Engelbeckenより聖ミヒャエル教会を望む(2月24日)
「クロイツベルク時空散歩」の3回目は、一風変わった遊歩道に沿って歩きます。
ヴァルデマー通りを折れて、今度はミヒャエル教会に向かう遊歩道を北に歩く(この写真は昨年の夏に撮ったもの)。周囲より一段低く位置にあるこの遊歩道が、実はかつて運河だったことをメヒティルトさんから教えてもらったのは割と最近のことである。なかなか興味深い歴史が眠っている場所なので、図で簡単に説明してみたいと思う。
この図はWikipediaから借用したもの。革命の年の1848年、北側のシュプレー川と南側のラントヴェーア運河を結ぶ新しい運河(ドロテーア・シュタット運河)が建設された(ここでは後の説明をわかりやすくするため、中心に位置するミヒャエル教会を中間点として、南北線と東西線の2つに分けてみたい)。この運河はシュプレー川の洪水対策や、この界隈の建設作業を容易にするために造られたという。しかし目的をあまり果たすことなく、1926年にその使命を終えることになる。その後は土砂で埋められ遊歩道になった。ただ、ミヒャエル教会前の池は天使ミヒャエルに因んだ「天使の池(Engelbecken)」として、そのまま残った。
さて戦後、かつての運河の東西線全てと南北線の一部は東西ベルリンの境界とかぶさった(図の赤い線がそれ)。この線に沿って壁が建設されると、運河だった場所と「天使の池」は完全に埋められ、人が立ち入りできない「死の危険のある地帯(Todesstreifen)」と化したのだった。
壁の崩壊後は、かつての運河に沿って再び掘り起こされる作業が始まった。運河や遊歩道だった時代の設備が次々に出てきたという。やがて、ここは遊歩道として再整備されることになり、完成が近づいている。「天使の池」も再び水が張られ、美しい姿を取り戻した。いやはや・・・
Engelbeckenを越えてかつての運河の東西線(現在はBethaniendammという)を歩きながら、「かつてここに壁が建っていたのよ」と身振りで示すメヒティルトさん。
これもWikipediaで見つけた写真。上の写真とほぼ同じ場所で撮られたものに違いない(1986年)。18年前までここは都会の中のコンクリート砂漠だったわけだ。
その後、メヒティルトさんはこの通りの奥まったところにある一風変わった場所へ連れて行ってくれた。周囲はアパート群という中でここだけぽっかり穴が空いており、羊や山羊、ウサギ、ニワトリなどさまざまな動物が掘っ立て小屋や屋外で飼育されているのだ。
周りは普通のアパートなのに、ここだけ摩訶不思議なアナーキーな空間になっている。
この「クロイツベルク子供農園(Kinderbauernhof Kreuzberg)」が造られたのは1981年のこと。周囲の住民やスクワッターたちが、壁の目の前のこの土地を不法占拠し、「コンクリート砂漠のこの場所で子供たちに自然に触れさせる」という目的のために造り上げたのだという。
人々のそういう思いから生まれた場所だったのか。面白いスペースだなあと思って歩いていると、メヒティルトさんは「これがクロイツベルクというところなのよ!」といつもの大らかな声で私に言った。
(つづく)
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こんにちは、マサトさん。
毎回このシリーズを楽しみにしています。
この子ども農園って橋口譲二さんの「ベルリン物語」
(実は今また読み返しています)にも
出てきますよね。
今でもあるんですねえ・・・。
変わっていないベルリンを知ると嬉しくなります!
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変わってないベルリン、にかなり心を魅かれ続けている私です。いつまでも都会と田舎が混ざった場所であって欲しい。。。そして、ベルリンの壁のアートさにも降参です。象徴としての壁が壊されたことには喜びを感じますが、このアート感はこのまま別の場所に写して残して欲しかった。。。贅沢な望みですけど。
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>しゅりさん
>この子ども農園って橋口譲二さんの「ベルリン物語」にも
僕も読み直してみたら、確かに載っていてうれしくなりました。去年読んだときはまだこの場所のことを知らなかったので全く気付きませんでしたね。教えていただき感謝です!
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>Ryokoさん
>いつまでも都会と田舎が混ざった場所であって欲しい。
私もそう思います。おそらくこれからもそうあり続けるんじゃないでしょうか。生活の中のアート性も失わない街であってほしいです。