先日ご紹介したミッテのゾフィーエン墓地を出て、墓地に面したベルク通りを歩いていたら、偶然こんな古めかしいアパートに出会いました。
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主に東地区に見られる、過去の痕跡が刻まれたアパートについては、これまでもこのブログで紹介してきました。初めて歩く通りで、こういう古いままのものを見つけると本当にうれしくなります。それだけ、今のベルリンでは数少なくなっているからです。
このアパートは、ベルナウアー通りのすぐ裏手に位置することがミソといえるでしょう。よく知られる通り、国境のベルナウアー通りに面したアパートは、壁建設後、東の政府が住民を強制的に立ち退かせた後、大部分を爆破させました。でも、ほんの少しだけそこから離れていたこのアパートは、何の因果によるものか生き延びた・・・。あれこれ思いをめぐらせていると、この古ぼけたアパートに奇妙な愛着が湧いてくるのです。
近くに寄ってみましょう。Schuhとあるから、昔は靴屋か靴の修理工房だったのかな?
“Beeile Bedienung”
急ぎの用事にも対応してくれたということでしょう。
一番上の段は読み取りづらい。その下は、”Saubere Verarbeitung”(きれいな加工)ですね。それにしても、何とも味わい深い筆致。
昨年11月末に、日独センターでの橋口譲二さんの講演会を聞きに行ったら、壁崩壊直後、プレンツラウアーベルクを歩き回って作ったという手書きの地図を見せてくれました。私にはそれがとても面白かった。少し長くなりますが、橋口さんの1992年の写真集「Berlin」(太田出版)から、該当する箇所を引用したいと思います。
プレンツラウアーベルクは街全体が古くて美しく、朽ち果てている感じだった。吹く風はコークスの匂いに混じって、コンクリートの粉末を運んでいた。人間の皮膚が剥けるように、コンクリートの壁が剥け、通りに面した壁にはコールタールで描かれた看板文字が、数十年の歳月が過ぎ去ったにもかかわらず新しく塗られたペンキの下からくっきりと浮かび上がっていた。食料品屋にタバコ屋、床屋と、壁に残された文字をたどるだけでも、19世紀の終わりから20世紀初めにかけてのベルリンの街角の賑わいを彷彿とさせてくれる。僕らはある時など写真を撮るのをやめて、壁に残された文字だけを頼りに昔の地図作りに没頭したりもした。牛乳屋さんだった所の壁には「ジャガイモの皮を持ってきてくれた人には薪を差し上げます」と書いてあった。当時ジャガイモの皮は牛のエサで、アパートの中庭で乳牛を飼っていたのだという。またワンブロックの中には床屋が3軒も4軒もあったので不思議に思っていると、道で会った老人が、昔は床屋が歯医者も兼ねていたのだと教えてくれた。(中略)
プレンツラウアーベルクでの毎日は、本当に驚きと発見の毎日だった。そこにはツィレの画集の中に出てくるような酒場の人間模様や道行く人たちのただずまい、19世紀終わりから20世紀初めのベルリンが息づいていた。ノスタルジーではなく、紛れもない現実が僕の目の前にあった。
僕の心を騒がし、揺り動かしていたものの正体は、この街角を流れている時の澱みだった。2度に渡る世界大戦の戦火を逃れ、ベルリンが近代都市として成立した時そのままの姿を残し、長い歳月の中で自然に朽ち果ててきた建物を見ていると、僕はいとおしさを感じずにはいられなかった。
それと同時に、誰に邪魔されることなく自然に朽ち果ててきたプレンツラウアーベルクを歩いていると、本来街そのものが生命を得た時からそなえ持つ時間軸が存在することを僕は知った。
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このような写真を観ているとベルリンが一層恋しくなります。いや、この前はこちら浦和でも古い、かすかにしか読めないお店の看板がありましたよ。確実に読めたのは「綿」という文字だけでした(残念ながら写真は撮っていません)・・・
ところで上から3番目に写っている文字は、"Reelle Bedienung"だと思います。今や「古語」って言って良いくらいですが、"reell"というのは「地道な」という意味を持ち、昔は価格やサービスがこう呼ばれると確実な、しっかりとした、余計な費用の掛からない対応とのことでした。
その下の写真の一行目は恐らく"Absaetze nach Groesse"ですね。何かサイズに応じてヒールの修理、販売をしたのではないでしょうか。
"Milch"も面白いですね。一度塗り替えられたが透明になってしまったから大きさが僅か違う、同じ文字が重なっていますね。
大好きです、こういうの。
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消えかかった文字に当時の生活が偲ばれますね。嬉しそうにシャッターを切るマサトさんの姿も見えるようです。
橋口譲二さんのことは、当時話題になった写真集「17歳の地図」で知りました。対象と真摯に向き合う写真家、という印象です。そう、「カメラマン」というより「写真家」。APOCCのサイトを教えていただき、ありがとうございます。とても興味を持ちました。
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キートスさん
さすが、と言うほかないご指摘をありがとうございます。
私の疑問が解決しただけでなく、間違いまでも正してくださいました。
"Reelle Bedienung"という表現には初めて出会いましたが、職人の心がこもったような、いい言葉ですね。
キートスさんとベルリンを一緒に歩いたら、いろいろなことを教えてもらえそうです。しばらくその願いは叶いませんが、またブログ上にてよろしくお願いします^^;)。
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tsu-buさん
そうですね、橋口さんは本当に「写真家」だと思います。
実際にお会いしてみて、真摯という言葉がぴったりくる方でした。
講演会の時に、「ベルリン物語」を持っていったら、「これは僕の原点だよ」と言ってサインをしてくださいました。
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Masato様
橋口譲二氏の著述からの引用、紹介、有難う御座います。日独センターでの講演会の内容は、氏のHP日記に記述がありました。
キートス氏が指摘された点は、多分、その通りだと思います。ただ、語言上の意味からキートス氏が斯く推定される他にも、問題とされている建物の外装文字の箇所の表記からも、ここは"Reelle"だと推測出来る事由があります。
それは、外装文字が筆記体ではなく、印刷文字を象ったもので、その並べ方が、一定の法則性に基づくtypography(ドイツ語ではTypographie;印刷活字の組み方、揃え方)に則っていからです。
此処では、Reelleと書かれた部分が、手描きなのか、漆喰で塗り固めたのか、或いはそれ以外の手法で書かれたのか、それは写真では不明ですが、最初の"R"の直後に続く"ee"の合計3文字が、全て、その底辺が一直線に並んで揃っています。(字数過剰のため、後半を割愛継続します)
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Masato様:後半部です
多分、100年ほど前の外装職人がドイツ的な几帳面さを発揮して揃えたのでしょうが、こうして大文字と小文字が連なる際に、その底辺を揃える文字組みも、typographyの一部です。この、3文字の底辺が揃えられている書法からして、此処は"B"ではなく、キートス氏指摘の"R"だと推測します。
Masatoさんもご指摘の通り、この建造物は確かに「奇妙な愛着を湧かせる点」があります。この種の、昔の職人の息吹が痕跡となって残された建物の観察には、こうした文字表記の特徴も視野に入れられますと、痕跡の解読作業も一段と楽しくなるのでは—-と愚測します。
今年も、お元気で。
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Yozakuraさん
ご無沙汰しております。ご丁寧に教えてくださり、どうもありがとうございました。なるほど、手書きとはいえ、昔の職人さんはTypographieに忠実に字を描いていたのだと、実感できました。街で見かけたらまたご紹介しますね。今年もよろしくお願いいたします。