U-Bahnhof Gleisdreieck付近にて(8月17日)
「廃墟」と聞いて、何やら誘惑めいたものを感じてしまう人は意外に少なくないのではと思う。町中を歩いていて、偶然ポツンと佇む廃墟を見つけたとする。恐いもの見たさも混じってはいるが、「一体これは何の建物だったのだろうか。どういう人が住んでいたのだろうか」というような好奇心とある種のロマンがかきたてられるのは、まあ自然なことではないだろうか。日本では数年前に廃墟ブームというのがあったらしいが、これは日本人だけの習性ではないだろう。
例えば、ローマという町は2000年前の廃墟(ここでは「遺跡」と言うべきだろうが)が今だに観光のドル箱になっていて、過ぎ去った時のロマンを求めて世界中から多くの観光客が集まって来る。また、ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィド・フリードリヒという画家は、廃墟を好んで絵のモチーフに取り入れた。
ベルリンという町は、いろいろな歴史的経緯から、空き地や廃墟が今でもかなり多い。それはこのブログでもいくつかご紹介してきたのでおわかりいただけると思う。映画「ベルリン・天使の詩」の舞台を巡るこのシリーズでは、これから何回か続けて歴史が生み出した廃墟を巡ることになる。
今回の舞台は、ポツダム広場の少し南にあるグライスドライエック Gleisdreieck(「三角線」の意)という駅の周辺だ。地下鉄のU1とU2が文字通り三角状に交わる駅として、1912年に作られたのがそもそもの起源。現在、地下鉄の乗換えでこの駅を利用することがあっても、用があってこの駅に降りる人はまれだろう。というのも、都心のど真ん中という場所にも関わらず、この周辺にはほとんど何もないからだ。
「ベルリン・天使の詩」では、一人のストリート・ガールがつぶやきながら客を待つシーンで、この場所が出てくる。「クラウスがいればなあ」と死んだ恋人(?)のことを思い出すうちに、彼女はどんどん涙顔になっていく。天使カシエルはその様子をずっと見つめている。
この駅の周辺は北側を除いて、20年前とほとんど変わっていない。人の気配はまばらで、たまに車が通り過ぎる程度。その奥に見える道を歩いてみた。
地下鉄の駅の下をレンガ造りの古めかしい建物(写真右)が縦一直線に並んでいるのだが、これがまさに廃墟だった。
なかなかすさまじい光景だ。とてもじゃないが、この中に踏み込んでいく勇気はなかった。カビのような変なにおいもしていたし、見てはいけないものを見つけてしまっても困る^^;)。
8月のある日、この辺りを歩いていたら、ふと向こうから一人の中年の男の人がやって来た。一眼レフのカメラをぶらさげ、嬉々とした表情で廃墟の中にカメラを向けている。こんな場所を歩くなんて一体誰なんだろうと思ったが、同好(?)の匂いを感じたので^^;)、ちょっと声をかけてみた。
ヨッヘンさんという本業が植物学者の方だった。暇を見つけてはこうしてベルリンの知られざる場所を訪ねて回っているのだという。この細長い廃墟の上には戦前まで鉄道が走っていて、このような形で残っているのはもう他にないのだと私に教えてくれた。
その後、ネットで見つけた戦前の絵葉書を見て(このサイトからお借りしました)、その方の言っていたことが確認できた。画面右下から延びている道路が、私が今まで歩いてきた道である。それにしてもこの上を列車が走らなくなってから60年以上が経過しているはずなのに、いまだにこのような形で残っているなんて・・
この先に行くと、やがてU2の高架線が見えてくる。ところで、ベルリン在住の方なら誰もがご存知だと思うが、8月からU2の一部区間が運休になっていて、ベルリンの人々は不便を強いられている。なぜこの区間が運休になっているのかご存知だろうか。次回はこの話から始めてみたい。
(つづく)
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Gleisdreieckは本当に三角だったんですね!
初めてその姿を見られて感激です。
今走っている、U1とU2以外のもう一本の線は、どこへ繋がっていたんですか?
