メヒティルトさん所蔵の写真から(1989年11月)
長々とお送りしてきたメヒティルトさんとのインタビューは今回が最後です。
壁崩壊前夜
当時、壁はこのままずっと立ち続けるものだと思っていましたか?
メヒティルト:(きっぱりと)ええ、思っていたわ。1989年の初頭にエーリヒ・ホーネッカーが「壁は、あと100年は持つだろう」と言ったら、DDRの人々は「この国で建てられたものがあと100年も持ちこたえるはずがない」と笑い飛ばしていましたが。とにかく私は、同じ年に壁が崩壊するなんて思ってもいませんでした。ルートヴィヒは後になってから、「僕は予想していたよ」なんて言っていたけれど。そうそう、私は11月8日に教会の集まりで東ベルリンにいたのよ。
えっ、11月8日というと壁崩壊の前日ではないですか!
メヒティルト:当時、東と西の教会で働く女性の間で、教会や日常生活に関しての情報交換をする場が年に2回ぐらいあったんです。その日は木曜日でした。フリードリヒスハインのバルトロメオ教会で何人かの女性に会ったんですが、彼女たちはさかんに「国境はどうでしたか?検問は厳しかったですか?」と私に聞いてきました。とにかく国境で何が起こっているのかを知りたがったんです。私は「いえ、特にチェックは厳しくなかったですよ」と普通に答えました。
それまでと変わらない感じだったんですか?
メヒティルト:いえ、何かが目前に迫っているのを感じはしました。でも、物事があんなに早く進むだなんて、その時は思ってもいなかった。
深夜に鳴り響いた電話
そして運命の11月9日を迎えるわけですが。
メヒティルト:翌9日の夜、私はSFB(ベルリン自由放送)のニュースをテレビで見ていました。19時半頃だったかしら。ニュースでそのことが取り上げられて、ルートヴィヒとも話していましたが、それが一体何を意味するのかよくわかっていなかったんです。映像がまだ届いていないというせいもあった。他の人たちのようにわざわざ壁の様子を見に行くこともなく、その夜私はそのまま寝てしまいました。
すると深夜1時半ごろ、電話が鳴ったんです。「メヒティルト、私よ!今ノイケルンにいるのよ!」 東ベルリンの友人からでした。トレプトウに住んでいた彼らは壁を越えて、ノイケルンにいたのです。私は「それはすばらしい!あなたたちの幸運を祈るわ!」と言って、再び眠ってしまいました。壁が壊れたのがどうやら本当のことだと理解したのは、翌10日の金曜日、西ベルリンでトラビ(トラバント)が走っているのを初めて見た時です。こうなると話は別でしょ(笑)。要するに、壁が崩壊したのを現実の出来事として理解するまで、いくつかの段階があったんです。
この写真は、壁崩壊の約1週間後、メヒティルトさんがブランデンブルク門周辺で撮ったもの。早くも壁のかけらを露天で売り出すトルコ人女性の写真を指差して、メヒティルトさんは笑っていた。
90年以降の建築ラッシュ
1990年のドイツ再統一以降、ものすごい勢いで新しい建物が建ち並びましたが、どう思われますか?
メヒティルト:それによって難しいことも起こったわ。例えば、ポツダム広場。あそこはもう私の場所ではなくなってしまった・・・もちろん壁があった時代のポツダム広場も悲惨な状態だったけれど、ここまで隙間なく建ち並んでしまうとね。それに、あそこはビルの谷間風がひどくて、冬場は歩きたくないのよ。
モダンな建築群の中ではフィルハーモニーや新ナショナルギャラリーなどが好きね。醜悪だと言う人が多いドイチェ・オーパーも、私はもともと好きです。でもそれは私が子供の頃からあそこで育ったことと関係があるかもしれません。もっと最近の建築となると、そうね・・・今思い浮かんだものでは、ドイツ歴史博物館のペイ館はとても気に入っています。あと、古い建築物を現代的に改築したものの中にも好きな例があるわね。ハッケシャーマルクトの駅とかオペラ座の近くのテレコムの建物がそうだし、普通のアパートの中にも、古いものと新しいものとをうまく組み合わせたものが少なくありません。新しいユダヤ博物館は、建築的にすばらしいかどうか私にはわからないけど、少なくともとても興味深いとは思うわね。ただ、ソニーセンターやその隣の一連の建築物がすばらしいかというと・・・
ベルリンがドイツの他の街と違うのは、どういうところにあると思われますか?
