世界史を勉強すると必ず習うパナマ運河が今日のテーマです。
10月24日の紙面より。
Lexikon: Panama-Kanal(パナマ運河)
Schon Kaiser Karl V., Herrscher über Spanien, träumte 1534 von einem Wasserweg zwischen den Weltmeeren an der engsten Stelle des amerikanischen Kontinents. Der Franzose Ferdinand de Lesseps, Erbauer des Suez-Kanals, versuchte es knapp 350 Jahre später. Französische Ingenieure und karibische Arbeiter kämpften von 1881 bis 1889 gegen Urwald, Regen, Malaria und Gelbfieber. 22 000 Arbeiter starben, das Vorhaben wurde abgebrochen. Gut 15 Jahre später sicherten sich die USA eine Hoheitszone, dämmten die Malaria ein und bauten den Kanal in weniger als zehn Jahren. Am 15. August 1914 fuhr das erste Schiff durch. Ende 1999 übergaben die USA den Kanal an Panama.
訳)すでに1534年、スペインを支配した皇帝カール5世はアメリカ大陸の最も幅の狭い箇所の大洋を結ぶ水路を夢見ていた。スエズ運河の建設者、フランス人のフェルディナン・ド・レセップスがこれを試みたのは、その約350年後のことだった。フランス人のエンジニアとカリブの労働者は1881年から1889年にかけて、原始林、雨、マラリア、黄熱病と闘った。22000人が死亡し、計画は中断された。約15年後、アメリカが統治ゾーンを確保し、マラリアを食い止め、10年以内でパナマ運河を建設した。1914年8月15日、最初の船がここを通行した。1999年末、アメリカはこの運河をパナマに引き渡した。
(参考)
[パナマ市 22日 ロイター] パナマで22日に実施されたパナマ運河拡張計画の是非を問う国民投票は、圧倒的賛成多数で計画が承認された。投票監視機関によると、賛成と反対の割合は4対1と、賛成票が圧倒的多数を占めた。計画は、大西洋と大西洋を結ぶパナマ運河の通航能力を現在の2倍にし、より大型の船舶が通航できるようにするもの。通航能力の拡大は、パナマ政府の歳入増加につながる。