんです。
情報はもうどれだけでもあるので、情報が載っているということではなく、書いている人が本当に体で感じた実感がちゃんと入っているかどうかに、すごく価値を感じます。何でもいいんですよ。「ラーメンめっちゃおいしかったです」でもいいんです。
本当にこの人はこれを見て感動したんだな、本当にこれがおもしろいと思ったんだろうなとか、本当に感じているかどうかが大事。
河野 本気で書いている、みたいなね。素直さというか、誠実さは鍵かもしれませんね。
近藤 「考える人」には、さまざまなおもしろさをお持ちの方々が登場されますが、そういう方々にはお会いしたら絶対何か感じるところがあると思うんですよ。
そもそもちゃんとお会いしてまで記事をつくっているということ自体がすごい価値だと思うんですよね。適当にネットから情報を引っ張ってきて作ったんだなと思う記事もあるじゃないですか。
でもそうじゃなくて、わざわざ会いに行くということ自体が、価値のあることだと思いますし、そこで感じることっていうのは本物だと思うんで、そういうものが伝わってくると、うれしいなとは思います。
いつか音楽をテーマにしたルポルタージュを書いてみたいと思っていた私にとって、野心にあふれた「Webでも考える人」で連載の機会をいただいたのはとても嬉しいことです。エル・システマジャパンの連載記事は次の第7回で、ひとつの山場を迎えます。相馬子どもオーケストラを支える大人たちや、(これから登場する予定の)子どもたちの考えに出会ったり、そこで作り上げられるハーモニーを体感していただけたら幸いです。