国鉄の分割民営化からちょうど30年が経つというニュースをいささか感慨深い思いで読んだ。当時11歳だった私は、さすがに30年後のことなど想像できなかった(そんなことは今でも難しいが)。この機会に、30年前とも関係のある旅のことを振り返ってみたくなった。
昨年2月15日、仙台発10時42分発のはやぶさ9号で新青森に向かった。
一時帰国中だったこの時、JR最後の夜行急行である「はまなす」号が3月の北海道新幹線の開業によって廃止となるので、これに乗って久々に北海道に行ってみたいと思ったのがそもそものきっかけだった。その後、雑誌「考える人」のウェブ版に相馬子どもオーケストラのドイツ公演のことを書かせてもらうことが決まったのだが、ちょうど「はまなす」に乗る前日に相馬で子ども音楽祭を開催されることを知った。自分のスケジュールを確認したところ、旅程を1日早めれば相馬に立ち寄ってから青森に行けることがわかり、プランを立て直したのだった(相馬に滞在した時の記事はこちら)。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、「考える人」はこの4月に出る号で事実上の廃刊を迎えることになった。「はまなす」の廃止は想定内だったが、「考える人」の休刊はまったく予期していなかった。もともと大好きで個人的なつながりも生まれた雑誌だっただけに、ただただ残念でならない。
相馬はそこまでの寒さではなかったが、新青森の在来線ホームに立つと、大雪であった。奥羽本線の普通列車では車窓に広がる(1枚目のような)幻想的な雪景色に見とれるばかり。川部で五能線に乗り換えて、五所川原で降りた。
このまま五能線に乗って日本海側に抜けるのも魅力的だが、五所川原で降りたのは津軽鉄道、それも有名なストーブ列車に乗るのが目的だった。アテンダントの女性が乗客1人1人に挨拶に来て、津軽弁でいろいろ説明してくれる。昭和23年製造の客車をいまだに使っているそうだ。月曜日だったので、乗客はまばらだったが、外国からのお客さんも何人か混じっていた。アテンダントさんは英語でも対応できるので会話が耳に入ってくる。中には台湾から1人で旅している女性もいて、ちょっと驚いた。
私は食べなかったが、希望すればこの列車名物のスルメをストーブで焼いてくれる。香ばしいにおいがぷんと立ちこめる。30分ほど心地よく揺られて、14時36分着の金木で降りた。
駅の中の食堂で遅い昼食を取ってから、太宰治の生家である「斜陽館」を訪れた。中学2年の時に、確か『走れメロス』を習った際だったと思うが、太宰ファンの国語の先生が斜陽館に行った時の話をしてくれて、いつかここを訪ねてみたいと思っていた。その女の先生は、啖呵を切るような語り口調で、よく旅の話をしてくれた。まだそれほどのお年ではなかったはずだが、その後病気で亡くなったと数年前当時の他の先生から聞いた。
ここも訪問客はまばらだったので、すべての部屋をゆっくり見ることができた。廊下の床がおそろしく冷たかったことが忘れられない。『津軽』をまた読み返してみたくなった。
いまだ昭和の気配が濃厚な金木の街を少しぶらぶらして、駅に戻る。この近くにKonditorei Kieferbaumというドイツ語の名前のケーキ屋さんを見つけた。
17時15分発の列車で再び五所川原へ。今度はストーブ列車ではなく、わずか1両のワンマンの気動車。しばらく前面に立って、暮れ行く単線の車窓を楽しむ。
五所川原から再び川部経由で青森に行くのは接続が悪い。ここからは路線バスを利用した。
この五所川原の駅も駅前の風景も、昭和の時代そのものであった。いつになるかわからないが、次に来る時は日本海の車窓を眺めたいものだ。
ローカルな路線バスに揺られる時間もなかなか良かった。山間の道から真新しい新青森駅に抜け、青森市内に入って19時15分頃、青森駅前に到着。駅前に懐かしい知人が待ってくれていた。
(つづく)