メヒティルト:それは難しい質問ね。何しろ私はずっとここに住んでいるわけだから。ルートヴィヒに聞いてみたら(笑)?
多くの人が言うことだけれど、「ベルリンにはよそよそしさがない」っていうわね。なぜなら、純粋なベルリーナーというのは少数派で、みんないろいろな場所からこの街に集まって来ているから。トルコ人とかになるとまたちょっと別だけど、ミュンヘンから、シュトゥットガルトから、あるいはハンブルクからやって来てベルリンに住んでいるということはごく普通のことでしょ。ある女性が、「ドイツの他の街と違って、ベルリンでは『あなたはどこから来たの?』といちいち聞かれることがない」と私に言ったことがあるけれど、確かにそうかもしれません。でも、それ以上のことになると私にはわからないわね。
メヒティルトさんが、ベルリンに郷愁を感じるのはどういう時ですか?あるいは何に対して郷愁を感じますか?
メヒティルト:いくつか挙げてみましょう。まずは街路の敷石と街灯ね。ベルリンの敷石と街灯は他の街と違うのを知っているかしら?それから街の至る所に立っている菩提樹の香りを夏の日胸いっぱいに吸い込む時。あと、地下鉄のにおいにもベルリンらしさを感じるわね。あれが嫌いという人もいるけれど、街を歩いていて、通りにある地下の通風口からあのにおいがむわっと立ち上がってくる瞬間、私は「ベルリン」を感じるんです(笑)。
「街路の敷石」と言われても、私には何のことかよくわからなかった。するとメヒティルトさんはふと思い出したように、「よかったら今度の土曜日の午後、クロイツベルクを一緒に歩いてみない?あの辺りは両親や幼少期の思い出がいろいろあるんだけど、私も長いこと歩いていないし、今話したこともそこで説明するわ」と言ってくれた。生粋のベルリーナーに街を案内してもらえるなんて、願ってもいない機会である。私は喜んでお願いすることにした。
さて、私は明日から仕事でドレスデンに行くため、しばらくブログの更新はお休みになります。帰って来たら、ベルリン・インタビューの番外編「メヒティルトさんと歩くクロイツベルク」をお送りするつもりですので、どうぞお楽しみに。
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「ベルリンの壁崩壊」の日には、私は日本に一時帰国していました。そのニュースを日本で聴いたとき、あまりにも多くのことが頭をよぎりました。大げさにいえば「わが人生の一大事件」だったというわけです(笑)。私はベルリンの居住者だったことは一度もなかったのに、常に「壁のある街」との崩壊までの約14年間、その後の数年間の付合いは「恋人(?)」との付合いみたいなものでした。
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分断時代のベルリンにおいては居住者も一時滞在者も、他者との係わり合いのなかで各人が大なり小なり政治的な状況という「枠」の影響を受けていたと思いますが(カラヤンとBPOのように「非政治的」な音響の音楽の存在は特別だったでしょうが)、「壁崩壊後」特に90年代後半くらいからしょうか、なにかすべてが個人と個人との間のようにミクロ化され細分化されたようにも思います。それは何かニューヨークを思い出すようにも感じます。「新生ベルリン」はそういった中から確実に生まれてくると期待します。そうですね、意を決して秋の休暇でまたベルリンに行ってみましょうか(笑)!
