クロイツベルク時空散歩(5) – 国境の三角農園(上) –

Bethaniendammにて(1988年夏。メヒティルトさん所蔵の写真より)
今年の2月、メヒティルトさんにクロイツベルクの昔の写真を見せてもらったとき、私がとりわけ面白いと思ったのがこの1枚の写真とその場所にまつわるエピソードだった。
メヒティルトさんとのクロイツベルクの散歩も大詰めに近づいてきたが、今回はまず彼女が1988年の夏に撮った上の写真を見ていただきたい。画面横に走っているのがベターニエンダムという通りで、壁はその線に沿って建てられているのがわかる。そして、写真には写っていないが手前の聖トーマス教会側から画面右手に向かって伸びているのがマリアンネン通りだ。これら2本の通りが交差する地点に、1本の大きな木(これも後で出てくるので覚えておいていただきたい)とともに草木が茂る三角形状の土地が確認できるはずだ。今回の舞台はそこである。
「ベルリンの壁」とはベルリンの東西の分断ラインに沿って建てられた建造物、と誰もが普通は思う。だが、厳密にはそうでない例というのがあった。ベルリンの街は当然壁が作られることを前提に設計されたわけではないから、通りは複雑に入り組んでいる。だから、国境の線に沿って厳密に壁を築こうとすると、当然人件費も建設費もかさんでくるわけだ。それを少しでも省くために、DDR政府によって若干「はしょって」壁が建てられた場所というのが存在する。
この三角地点がまさにその例で、ここは厳密には東の領土である。だが、実際の壁はその向こう側に建てられた。つまり、東の領土が壁の手前の西ベルリン側にあるという奇妙な空間ができあがったのだ。
1980年代初頭、この土地を勝手に「占拠し」、荒れ果てた土地を耕した後野菜や果物を植え始めたあるトルコ人がいた。もちろん違法行為である。DDRの国境警備隊も最初はいぶかしげな目で見ていたらしい。オスマン・カリムというこのトルコ人は「自分がアナトリアからやって来た貧乏人であり、農作物を育ててちょっとした稼ぎにしたいだけだ」と誓ったところ、DDR政府はその2年後彼に許可を与えた。「彼こそは資本主義の犠牲者だ」という目で見ながら。やがて彼はそこに掘っ立て小屋を作り、育てた作物を近くのトルコマーケットで売りに出すようになった・・・
私は以前この辺りを歩いたことはあったけれど、そんな話はもちろん知らなかったので、「この農園は実はまだあるのよ。この界隈に住む人なら誰でも知っている話だわ」というメヒティルトさんの案内で実際に見ることができるのを楽しみにしていた。
前の写真に写っている見張り台からは、88年当時こういう風景が広がっていた。ぎりぎりで西側に残ったポツンと建つ2軒のアパートが印象的だ。左手の煙突は、最近アートスペースとして生まれ変わったかつての下水処理場「ラディアルシステムⅤ」に間違いない。
同じ場所の19年後はこうなった。この三角形の野菜農園の話は次回に続きます。
参考:
Schauplätze Berliner Geschichte (Andrea Steingart), nicolai. 2004



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6 Responses

  1. Yozakura
    Yozakura at · Reply

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    Masatoさま
     何時も興味深い記事の執筆に掲示、お疲れ様です。最新記事「壁越えの飛び地・三角農園」、拝見しました。
     ところで、これは以前、2006年02月26日12:30分付けでla_vera_storia氏が投稿された書き込み記事「クロイツベルクにあったこういうエリア」をさしているのでしょうか?
     冷戦時代には、「壁越えの東側飛び地が複数あった」そうです。次回以降も、このシリーズは継続するとのこと、お時間がありましたら、以前このサイトで話題になりました「飛び地」なども踏まえて、ご説明頂ければ幸いです。お元気で。
     

  2. Ken
    Ken at · Reply

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    DDRの"genauさ"にも限界があったんですね。
    次も楽しみにしてます。

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Yozakuraさん
    こんにちは、ご無沙汰しています。
    la_vera_storiaさんがあのとき投稿してくださったコメントを私も読み返して見ました。
    http://berlinhbf.exblog.jp/2848521/

    あの当時はクロイツベルクの飛び地のことは何も知りませんでしたが、「クロイツベルクにあったこういうエリア」とは、まさにこの野菜農園のことを指しておられるのだと思います。こういう場所は他にもあるようなのですが、私は正直あまり詳しくは知りません。次回もこの農園の場所に絞ってお話しすることになると思いますが、よかったらまたどうぞお付き合いください。

  4. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Kenさん
    壁は限られた時間の中で建てなければならなかったわけですから、悠長なことも言っていられなかったのでしょう。思わぬ死角があったわけですね。

  5. gramophon
    gramophon at · Reply

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    西南の外れにシュタインシュトゥックヘンという飛び地がありました。確か、そこまでの道路の土地を西側が買い取って、バスを通した筈です。殆ど四方を壁に囲まれた地域でしたので、友達の車で見学に行ったことがありました。

  6. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >gramophonさん
    シュタインシュトゥックヘンという場所の話は、何かの本で読んだ記憶があります。が、詳しいことは覚えていません。現在はどうなっているのでしょうね。

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