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こんにちは、マサトさん。
Gleisdreieckとは三角線という意味だったのですね。
このなぁーんもない駅で、私は降り立ったことがあります(汗)。
それも郵便局を探して。
地図には郵便局マークがあったのに
実際行ってみると集積所?みたいなところで
結局歩いてMoeckern駅の近くにある大きなビルの
郵便局まで歩くはめになってしまいましたが
本当になぁーんにもないし、人っ子ひとりいないエリアで
ドキドキしながら歩きました。
この駅から北の川のほうに歩いていったのですが
川の突き当たりの角にこぎれいな建物があって(ガラス張り)
その中に首吊りのように、天井からたくさんの
人形が吊り下げられている建物があったのですが
あれはなんだったのかいまだもって不明です。
それでは次も楽しみにしています!
U2がなんで運休なのかも気になる・・・。
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>Sacmacさん
>U1とU2以外のもう一本の線は、どこへ繋がっていたんですか?
うーん、するどい質問です(笑)。
この線は今はもう確かありませんからね。私も実はよくわからないのです。ちょっと調べてみたいと思います。
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>しゅりさん
こんにちは。
さすがはしゅりさん、こんな駅にも降り立ったことがあるとは(笑)。
次回触れるつもりですが、この三角地帯は戦前まで2つの大きな駅に囲まれていて、戦後膨大な敷地だけが残ってしまったというわけなのです。この場所が将来どうなるのか、それも次回お話しますね。
>人形が吊り下げられている建物
これは一体なんでしょうね~。なかなかシュールな光景を想像します。
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こんにちは
>>マサトさん
現在のようにU1とU2が十字交差になったのは1926年のことで、それまでU1は、ここからワルシャワ橋方面の路線しかありませんでした。
そしてここで、U2のポツダム広場方面とツォー方面のどちらにも直通していました。そのために、線路が三角形を描く様に配置されていたわけです。
上の絵葉書では、左側がワルシャワ橋方面になりますね。
現在でも航空写真を見ると、三角形を描く高架線があったところに、あとからU1の西方面への路線が建設されたことが解ります(URLはgoogle mapへのリンクです)。
レンガ橋のほうは、ポツダム・リング駅から出ていたSバーンの跡ですね。これもパーペ通り~シェーネベルクで三角線を描いて環状線に合流していました。
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>hiro_hrkzさん
まさに目からウロコのご説明でした。ありがとうございます!
正直、Gleisdreieckの起源があやふやなまま書き始めてしまったのですが、そういうことだったのですね。本文の記事も後ほど訂正したいと思います。
googleの航空写真もすごいですね。先ほどGleisdreieckを通って家に帰ってくる際、かつての三角線の跡を思わず凝視してしまいました(笑)。暗闇でも何となくわかりました。
ということは、当時はツォーからワルシャワ橋行きの直通列車も出ていたのでしょうか。あるいは、ポツダム広場からワルシャワ橋行きとか。あまりにお詳しいのでびっくりしてしまいました。
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こんにちは。
>>マサトさん
U1とU2が開業した(=ベルリンで地下鉄が初めて開業した)1902年ごろの路線は、ここから東側が現在のU1、西側がU2で、あわせて一つの路線(ワルシャワ橋~ツォー)でした。くわえて、こことポツダム広場の間が短い支線となっていました。
ネットで調べたところ、列車は、ワルシャワ橋とツォーの間をポツダム広場に行かずに運行するものと、一旦ポツダム広場に行き、進行方向を変えて直通するもの2つがあったそうです。
余談ですが、上記の開業区間の殆どが高架線であることがわかります。
本当は、全部高架線の予定だったものの、カイザーヴィルヘルム教会周辺の景観を考慮して、ノレンドルフ広場から西側が地下になったと聴いています。
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>hiro_hrkzさん
補足説明どうもありがとうございます!
本来なら自分で調べるべきことですが、hiro_hrkzさんが大変お詳しいのでついいろいろ聞いてしまいました。
地下鉄開業当時の状況がよくわかった感じです。こんな運転の仕方をしていたとはおもしろいですね。こう見ると、Gleisdreieckは当時なかなか重要な場所だったのですね。
>カイザーヴィルヘルム教会周辺の景観を考慮して、
そうだったのですか。ベルリンは地盤が弱いので高架線が多い、という話は聞いたことがあります。