(於 Frankfurt am Main )
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忘れていました、「ベルリンへの郷愁」のことです。私だったら、あの2階建てバスがカーブを曲がるときにその上階の窓ガラスが街路樹の葉や枝(そして時には木の実)と接触してたてる音をバスの中で聞いた記憶ですね。それは時には「さらさら」、時には「ぱらぱら」という音です。非常に音楽的な音に聞えます。 これは西ベルリンにだけあって東にはない音でした。でもこれに一番ベルリンへの郷愁を感じますね。これも遠い記憶となりつつあります。
(当分の間失礼いたします。)
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こんにちは。戦争について本当に考えさせていただく記事ですね。世界の人々がプライドを捨て、みんな豊に暮らせるひが来てほしいです。ポチ!
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テレビを持ってなかったし、朝ラジオも聞かなかったので、街に繰り出してから異変に気付きました。東の連中が大勢、こちら側を歩いて、何かおかしいと。彼等は服装で判りましたから。
まさか、壁がなくなるなんて、信じられなかったですよ。
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壁が消えた日は、1989年11月10日(歴史に書かれている9日ではなく、日本時間)として、自分の人生に忘れ難く刻み込まれています。朝のラジオで「出国自由化」と聞いてもその意味がまだ分からなかったこと、仕事を終えてJR飯田橋駅のキオスクで、「東独市民続々と西独入り」という夕刊の見出しを読んだときの驚愕…などなど。
そう、私も、まさか壁が無くなるなんて、信じられませんでした。そして、壁がなくなったらどうなるのか、想像もできませんでした。
ベルリンの音ですか…地下鉄の"Zurueckbleiben!"というぶっきら棒なアナウンスでしょうかね(笑)。統一後は"Bitte"がうしろにつきましたが。
この一連のインタビュー、傑作ぞろいの「ベルリン中央駅」のなかでも白眉だと思います。ベルリンの今を生きるマサトさんだからこそ書けたのではないでしょうか。
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>la_vera_storiaさん
単に「興味深い」という言葉では片付けられない数々のお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。字数に制限のあるコメント欄で申し訳なく思います。それにしても、一度もこの街に住まれたことがないというのに(!)、la_vera_storiaさんとベルリンとの関係はまさに運命的な恋人との付き合いのようなものだったのですね。今のベルリンを見ると、昔よりいい面、悪い面、おそらくいろいろ見えていらっしゃるだろうと思いますが、これからもこの街の行く末を見守っていただけたらと思います。
>窓ガラスが街路樹の葉や枝(そして時には木の実)と接触してたてる
>音をバスの中で聞いた記憶
なるほど、これにはピンときました!
ひょっとしたら私も数十年後、似たような感慨をこの音に重ね合わせることになるのかもしれません。
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>京都ふらりさん
コメントありがとうございました。
メヒティルトさんは戦後世代の方ですが、それでも一連のお話から戦争がベルリンに残したものを静かにかつ強く感じることができましたよね。
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>gramophonさん
おお!gramophonさんは、壁が崩壊した時まさにベルリンに滞在中だったのですね。その時の唖然とした気持ちがほのかに伝わってきました。
>彼等は服装で判りましたから。
壁が崩壊して20年近くたった今でも、服装でわかる人はわかるそうですね。私はしゃべってみると、何となくわかります。
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>焼きそうせいじさん
お褒めの言葉をいただき、どうもありがとうございます。
メヒティルトさんとのインタビューはもっと短くまとめるつもりでしたが、私自身すっかり楽しんでしまい、この長さになりました。人から面白い話を聞きだし、ドイツ語から日本語にまとめるのは思ったよりも大変な作業でしたが、自分自身得ることも多いのでこれからも続けていきたいと思います。
>地下鉄の"Zurueckbleiben!"というぶっきら棒なアナウンス
昔は"Bitte"がなかったということに驚きました(笑)。