11月9日は、20世紀のドイツ史における運命の日としてよく知られる。皇帝ヴィルヘルム2世が退位し、ドイツの君主制の時代が終焉を迎えた日(1918年)。「水晶の夜」と呼ばれる反ユダヤ主義の深刻な暴動が起きた日(1938年)、そしてベルリンの壁崩壊が始まった日(1989年)などである。今年(2018年)は、前の二つの出来事からそれぞれ100年、80年という大きな節目を迎える。9月末の日曜、そのヴィルヘルム2世の展覧会が開催されているポツダムに足を運んだ。
ポツダム中央駅から695番のバスに乗り、最近改装された旧市街のブランデンブルク門を通って、広大なサンスーシ公園をぐるりと回る。この暑かった夏がすっかり過去となり、公園の木々は秋の色合いを見せるようになっていた。
18世紀にフリードリヒ大王が迎賓館として建てたバロック様式の新宮殿の前に着いた。同じ国王の建物でも、サンスーシ宮殿に比べて何倍も大きく、威圧感がある。
入り口から玄関の間に入ると、両側に古い家具や陶器、さらには消化器までもが無造作に置かれている。実はこれも展示の一部。その並び方に、いかにも慌ただく運び出した感じが表れている。ホーエンツォレルン家最後の皇帝、ヴィルヘルム2世とその家族は、退位に至る最後の日々をこの新宮殿で過ごしたのである。
1889年、すなわち父親フリードリヒ3世の病死によって急遽皇帝の座に就いた翌年から、ヴィルヘルム2世は新宮殿で好んで過ごすようになる。年間約5カ月にも及んだ。子ども時代に夏の多くをここで過ごしたゆえ、思い出もあったのだろう。貝殻や鉱物を隙間がないほど敷き詰めた洞窟の間は、クリスマスパーティーの会場になった。当時最新鋭だったセントラルヒーティングやエレベーターも設置されるようになる。
だが、そんな穏やかな日々は過去のものとなっていた。ドイツ革命の最中の1918年11月9日、帝国宰相マックス・フォン・バーデンはヴィルヘルム2世の退位を一方的に宣言。翌10日、新宮殿にいた皇帝の妻アウグステ・ヴィクトリアは召使いたちを集め、彼らの大半を解雇せざるを得なかった。
ヴィルヘルム2世はというと、その時すでにここにはいなかった。アポロザールという部屋に、10月29日、皇帝夫妻と五男のオスカーが最後の夕食をとった食卓が再現されていた。同日、ヴィルヘルム2世はここから大本営の置かれていたベルギーのスパに向かう。そして、11月10日、スパからオランダに亡命し、ポツダムに戻って来ることは二度となかったのである。
常設展のオーディオガイドを付けると、18世紀の典雅な音楽が鳴って、フリードリヒ大王が建てた当時のプロイセンが語られる。その後で、1918年秋の同じ場所での一族の黄昏時の説明を読むと、その落差が胸に迫る。
11月21日、皇后アウグステ・ヴィクトリアは、周辺の護衛の兵士の数が少なくなる中、「愛する新宮殿」からついに立ち去る。その6日後、宮殿の前の駅から夫のいるオランダへと特別列車で旅立った。ベルリンのような革命熱はここにはなく、周囲はひっそりしていたという。
(ドイツニュースダイジェスト 2018年10月5日)
新宮殿
Neues Palais
フリードリヒ2世(大王)の命により、1763年から69年にかけて建てられたポツダムの宮殿。7年戦争に勝利を収めた大王は、プロイセンの国威を示すべく、大規模な宴の間を持つ迎賓館として構想した。南側には彼の書斎や音楽室も(通常公開はされていない)。サンスーシ宮殿のように日本語のオーディオガイドは今のところないが、訪れる価値は十分にある。
オープン:水曜〜月曜10:00〜17:30(11月から3月までは〜17:00)
住所:Am Neuen Palais, 14469 Potsdam
電話番号:0331-9694200
URL:www.spsg.de
展覧会「皇帝の黄昏」
Ausstellung “Kaiserdämmerung“
今からちょうど100年前に終わりを迎えたドイツ帝国。その最後の舞台となった新宮殿で開催中の当展覧会では、歴史的な写真や手紙、ヴィルヘルム2世の亡命先のオランダ・ドールン館からの貸出品など貴重な展示品を交えながら、帝政とワイマール共和国の狭間の時期に焦点を当てている。開催は2018年11月12日まで。詳細は上記参照。