マルティン・レーアさんの授章式@日本大使館

4月にインタビューをさせていただいた知人のマルティン・レーアさんが、この度日本政府から勲章を受章された。個人的にもとてもうれしい出来事だったので、ここでご紹介させていただきたいと思う。
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日本大使館から授章式招待の電話をいただいたのが11月の末。ただ、レーアさんが一体何を授章されたのか、授章式がどういう内容なのかも詳しくわからないまま、先週月曜日、ティーアガルテンの日本大使館に妻と足を運んだ。(普段の領事窓口の入り口とは違う)正門から中に入ったこと、入り口で名前の書かれた席札を受け取ったことで、本格的なディナー付きの会であるとこの時ようやくわかった。とりあえず、スーツを着てきてよかったと少々安堵(笑)。
大広間に通され、久々に会った知人と立ち話をしたり、東山魁夷の日本画を眺めていたら、やがて神余隆博大使とレーアさんら賓客が現れ、授章式が始まった。最初に大使の挨拶、続いてレーアさんがブランデンブルク州の儀典長だった当時、州首相だったマンフレート・シュトルペ氏の挨拶、そして最後にレーアさんが挨拶。ヨハネス・ラウ元大統領の未亡人クリスティーナさんも見えていて、華やかでなごやかなムードの中、式は進んだ。その後、神余大使から賞状と勲章が授与。今回レーアさんが授章したのは「旭日小綬章」で、 授章理由は「我が国要人の接遇及び日本・ドイツ友好親善に寄与」とのこと。最後に、ベルリンの音楽大学の学生さんによってシューマンのピアノ四重奏曲が奏でられて(その中に友達の顔を偶然見つけてびっくり)、授章式は終了。
その後、シャンデリアのきらめく別室に通されて夕食が始まった。和洋を絶妙に配した食事はどれも美味で、夢のような時間だった。食事の後、コーヒーを飲みながらレーアさんと話していたら、「(日本に縁の深い)両親がこの場にいたら、さぞ喜んでくれただろう」と感慨深そうに語っておられたのが印象的で、私たちも本当にうれしかった。
レーアさんに出会ったのは2003年の2月だったと思う。あるチェリスト宅のパーティーでだった。たまたまそばにいた紳士と立ち話をしたら、それがレーアさんで「今日、ラウ大統領が、ベルリンを訪問中のプーチン大統領と食事をする場に同席しました」と何気なく話されたのでびっくりした。その時は「プロトコール」という彼の仕事の内容はまだわからなかったのだが、その2週間後、ベルビュー宮殿の内部を案内していただき、レーアさんが大統領府の中でどういう要職にあるのかをようやく理解した。ちょうどベルリンでは小津安二郎の生誕100周年の特集が組まれており、ポツダム広場の映画館に『晩春』を一緒に観に行くことになった。上映まで少し時間があったので、夕食をご一緒し、そこで、父親の仕事の関係で幼少期に6年間日本に住んだこと、その体験がその後の自分に少なからず影響を及ぼしたことなどを話してくださった(小津映画の何本かも、50年代当時リアルタイムで観たという)。レーアさんと話していて感じたのは、その物腰の柔らかさ。わかりやすい言葉を選んでゆっくり話し、私のつたないドイツ語にも真摯に耳を傾けてくださる。そして、周囲へのさりげない気配り。育った環境も歳もまるで違うのに、この方とは心を通わせられると感じた。音楽という共通の趣味があったことも大きかったと思う。レーアさんとはいろいろな思い出があるが、いつお会いしても「こういう大人になりたい」と思わせてくれる方である。
いつの間にか夜も12時近くになっていて、周りの方はもうほとんど帰途についていた。帰り際、神余大使ご夫妻に少しお話しすることができた。ドイツニュースダイジェストに書いている私の記事は折に触れてご覧くださっているそうで、「これからも積極的に日独の交流に務めてくださいね。応援しています」と激励のお言葉までいただき、これにも感激。妻も大変楽しかったようで、行く前は緊張気味だったのだが、「みなさん、おエラい方というか、、、すごい方ばかりの堅いパーティーを想像してたけど、気さくに話したり挨拶を交わしてくださるし、私のつたないドイツ語でもちゃんと聞いて返事をしていただけたのが、うれしかった」と話していた。2010年がそろそろ終わるという時期、来る年に向けても、大きな刺激と活力をもらった一夜でした。



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