ドイツはこの日曜から夏時間に変わりました。間もなく3月も終わろうとしていますが、まったく何というこの1ヶ月だったでしょう。私は1月末から4週間ほど日本に一時帰国をして、ベルリンに戻ったのが2月末でした。その少し後に地元のタウン誌の連載に小さな記事を書いたので、ここに転載したいと思います。
新型コロナウイルスの感染は世界規模で拡大を見せています。そのような状況下、一時帰国の日本からベルリンに戻るのはやはりいくらか不安がありました。今号ではドイツの現状をお伝えしたいと思います。
私は2月24日にフィンランドのヘルシンキ経由でベルリンに戻りましたが、まったく何事もなく無事入国できました。その後、同じルートで家族が戻りましたが、ドイツ入国に際して「所在追跡票」が導入されたと聞いていたものの、特に何も求められなかったそうです。
ただ、ドイツでもコロナ感染者が増え始めるにつれて、人々の不安が高まっているのは肌で感じます。日頃マスクを付ける習慣のないドイツでも、街中でマスク姿の人をちらほら見かけるようになりましたし、ドラッグストアでは消毒剤がまったく手に入らなくなっている状況。また、スーパーではパスタやトマト缶が通常よりも多く売れています。ドイツでは非常事態の時に備えておくのがこれらの食材なのだとか。
日本から戻ってきたがゆえに嫌な思いをしたことは、幸い今のところありません。息子をいつから通わせるかで幼稚園に相談したところ、「日本は中国やイタリアの一部のようにリスク地域に指定されていませんし、お子さんが元気であればまたいつでも歓迎します。あなた方が心配することではありません」と冷静に対応してくれました。
3月9日現在ベルリンの感染者は48人、ドイツ全体では1000人を超えたとのこと。今後の行方を注視したいと思います。
(はまかぜ新聞 横須賀・三浦・湘南版 3月20日)
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この記事を書いたのは3月9日ですが、それから3週間経ち、3月28日現在でベルリンの感染者は2462人(うち死亡者は11人)、ドイツ全体では61164人(うち死亡者は490人)にまで膨れ上がっています。
この3週間で起きたことを少し振り返ってみます。息子が幼稚園に再び通い始めてわずか数日後に通知が届き、17日から当面の間幼稚園は閉鎖されることになりました。10日にはベルリン市のレーデラー文化相がイースター休暇明けの4月19日まで500人規模以上の劇場、オペラハウス、コンサートホールの催しを中止する決定を下します(急な決定だったため、すでにリハーサルに入っていたラトル指揮ベルリン・フィルやバレンボイム指揮国立歌劇場の《カルメン》の公演が無観客でストリーミング中継されることに)。私が日頃仕事でよく使っている国立図書館も14日から休館になり、この頃からミュージアムなど大半の文化施設が閉鎖されることになりました。18日夜、メルケル首相のテレビ演説が放映されます。市民に警告を喚起する意味で、このスピーチの意義と影響はやはり大きかったと思います。この週からは在宅勤務が主流になりました。そして、22日にドイツ政府が「接触禁止」(Kontaktsperre)の措置を発表し、公の場で3人以上で集まるのは禁止されることに。それと同時に、飲食店も営業停止の措置が取られ、いま開いているのはスーパーやパン屋、テイクアウトのできるお店、薬局などにごく限られています。
仕事面の影響はフリーランスの私にも当然出ていますが、今できることをしっかりやりたいと思っています(振り返れば、2月に一時帰国して取材旅行までできたことをありがたく思うしかありません)。毎日午前か午後に息子と近くの公園まで散歩します(遊び場は立ち入り禁止になっています)。家族と過ごす時間が増えました。期せずして、自分の生活を見直す機会にもなっているように思います。
今日は志村けんさんがコロナウイルスで亡くなったという悲しいニュースが入りました。今世界が同じ問題に直面しているがゆえ、各国政府の対応の仕方、そこで発せられる言葉の力、政策の具体性などに大きな違いが目立ってきているように感じます。皆さま、どうぞ健やかにお過ごしください。