天使の降りた場所(10) – ポツダム広場の栄枯盛衰史 –

1900年頃のポツダム広場(当時の絵葉書より)
今日のBGMは前回と同じUte Lemperが歌うBerlin Caberet Songsです。よかったらそちらでも聴きながらお読みください。
ポツダム広場が交通の要衛になるきっかけとなった出来事は、1838年にプロイセン初となる鉄道駅(ポツダム駅)がここに建てられたことだった。折りしも19世紀後半、ベルリンの急激な人口の増加と好景気の波に乗って、この周辺には次々に新しい建物が建設され、19世紀末の時点ですでに92のレストラン、10の蒸留酒製造所、13のカフェ、36の居酒屋が軒を構えていたという。ベルリンっ子は、外部からお客さんがやって来ると何はともあれポツダム広場に連れて行く、そういう場所になった。
冒頭の写真は約100年前のポツダム広場の様子。右からPalast HotelとHotel Bellevueという2つの豪華ホテルが並んでいた。
ポツダム広場はその後も膨張を続ける。1920年代に入ると、毎日ここを通る車の数は2万台以上、トラムとバスの路線数は40を越え、「ヨーロッパで最も交通量の激しい広場」と呼ばれるようになった。
そのため交通事情は年々ひどくなる一方で、1924年、その対策として上の写真に見える「ヨーロッパ初の信号機」が広場の中心に設置された。アメリカの信号機をモデルに作られたもので、信号の色は塔の上の警察官が手動で変えた。この信号機はポツダム広場の賑わいを示す一つのシンボルとなる。写真の右手奥には、これまた当時ヨーロッパで最大級のデパート、Wertheimのファサードが少しだけ見える。
これは1935年ごろの写真だそうだが、広場の賑わいはまだ十分に感じられる。ポツダム広場の南側の様子で、左からHotel Fürstenhof、前回ご紹介したHaus Vaterland、その隣に鉄道のポツダム駅が顔を覘かせている。
そしてこちらは広場の北側。正面のPalast Hotelはそのままだが、その隣のHotel Bellevueはすでに取り壊され、新しいビルが建設中なのがわかる。
その新しいビルとは、ユダヤ人建築家エーリヒ・メンデルゾーン(Erich Mendelsohn)が設計したコロンブス・ハウス(Columbushaus)というオフィスビルである。1932年に完成した、当時としては超モダンなこの表現主義のビルをもって、戦前のポツダム広場は完成を見た。
翌1933年にナチスが政権を握ると、ドイツは暗黒への道を歩み始める。ユダヤ人のメンデルゾーンはイギリスに亡命した。この時点ではまだ見える例の手動式の信号機は、もはや時代遅れとなり、1936年のベルリン・オリンピックの後に撤去されることになる。
1945年のポツダム広場の様子。100年かけて築き上げてきたポツダム広場の栄華も、愚かな戦争によってあっという間に失われてしまった。何と悲しいことだろう。丸焦げになったコロンブス・ハウスが痛々しい。
さらに・・
「ヨーロッパで最も交通量の激しい広場」は、その数十年後こうなった。
一番左の建物はこの前お話したWeinhaus Huth、その隣がHotel Esplanadeの廃墟。そして、右端にそびえるのは何と夜のネオンがまぶしかったあのHaus Vaterlandの最期の姿である。壁がこの目の前に立ってもずっと放置されていたが、1976年にはついに完全撤去された。
このように見てくると、その10年後、荒野となったポツダム広場を呆然と歩く「ベルリン天使の詩」の老ホメロスの気持ちが、幾分なりとも理解できるのではないだろうか。
(つづく)



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2 Responses

  1. MOTZ
    MOTZ at · Reply

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    コロンブスハウスってすごいモダンですね。
    今の建物です、と言われても信じてしまいそう。

    最後の写真、まるで映画のセットみたいですね・・・

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >MOTZさん
    コロンブス・ハウスはこの前ご紹介したシェル・ハウスと同時期の建築です。シェル・ハウスもすごかったですが、この時代のドイツの建築はかなり時代を先駆けていますよね。バウハウスがまさにそうですが。

    >最後の写真、まるで映画のセットみたいですね・・・
    本当にそうですね。すごくインパクトのある写真です。

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