「パパ、つまずきのいしのしゃしんをとりにいきたい」
クリスマスの翌日の昼間、5歳の息子が突然こんなことを言いました。今年のクリスマスは本人の希望で子供用のカメラをプレゼントしたので、それを使って写真を撮りたいというのです。しかし、なぜ「つまずきの石」?本人に聞いてみたところ、その数日前、散歩がてらクロイツベルク地区のあるつまずきの石を一緒に見に行ったので、パパと同じことをやってみたいと思ったそう。
寒い日でしたが、外に出て写真を撮りに出かけました。
私たちが住むヴィルマースドルフ地区はかつてユダヤ人が多く住んでいたので、少し歩けばつまずきの石はすぐに目に入ります。
今年の3月ごろだったか、近所の通りを歩いているときに、息子が路上のつまずきの石に興味を示すようになりました。とはいえ、5歳の子供にどこまで説明すべきなのか、また説明し得るものなのか。
いくらか躊躇しつつも、咄嗟に浮かんだのがこんな説明でした。
「むかしここにすんでいた人たちの名前が書いてあるんだよ」
「じゃあ、パパが前に住んでいたプラッツ・デア・ルフトブリュッケの家の前にもマサト・ナカムラって書いてあるの?」
いやいや、そうじゃないんだ^^;。それで、もう少しだけ詳しく石の説明をしてみたところ、
「ころされるってなに?いきのびるってなに?アウシュビッツってこわいところだったの?」
そんなことを聞いてくるようになりました。
歩道に1つポツンと埋め込まれた石もあれば、建物の入り口にずらりと並べられた石に出会うこともあります。それを人生で初めて手にした自分のカメラで写真に収めていきました。本当のところはまだよく理解していないと思いますが、興味を持ってくれるのは嬉しいことです。石に刻まれた地名でもっとも頻度の高いAuschwitzとTheresienstadtは、すぐに読めるようになりました。
つまずきの石は現在に至るまで実に7万5000個以上が埋められていますが、その大半は強制収容所などで殺害されたユダヤ人に関するものです。稀に「ÜBERLEBT」と刻まれたホロコーストの生存者の石も見かけます。その中で、現在も生存している方の石というのは、さらに極めて稀だと思います。
昨年10月、私がエルサレムでお会いしたヘンリー・フォーナーさんは、その稀な例のお一人です。現在発売中の岩波書店『世界』1月号に「生への列車・キンダートランスポート3――ヘンリーに会うイスラエルへの旅(後編)」が掲載されています。ヘンリーさんのご家族のつまずきの石が埋められるようになった経緯もそこで詳しく書きました。
ベルリン生まれのヘンリーさんが1939年2月、親元を離れて一人で英国に発ったのは、まだ6歳半のときでした。私の息子も来月で6歳になります。子供を生き延びさせるために異国の地へ送る決断をしたヘンリーさんの父親の想いはどのようなものだったのか、執筆中しばしば脳裏によぎりました。よろしかったら、この年末年始にご一読いただけると幸いです。