ライプチヒ広場にひっそりとたたずむ、かつての壁の断片。その奥はポツダム広場(2月6日)。
私がベルリンにやって来た2000年当時、未来都市のようなポツダム広場はすでにほぼ完成していたが、隣のライプチヒ広場はまっさらな状態だった。「ライプチヒ広場」と言われてもピンとこなかった。とにかく何もなかったからである。今から思えば、その時の様子も写真に収めておけばよかったなと思う。それが、この3,4年の間だろうか、みるみるうちに新しい建物が立つようになった。ベルリンの進化は本当に早いので、うっかりしていると大事なものを見逃してしまう。今回はそんなライプチヒ広場の過去と現在をリポートしてみたい。
このライプチヒ広場の歴史は、オクトゴン広場として設計された1732年にさかのぼる。オクトゴン(Octogon)とは、フランス語で八角形の意味。空中から眺めれば、その意味がおわかりいただけるだろう。この時同時に「カレ(正方形)広場」と「ロンデール(円形)広場」も作られたが、それぞれ現在の「パリ広場」と「メーリンク広場」である。
1814年、ナポレオンのライプチヒ会戦にちなんで、八角形広場からライプチヒ広場に名前が変わると、19世紀後半この広場は大きく発展する。ポツダム広場のすぐ隣りという立地条件にも恵まれ、高級デパートやホテル、レストランなどが立ち並ぶ一大繁華街となったのだ。この写真は戦前の様子。
第2次世界大戦で甚大な被害を受けたライプチヒ広場は、冷戦が始まると、そのすぐ上に建てられた「壁」の犠牲となった。この写真は、冷戦中ポツダム広場側から撮ったものと思われる。ライプチヒ広場の八角形の跡がはっきり確認できるが、それはもはや何の意味も持たなかった。東西の壁のはざまの”Todesstreife(死の危険のある立ち入り禁止地帯)”として、文字通り死んだ場所と化したのである。
そして、これが2006年2月のライプチヒ広場。通りをはさんで南側の部分にあたる。私にはどうしても無機的に見えてしまうビル群だが、1991年の都市設計コンクールの結果を受けて、再びオリジナルの八角形に沿って建てられることになった。
そのライプチヒ広場の、ポツダム広場寄りの北側の一角で、始まったばかりと思われるビルの建設作業が行われていた。ちょっと立ち寄ってみよう。無数の鉄骨が鮮やかに映えている。
もっと近くに寄って、工事の様子を見てみる。もちろん安全ベルトは付けているのだろうが、まだ足の置き場もない状態で作業をしている男たち。見ているこちらの方がハラハラしてしまう。
明日からはいよいよベルリナーレ(ベルリン国際映画祭)が始まりますが、もうちょっとこの界隈をご案内しましょう。
(つづく)
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ベルリン中央駅自体の開業も迫ってきたようです.ベルリンには1970年以来過去4回行っていますが,又計画をたてたいとおもっています.
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昨日、レアター駅の前を通りかかったら、ガラスのファサードに
「ベルリン中央駅」の文字が!急ピッチで進んでいますね、工事。
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>Kamanoさん
コメントありがとうございます。ブログも拝見しましたが、ドイツの鉄道事情に大変お詳しいのでびっくりしてしまいました。中央駅が完成したら、またぜひベルリンにいらしてください。
>akberlinさん
中央駅情報ありがとうございます!どうなっているのか今度また見に行こうと思います。ところで、今日からベルリナーレですね。りんりんさんはもう何を観に行くか決めましたか?私もそろそろプログラム選びにかかろうと思っています。