Friedhof der Dreifaltigkeitsgemeinde I (2009-02-03)
3日昼、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディの200歳の誕生日を祝って、メーリングダムの共同墓地で記念追悼式が行われました。私の家の近所ということもあり、式典に参加してきました。
最初に、メンデルスゾーンと縁の深いベルリン・ジングアカデミーのメンバーが、詩篇第100番「全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ」 を寒さの中合唱。公式行事といっても、訪れた人は40~50人でしょうか。それゆえ、親密な雰囲気の中で式は始まりました。
その後、ベルリン市の文化次官シュミッツ氏(左)による献花があり、ベルリン・ブランデンブルクの教会を代表してノイベルト氏が挨拶。「フェリックス・メンデルスゾーン。あなたは、ハンブルクに生まれ、ライプチヒで亡くなりましたが、ベルリーナーとしてここに感謝の意を表します」というようなことを言っていました。
20分ちょっとで式典は終わったでしょうか。しばらくその場で写真を撮っていたら、年配のご婦人に声をかけられました。「あの向こうにあるお墓のことを知っていますか?」と。
一緒に足を運んでみると、何とそこはフェリックスの両親のお墓だったのです。こんな近くにあったとは・・・。アブラハム・エルンスト・メンデルスゾーン=バルトルディ(1776-1835)は、哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの息子にあたり、ベルリンで銀行業を営んでいました。その日はフェリックスだけでなく、両親にも感謝の意を込めてその場を後にしました。
ちなみに、そのご婦人からは、建築家のクノーベルスドルフやジーメンス、また1820年代にサロンを主催し、メンデルスゾーン一家とも親交があった女流作家ラーヘル・ファルンハーゲン・フォン・エンゼのお墓のことも教えてもらい、ちょっとしたレクチャーのようでした。
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メンデルスゾーンの誕生日とは知りませんでしたが,BS日テレで下記のような番組をやっていました。
「結婚行進曲」で知られる19世紀ドイツの作曲家フェリックス・メンデルスゾーン。
幼い頃から天賦の才を示し、10代でオーケストラ作品やオペラの作品に取り組むなど、
モーツァルトと並ぶ天才作曲家と称された。17歳の時には現在でも傑作として知られる
「真夏の夜の夢」序曲を作曲。
しかしその天才の陰には常にある人物の姿があった…。
ファニー・メンデルスゾーン――フェリックスの姉である。
彼女もまた豊潤な音楽的才能を持っていた。
文豪ゲーテもファニーが作曲した歌曲に感銘を受け、彼女のために詩を書いた。
弟・フェリックスは作品を発表する前に必ずファニーの助言を求めたという。
ファニーの墓も近くにあるそうです。
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>Shuji Kamanoさん
コメントありがとうございます。
昨日、中部ドイツ放送のMDRでもメンデルスゾーンのドキュメンタリー番組を放映していました。ファニーのお墓は、フェリックスの右隣にあるんです。