日本大使館に記帳されたメルケル首相のメッセージ
東日本大震災の翌週、日本大使館の前を通ったところ、臨時の献花コーナーが一面花で埋まっていました。私はその時、震災がベルリン在住の日本人のみならず、この街に住むあらゆる人々にもたらした衝撃の大きさを実感しました。同じ週にはヴルフ大統領、そしてメルケル首相が相次いで日本大使館を訪れ、神余隆博大使に日本へのお見舞いと励ましの言葉を伝えたと言います。メルケル首相の記帳の全文をここでご紹介しましょう。
大地震と恐ろしい津波の犠牲者へ黙とうを捧げます。
日本の皆様が力を得られますよう願うとともに、
ドイツ連邦共和国による支援を約束します。
友情を込めて
アンゲラ・メルケル
一方、震災当初から、センセーションを過度に強調するドイツのメディアの報道姿勢には違和感を覚えることも少なくありませんでした。そのような状況下、ドイツの知人友人から電話やEメールで届けられた、率直な哀悼の意が込められたメッセージは、私の心を落ち着かせてくれました。
日本から遠く離れた場所にいて「何かをしたい」という思いから、在留邦人を中心としたチャリティー活動も活発化しています。
震災から1週間後の19日夜、カイザー・ヴィルヘルム記念教会で急きょ開催された核戦争防止国際医師会議チャリティー・コンサートに足を運んでみました。22:30という遅い時間の公演にもかかわらず、30分前に会場に着いたら、大部分の席が埋まっている状態でした。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会で行われたチャリティー・コンサート
最初にベルリン・ブランデンブルク州の元主教ヴォルフガング・フーバー氏が犠牲者追悼のメッセージを読み上げ、全員で黙とうを捧げました。ドイツでの黙とうはそれまでほとんど経験したことがなかったのですが、人種や国籍を越えて人と人とが連帯することの意義を、私は教会の静寂な時間の中で感じ取りました。その後、ヴァイオリニストのコリヤ・ブラッハー氏によってバッハの《シャコンヌ》、ベルリン・フィル12人のチェリストによるヴェルディの「聖歌四編」から《アヴェ・マリア》などが、厳かに奏でられたのでした。
チェルノブイリ原発事故から25年目にあたる4月26日、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)はユニセフを通して、子どものためのチャリティー・コンサートをベルリン・フィルハーモニーで行う予定です。これは以前から企画されていた公演ですが、この度の福島の原発事故を受け、「チェルノブイリと日本の原発事故の犠牲者に捧げる」という文字がポスターに加わりました。日本の一地方都市がチェルノブイリと並んで語られることに、ショックを感じずにはいられません。現在進行形の大災害が少しでも早く収束に向かうことを願うばかりです。
(ドイツニュースダイジェスト 4月22日)
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日本国内にいると海外の反応と言うのは分かる様で分からないものですから、こちらのブログを通じてベルリンの様子が分かるのは大変ありがたく思っています。
そしてどこか安堵すると共に、だからこそ日本はしっかりと立ち直って行かなくてはならない、と感じる次第です。
1週間ほど前に機会あって、福島第一原発から南へ35キロ地点まで行ってきました。
その地点までの鉄道(常磐線)が再開したのが動機でしたが、行くまでの車窓は一部で津波の痕跡、また鉄道の方も徐行運転と震災の爪あとを感じながらの道すがらでしたが、同時に日常が戻りつつある光景でした。
だからこそ原発から35キロ手前の駅に降り立った時は、この先で重大な原子力災害が発生している、あと5キロ行けば屋内退避エリアになる実感が全くわきませんでした。数日もすれば、更に北に向けて鉄道が再開する、そう言う気配すらあった光景であったのを覚えています。
原発事故は今後どうなるかは分かりませんが、その傍らで日常が戻りつつあるのを見てしまったからこそ、何とか収束に向かって落ち着いて欲しい、そうブログを読み終えて改めて思えたところです。
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冬風さん
コメントありがとうございました。体験談を拝読して、被災地に少しずつ日常が戻りつつあるのを感じると同時に、状況が日に日に悪くなっているように思えてならない原発の問題に、心が痛みます。来月一時帰国することになったので、故郷の様子をしっかり見てくるつもりですが、こんな複雑な気分で日本に帰るのはもちろん初めてです。