九州・山陽紀行(3) – 念願の萩を訪ねる –

ベルリンに戻ってからもうしばらく経つので、少々気が引けるのですが、12月末の旅行記の続きを書きたいと思います。自分の旅の記録としても留めておきたいので。
12月23日(水)は、早起きして博多発7時発の「ソニック3号」で出発。JR九州の列車はどれもデザインが楽しいがこれも例外ではなかった。本州に戻り、ほのかな潮風を感じながら、下関発8時56分の鈍行に乗る。
やがて日本海が見えてくると懐かしさが込み上げてきた。中学校を卒業した春休み、青春18切符を使い、日本海沿いのルートで長崎から稚内まで10日ほどかけて横断したことがあった。今振り返っても、日本列島の風土や気候の多様性を肌で感じる、かけがえのない機会だった。この線に乗るのはそれ以来だったが、風景といいひなびた家並みといい、ほとんど変わっていないようにさえ見える。当時と違うのは、時刻表から特急も急行も姿を消してしまったことで、翌日バスを利用したら、そちらの方が利用客は多かった。山陰本線はますます長大なローカル線になり果てているのだろうか。ただ、海に寄り添ったり離れたりを繰り返す車窓の魅力は本当に抗い難く、海に架かる虹が見られたのもよかった(冒頭の写真)。小串、長門市で乗り換え、東萩着12時3分。
萩はぜひ訪れたい町だった。そう思うきっかけとなったのは、一昨年の一時帰国の際、山根寿代さんにお会いしたことである。山根さんの祖父正次は萩の出身で、明治期にベルリンに留学しており、森鴎外とも親交があった。さらにその父の考中は松下村塾の塾生。そういうルーツを持ち、90歳を越えてもかくしゃくとした寿代さんのお話を聞きているうちに、幕末以降多くの人材を生み出した萩にはぜひ行かなければと思っていた。
関連記事(山根寿代さんについて書いた記事一覧):
– ベルリンで出会った一枚の写真 – (2008-08)
– 祖父山根正次 –
– 森鴎外からの手紙 –
– ベルリンの恩師との再会 –
– 仕事、旅、そして人生 –
江戸時代から区画が変わっていないという萩の城下町はしぶい趣があり、この町の1つのシンボルともいえる夏みかんが彩りを添える。これは明治初期、生活のすべを失った士族たちを救うため、全国ではじめて萩においてひろく栽培されるようになったのだという。
日没までの限られた時間の中、観光客もまばらな城下町を歩いた。高杉晋作の生家や木戸孝允の旧宅(写真)、伝統とモダンが同居した萩博物館など。特に萩博物館は予想していたよりもずっと面白く、しかもボランティアらしき年配の2人の方が、展示物の背景などどについて一生懸命説明してくださるものだから、1時間足らずで閉館の時間がきてしまったのが本当に残念だった。自分の日本史の知識が乏しいため、彼らの説明を全て咀嚼できなかったのも悔しい。手始めに、司馬遼太郎の『世に棲む日日』でも読んでみようと思っている。
この夜泊まったのは、萩一輪という宿。日本にいた時もそうそう食べたことのない、ふぐの刺身など海の幸を中心にいただき、温泉に入る。これぞ至福の時。
(つづく)



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4 Responses

  1. higuchi
    higuchi at · Reply

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    萩良いよね。
    野宿しながら行った時は家出と間違えられてみんなやたら優しかった。萩の寺出身の友達もいるし。中学の修学旅行も萩だったなあ。

  2. 冬風
    冬風 at · Reply

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     萩に行かれたのですね。昔から自分も行ってみたいのですが中々縁がなく、過去に山陰線にて1度通過した際に車窓として眺めた事があるだけです。山陰線のあの区間の車窓は、かつての鹿児島線八代以南と共好める車窓だと思います。
     自分が通過した時はちょうどあとしばらくすると萩を通る最後の特急が廃止される、と言う時でした。国内でも当時としては少数派になっていた旧型車両を使った車両で、中々味わい深く見えた記憶があります。
     今春には山陰線のみならず、山陽線等も含めて列車本数が減便されると発表されていますし、JR西日本の新たな経営計画で路線の整理をうかがわせる内容が掲載されていたのを見ると年々、鉄道だけで地方を移動するのは難しくなりつつあるのが残念なところです。

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    higuchiさん
    昔は修学旅行で萩を訪れる学校も多かったようですね。でも、最近は海外などが多く、萩にはめったに来てくれなくなってしまった、と翌日ガイドしてくれた方が嘆いていました。

  4. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    冬風さん
    山陰本線には旧型客車が最後まで走っていましたよね。85年に一度だけ乗ったことがあるのですが、エビ茶色の車体といい重厚な内装といい、子供ながら非常に印象に残っています。

    >今春には山陰線のみならず、山陽線等も含めて列車本数が
    >減便されると発表されていますし、
    やはりそうなのですか。利用する人がいないのだとしたらしょうがないのかもしれませんが、実際にそこに住む人々はどう感じているのでしょう。旅行する身としても寂しいことですね。

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