S-Bahnhof Alexander Platzにて(3月24日)
さて、意外に好評をいただいている(かもしれない)「ベルリーナーになるための100の問い」。今回から2回に分けて「歴史編」をおおくりします。この歴史編は全体の中で一番高い割合を占めていますが、ベルリンのことを知るために「この町で過去に何が起きたか」を知ることは必須なのでしょう。このブログで過去話題になった事柄も出てきますよ。では、今日もクイズ感覚でいきましょう。
II. ベルリンの歴史の基本(Grundlinien der Berliner Geschichte)
13. ローザ・ルクセンブルクの虐殺後、遺体が投げ込まれたのはどの運河?
(In welchen Kanal wurde die Leiche von Rosa Luxemberg nach ihrer Ermordung geworfen?)
14. 1933年2月27日、帝国議会を放火したとして、ナチが法廷の前に立たせたブルガリア人の名前は?
(Wie hieß der Bulgare, den die Nationalsozialisten vor Gericht stellten, weil er am 27. Februar 1933 den Reichstag angezündet haben soll?)
15. ゴルデルゼ(戦勝記念塔)はいつの時も現在の場所に立っているか?
(Stand die Goldelse immer da, wo sie heute steht?)
16. 第2次世界大戦の終結以降、ベルリンはどの国によって4つのゾーンに分割されたか?
(In welche vier Zonen war Berlin nach Ende des Zweiten Weltkrieges aufgeteilt?)
17. エルンスト・ロイターとは誰か?そして、1948年9月9日、彼は誰に対してこの町を見るよう要請したか?
(Wer war Ernst Reuter und wen forderte er am 9. September 1948 auf, auf diese Stadt zu schauen?)
18. 「干しぶどうの爆撃機」はいつ西ベルリンに飛んで来た?そして何を持って来た?
(Wann flogen die “Rosinenbomber” nach West-Berlin – und was brachten sie mit?)
19. 東から西へ逃げるための最も有名なトンネルは、どの通りの下にあった?
(Unter welcher Straße führte der bekannteste Fluchttunnel von Ost nach West?)
20. 東西間のどこで、スパイが交換された?
(Wo wurden zwischen Ost und West Spione ausgetauscht?)
21. 1987年、東西ベルリンは祝祭を催した。なぜ?
(1987 wurde in beiden Berliner Stadthälften gefeiert – warum?)
22. 1989年10月7日、共和国宮殿で何を祝った?
(Was wurde am 7. Oktober 1989 im Palast der Republik gefeiert?)
23. エーリッヒ・ホーネッカーが拘留されていたのはどこ?
(Wo saß Erich Honecker in Untersuchungshaft?)
24. シュタージ(東ドイツの秘密警察)の犠牲者はどのようにして拘留されたか、今日まだ見ることができるのはどこ?
(Wo kann man heute noch sehen, wie Stasi-Opfer inhaftiert wurden?)
25. ホロコースト記念碑には石碑がいくつ並んでいる?
(Wie viele Stelen hat das Holocaust-Mahnmal?)
26. ベルリンの壁の長さは?そして、壁はいつ崩壊した?
(Wie lang war die Berliner Mauer – und wann fiel sie?)
それでは解答です。
重要項目は太字にしました。私もがんばって覚えます(笑)。
II. Grundlinien der Berliner Geschichte
13. 1919年1月15日、ローザ・ルクセンブルクの遺体はラントヴェーア運河(Landwehkanal)に投げ込まれた。
14. ナチスは、ブルガリア人ゲオルギ・ディミトロフ(Georgi Dimitrof)を、帝国議会を放火したとして法廷の前に立たせた。
15. 戦勝記念塔の上の女神ヴィクトリアことゴルデルゼは、ヒトラーのゲルマニア計画に基づき、1939年、塔もろとも帝国議会の前からグローサー・シュテルン(Großer Stern)に移された。
16. ベルリンは第2次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4つのセクトに分割された。
17. エルンスト・ロイター(社会民主党)は、西ベルリンの市長だった。1948年9月9日、彼は「世界市民”Völker der Welt”」に対して、この町を見るように訴えた。
18. 西側連合軍の「干しぶどうの爆弾機”Rosinenbomber”」は1948年6月24日から1949年5月12日まで、いわゆるベルリン空輸でこの町にやって来た。それらの飛行機は、ソ連による封鎖の際、生活必需品を持って西ベルリンを援助した。特にアメリカ軍は、着陸する前に甘いものを小さなパラシュートで子供たちに落としていた。また、ドライフルーツも地面に落としたため、この「干しぶどうの爆弾機」の名前が付いた。
19. 西側に逃げる最も有名なトンネルは、ベルナウアー通り(Bernauer Straß)の下にあった。
20. スパイはグリニッカー橋(Glienicker Brücke)の上で交換されていた。
21. 1987年10月28日、「ベルリン」が最初に文書に登場してから750年を迎えた。
22. 1989年10月7日、共和国宮殿では東ドイツ建国40年が祝われた。
23. エーリッヒ・ホーネッカーはモアビット(Moabit)で拘留されていた。
24. ベルリンのホーエンシェーンハウゼン(Hohenschönhausen)にある記念館で、シュタージの犠牲者がどのように拘留されたかを知ることができる。
25. ホロコースト記念碑には2711もの石碑がある。
26. 1989年、西ベルリンを囲む境界設備は155キロもの長さがあり、そのうち43,1キロがコンクリートの壁だった。壁は1989年11月9日に崩壊した。
18番の「干しぶどうの爆弾機」は面白かったです。終戦直後の日本の「ギブ・ミー・チョコレート」に似た話がベルリンでもあったんですね。
21番ですが、1237年に最初に文書に登場するのは、正確に言うとベルリンの双子都市だった「ケルン(Cölln)」(あの大聖堂のケルンではありません)のことで、ベルリンが最初に登場するのは1244年だといわれています。この話はまたいずれ。
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この質問があることは知っていましたが、こちらで挑戦できるとは嬉しい限りです。トラックバックさせていただいた記事に恥じぬよう19番だけは、自信を持って答えましたよ!続きと関連記事が楽しみです。
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少し遅れましたが、リンクを張らせてもらいました。
こちらのブログの紹介記事も簡単に書かせてもらいました。
今後ともよろしくお願いします。
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>madonotabiさん
早速チャレンジしていただいたみたいで、お疲れ様でした!
歴史編ゆえに真面目な内容が主ですが、そのうち意外な質問内容もどんどん出てくるのでお楽しみに。
>lignpontoさん
ご紹介いただきありがとうございました。こちらこそこれからもどうぞよろしく!