その中から、3月に散策したシャルロッテンブルク地区の公共墓地Friedhof Heerstraßeをご紹介したいと思います。日本語に訳すと「ヘーア通り墓地」ですが、実際のヘア通りからは少し離れた場所にあります。この墓地にはもう一つ、Waldfriedhof(森の墓地)という名称があり、実際グルーネヴァルトの森の北端に位置します。中に入ると、樹齢数百年の古い木も時々見られます。
昨日5月8日はドイツの終戦記念日でしたが、この墓地にも戦没者の追悼する石が並ぶ場所があります。このとき一緒に巡った知人のメヒティルトさんによると、第2時世界大戦末期、この近くに位置するオリンピア・シュタディオン(五輪競技場)という「神聖な」場所をロシア軍から護るため、10代半ばの多くの子供たちが国民突撃隊に駆り出され、命を落としたそうです。
神学者で反ナチ抵抗運動の一員だったディートリヒ・ボンヘッファーの両親、カール&パウラ・ボンヘッファーのお墓。
このお墓のことは、ドイツニュースダイジェストの連載に寄稿した「森の墓地で出会った20世紀」(2021-04-09)でも触れているので、よかったらそちらもお読みください。
地元の人でないとわからないレアなお墓にも案内してもらいました。シャルロッテンブルク地区にロガツキというベルリンでも割と有名な魚専門店がありますが、3世代に渡るその家族のお墓だそうです。
作曲家エルンスト・ペッピングのお墓。一般的にあまり知られた作曲家ではありませんが、私は昔この人が1944年に書いた交響曲第3番„Die Tageszeiten“という曲を演奏したことがあり、その音楽を思い出しました。
バリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのお墓。20世紀を代表する歌手のひとりであるフィッシャー=ディースカウは、テオドア・ホイス広場の近くに住んでいました。
1920年代のベルリンで活躍し、後にナチを逃れてアメリカの亡命したダダイズムの画家ジョージ・グロスの墓。
著名な文化人が多く並ぶ一角は湖に面しており、穏やかな時間が流れていました。
東洋風の石塔をもつ俳優ヴィクター・デ・コーヴァと田中路子夫妻の墓。戦中や戦後のベルリンの日本人の回想録によく出てくる名前です。例えば、小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)でも、カラヤンのもとで修行を積み始めた頃、「ベルリンで一番お世話になった人」として田中路子女史の名前が挙げられています。この夫妻の大きな邸宅もこの近くにありました。
ヘーア通りの墓地は宗派を超えた位置づけのため、一見してユダヤ系の人の名前とわかるお墓にも時々出会いました。ヘーア通りには戦後に生まれた広大なユダヤ人墓地もあるので、こちらにも改めて訪れたいと思っています。
ドイツでは有名なユーモア作家のロリオことVicco von Bülow。ロリオの特に知られたスケッチ„Herren im Bad“に描かれるアヒルの人形が、オマージュとして置かれており、クスッとさせられました。
U2のオリンピア・シュタディオンの駅を横目に帰途につきました。
ベルリンはここ数日、コロナの7日間指標がわずかながらも100を切っており、ポジティブな兆候も見られます。行動できる範囲が少しずつ広がっていくといいのですが、果たしてどうなるでしょうか。
中村さま
先月、ベルリン郊外での上記の墓地探索記事に遭遇。流し読みしただけで多忙に紛れ返信もせず、その侭となって仕舞いました。
日本国内での都市周遊の楽しみと同じく、墓地の掃苔作業は、その土地の気候風土や歴史を知る有力な手がかりであり、地誌に通じる楽しみにもなるのでしょう。以前、ウクライナへの紀行文でも、街外れに放置されたユダヤ人墓地の実態を紹介されていましたね。
で、この日も写真入りで紹介されていた音楽家 D. Fischer-Dieskau の墓碑ですが、何と、こんな場所にあったのですね。勿論、初めて知りました。撮影に写真の掲載、お疲れ様です。
遥か昔のこと、私が学生であった頃は、ドイツ歌曲と云えば、彼の独唱をLPで聴き込んだ時代でした。取り分け、高校時代は優秀なピアノ伴奏者に恵まれる幸運に浴し、F. Schubert の著名な歌曲なぞ、下手な出来も恐れずに100回以上も唄い込んだものです。
で、余計なお世話ながら、上記の墓碑銘で気付いた点がありますので、勝手にお報せします。撮影された墓碑の人名表記のうち、姓が Fischer-Dieskau とハイフォン入りで分割表記されています。これは、ドイツ人など西洋人の姓名に時々ある「二重姓の表記」です。
二重姓とは、英語では “double surname”, ドイツ語では “Doppelname” と呼ばれる生活文化の一部で、確か、法的な規定にも沿った正式な姓名表記です。Fischer-Dieskau に関しては、日本語のネット百科事典に拠れば、母方の先祖が J.S.Bach の農民カンタータの献呈を受けた領主の子孫である係累を強調する意図が示唆されていました。
こううした「二重姓」には、音楽業界では、オペラ作曲家の Giacomo Myerbeer とか、ロシア帝国時代の作曲家 Ippolitov-Ivanov などの事例も在る模様です。二重姓を名乗った動機は、姓の追加により豊かな財産の相続を確定するなど、現実的な理由が明記されている場合もあります。
もし、Fischer-Dieskau に付いて、何か詳しい情報をご存知でしたら。お時間があるときに、こちらのブログにて御知らせ頂ければ幸甚です。
お元気で。
Yozakuraさま
ご丁寧なコメントをいただいておきながら、長い間このコメント欄が放置状態になってしまい、申し訳ございません。二重性の方に出会うことはこちらではたまにありますね。Fischer-Dieskauのことは正直言いまして何も知らないのですが、4月末に息子の指揮者Martin Fischer-Dieskauが出演するイベントに参加する機会があり、 そちらは貴重な経験でした。どうぞお元気でお過ごしください。
中村さま
返信を拝見しました。その、往年の名歌手に息子がいて、矢張り音楽業界で活躍しているとの由、初耳です。また興味深い出来事なぞ有りましたら、ご紹介下さい。お元気で。