ベルリンにある鉄道ターミナルの一つ、ズュートクロイツ駅のホームに立つと、青いイケアの買い物袋を持った人の姿によく出会う。この近くに大型家庭用品の店がいくつも並んでいるからだ。いつもは自分たちも通る買い物客の流れから外れて、今回は出口から反対側の道を行く。
プロイセン時代、この辺りには鉄道連隊の兵営があった。今も当時の建物が多く残り、道ばたに積もる黄色い落ち葉が赤レンガの建物によく映えている。5分ほど歩くと、ヴェルナー・フォス・ダム54番地の建物が見えてきた。地下に続く階段を下りて行くと、特有のかびたにおいが鼻につく。ここはヒトラーが政権を取った1933年の3月から12月までの間に、約2000人が拘留された監獄跡。
歴史に興味があっても、進んで足を運びたい場所ではない。それでも今回行ってみようと思ったのは、当時ここに拘留されたユダヤ人の夫を持つ90代のドイツ人女性Gさんと知り合ったからだった。
廊下の左側に続く4つの部屋は当時監禁室として使われていた。SA(突撃隊)によってここに連行されたのは、主に政治的にナチスと相容れない考えを持っている人やユダヤ人だった。例えば、共産党や社会民主党の党員、労働組合員、ユダヤ人の医者や弁護士もいた。Gさんによると、当時ユダヤ人は共産主義者でなくても、ナチ党よりはましだという理由で共産党を選ぶ人が多かったという。
33年4月にここに拘留されたある労働者の証言が展示されていた。「与えられた食べ物は乾いたパン1つだけ。飲み物を求めたら、あるSAの男が水の代わりに尿の入った容器を手渡した。それを飲むことを拒絶したら、今度は塩水を持ってきた」。時には拷問が行われることもあり、約30人がそれによって殺された。壁の数カ所には当時拘留された人が刻み込んだ文字が残り、透明のケースで保護されている。今はどの部屋も自動的に明かりが付くが、当時はほぼ真っ暗闇だったらしい。見学者はほかに2、3人しかいなかった。綺麗に改装され、団体客であふれる強制収容所跡を見学したときよりも、恐怖を肌で感じた。
ホロコーストの帰結を知る私たちは、「まさかあんなことが再び起こるわけがない」と思う。だが、ナチスによる独裁の出発点となったこの場所に立つと、当時起きたことが現実の世界にリンクしてくる。まず「敵」を作り、言葉や直接的な暴力によって彼らの人間性を蹂躙(じゅうりん)することから始まったのである。
Gさんによれば、夫がここに拘留されていたことを生前、家族に話したのは一度だけだったという。「Sバーンに乗ってこの辺りを通ったとき、ふと夫が『昔あそこで最初の拷問を受けたんだ』と言った。娘はびっくりして、『え、お父さんが? 一体どうして?』と反応したら、『いや、政治的なジョークを言ってね』とだけ答えたのよ。夫の死後、残された資料からあの場所にいたことがわかり、私は記念館の設立にも携わった。展示のオープニングに娘を誘ったけれど、『私は絶対そこには行けない……』と最後まで拒絶していたわ」
私は今回、家族とこの監獄跡を見に行ったが、地上に出た後、すぐに家に帰る気分にはなれなかった。徒歩10分の距離にあるイケアに行き、2階のカフェで熱いコーヒーを飲み、シナモンロールを食べた。ごく普通のシナモンロールだったと思う。だが、このときは、とてつもないご馳走に感じられた。
(ドイツニュースダイジェスト 12月2日)
Information
パーペ通りのSA監獄
SA-Gefängnis Papestraße
テンペルホーフ地区にあるナチス時代の監獄跡。戦後長らく忘れられていたが、1992年になってこの場所の調査が始まり、2013年に記念館としてオープンした。内部の部屋はほぼ1933年当時の状態で残されており、ナチスによる国家テロの初期の歴史を伝えるベルリンでは唯一の建物として貴重。説明文は英独表記。入場無料。
オープン:火〜木、土14:00〜18:00
住所:Werner-Voß-Damm 54 a, 12101 Berlin
電話番号:030-902776163
URL:www.gedenkort-papestrasse.de
ナチス時代の強制労働 情報センター
NS-Zwangsarbeit Dokumentationszentrum
第2次世界大戦中、ベルリンではさまざまな国籍から成る3000人以上もが強制労働に携わっていたといわれる。東の近郊にあるSバーンのシェーネヴァイデ駅から徒歩10分の場所には、市内で唯一完全な状態で残る強制労働者の収容所跡があり、2006年からこのテーマに関する展示を行っている。こちらも入場無料。
オープン:火〜日10:00〜18:00
住所:Britzer Str. 5, 12439 Berlin
電話番号:030-63902880
URL:www.dz-ns-zwangsarbeit.de